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20010607 宮本常一を語る司馬遼太郎

   * [街道をゆく 7 甲賀と伊賀のみち 砂鉄のみち ほか] 司馬遼太郎

 『街道をゆく7 甲賀と伊賀のみち 砂鉄のみち ほか』読了。
 牧祥三氏の解説文冒頭「「街道をゆく」シリーズ第七巻は、日本の職業倫理、あるいは職人道の巻として読むことができる。」の一文に、深く納得。

 「明石海峡と淡路みち」中の「宮本常一氏の説」から抜粋引用。

「ところが最近、民俗学者の宮本常一氏の著作集が出た。『宮本常一著作集』(未来社刊)で、十四巻ある。宮本氏についてはいうまでもないが、離島や漁村を民俗学の対象にされたすぐれた思考者である。
 その第八巻の「海をひらいた人びと」の序文に、
 「・・・・・・この書物を書いていた、日本の海をひらいたのはまったく無名の人びとであったのだということに気がついた」
 と、ある。宮本氏のように若いころから離島や漁村を歩いておられるひとが、あらためてごく平凡な真実に感動されるということ自体が、氏の精神のひびきを感じさせる上で、大きい。」

 「もっともテグスという半透明の強靭な糸を魚つりのテグスにつかうことを考えたのは、宮本氏によると、江戸中期の阿波の堂ノ浦の漁師たちだったことになる。
 中国では、このつよい糸を、梱包用のひもにしていたらしい。江戸期、日本は鎖国とはいえ、長崎を通じてオランダと清国とだけは、制限貿易をおこなっていた。清国からくる荷は、主として漢薬だった。その漢薬は、紙や布でくるんだ上に、この糸をかけてしばってあったという。
 その糸を、堂ノ浦では釣りにつかいはじめた。これも、大きな創案であろう。このため、あらためて、その用途のために中国から買うことになった。
 宮本氏の文章を借りる。
つり糸として、シナから買いいれることになり、その店もできました。そしてそのテグスを、船にのって売りあるいたのが堂の浦の人たちでした。
   一本づりの村であれば、テグスはどこでもよろこばれました。そして瀬戸内海では、いたるところの漁村でつかわれました。

 宮本氏は学術論文としてではなく、小学生のための文章としてご自分の調べと見方をお述べになっているのだが、人間の歴史の重要な部分をつかみ出しておられる。氏によると、このために大坂にたくさんのテグス問屋ができた。それを堂ノ浦の人たちが瀬戸内海の漁村を売り歩いたのは、売りかつ教えなければならなかったからである。これにより、瀬戸内海で一本釣りによる漁獲高が大いにあがり、
それとともに、瀬戸内海のいたるところに一本づりの村がたくさんできました。
という。」

 「宮本常一氏の「一本づり」という文章は、私は民俗学のことは知らないが、その分野ではよほど重い位置づけがなされているにちがいない。さらには、江戸期以後、一本釣り漁民のくらしや村村の様子を変えた徳島県堂ノ浦という漁村の歴史のなかでの存在の大きさはどうであろう。謝恩碑でも建てられているのであろうか。」


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