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20010613 ビルドゥングスロマン

 ビルドゥングスロマン〔(ドイツ) Bildungsroman〕主人公のさまざまな体験による自己形成の過程を描いた小説。〕

 午前、石狩支庁のAさんとICCで面談。

   * [教養としての〈まんが・アニメ〉] 大塚英志・ササキバラ ゴウ

 午後、大塚英志ササキバラ・ゴウ教養としての<まんが・アニメ>』読書。
 14日のbooxbox BBS : http://www.booxbox.com/bbs/ への書き込みを転載

[1211] (2001/06/14 15:46:16) 田原ひろあき@ブックスボックス
岡崎京子讃@オヂサンの雑感系
 大塚英志+ササキバラ・ゴウ『教養としての<まんが・アニメ>』読書。
 講談社現代新書1553 2001/05/20

 アニメ論(ササキバラ・ゴウさん)は読む気なし。こちらに基礎知識がないため。扱われる作家は、宮崎駿高畑勲出崎統富野由悠季ガイナックス

 まんが論(大塚英志さん)に登場するのは、手塚治虫梶原一騎萩尾望都吾妻ひでお、岡崎京子。

 岡崎京子論だけ、ちゃんと読んだんだ。十年ほど前、ぼくはこの女性と彼女の漫画の存在にずいぶん救われていたんだ、と改めて気づいた次第。

 長い眠りから覚めて、その長い眠りを描いてくれたら、物凄い作品になるだろうとずっと思っている。早く戻って来て欲しいですね。

 1958年生まれ(田原と同じ生年)の大塚さんの「まんが論」末文を引用:
「岡崎京子は九六年に交通事故に遭い、作家活動を停止したまま現在に至ります。ぼくが戦後まんが史が記号としての身体と生身の身体の狭間に主題を発生させてきた歴史だと考えることは繰り返し述べてきました。ですから、生身の身体つまりは人間の実存というものが限りなく記号に近づいてしまった八〇年代以降の高度消費社会が抱え込む問題に対して、戦後まんが史はまさに戦後という時代を通じてずっと長い間、それと格闘してきたとも理解しています。岡崎京子は本書でぼくが「アトムの命題」と名付けた問いに高度消費社会の渦中で最も誠実に向かい合ってしまった作家でした。

 そして二〇〇一年の春、ある教科書が論議を呼んでいます。「新しい歴史教科書をつくる会」によって作られたナショナリズムに重点を置いた教科書です。彼らの作った公民の教科書にこんな記述があります。「ナショナルな感覚が、高度情報化社会に対する抵抗の砦」であり、だからこそ「『国民の歴史』を振り返る」ことが重要なのだと。

 ぼくは人がいかにしてこの高度情報化社会で生きていくかという問い掛けはとても大切だと思います。インターネットが普及しTVゲームの3D映像は現実さえも凌駕します。仮想現実はぼくたちの現実の一部を確実に構成します。モノや人が「記号」と化していく八〇年代の高度情報化社会に発生した問題はユミちゃんのように東京で暮らす女の子たちだけの問題ではもはやありません。

 けれどもそれに対する解答は本当にナショナリズムに縋ることなのでしょうか。「国民の歴史」を振り返ることなのでしょうか。

 昭和二十年の初夏、手塚治虫はまんがの記号絵の中に死にゆく身体を発見しました。それを手塚に発見させた戦争は、かつてこの国が「国民の歴史」を作ろうとし失敗した果てにあったものだったはずです。

 だからこそ戦後まんが史がその始まりの時から「記号的身体」と「生身の身体」の狭間でナショナリズムとは違う形での「アトムの命題」にまつわる解答をずっと模索し続けていたことははっきりと主張しようと思います。その試行錯誤の過程を追いかけ、そして共有することこそが高度情報化社会を生きるぼくたちの「教養」であり、そしてその一点のみにおいてならばぼくはサブカルチャーでしかないまんがやアニメが「教養」であると宣言しても一向に構わないとさえ思うのです。

 胸を張って。」(130-131p)

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