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20040824 吉田健一『東京の昔』再読

 司馬遼太郎さんの『箱根の坂』の文庫本を読み終え、なにという期待もなしに巻末の「解説」文を読んでいたら、突然吉田健一さんの名前が現れた。

   * [箱根の坂〈下〉] 司馬遼太郎

 その解説文によれば、1968年前後某全国紙に連載された吉田健一さんの「文芸時評」文中で、司馬遼太郎さんの小説群がしばしば激賞されていたらしい。

 一瞬、意外な気がした。

 いままで自分が読んできた吉田健一さんの文章に司馬遼太郎さんについて触れたものを見た記憶も、その逆に司馬遼太郎さんの文章に吉田健一さんの名前を見つけた記憶もなかったからだ。

 吉田健一さんの読者は、おそらく司馬遼太郎さんの小説を激賞したことで吉田健一さんを記憶しないだろうし、司馬遼太郎さんの読者は、間違いなく、吉田健一さんに認められているからという理由で司馬遼太郎さんを読むことはないだろう。

 とはいうものの、時間とともに、自分のなかで、意外な感じは薄れていった。

 司馬遼太郎さんと吉田健一さん、彼らの歴史観・世界観・都市観・文明観、それほどかけ離れたものだろうか?

 ということで、利尻島スタジオの書棚から、『東京の昔』を取り出し、再読した。

 日本の北の最果ての過疎化高齢社会化が進む離島で、十五世紀に生きた「戦国大名」というジャンルを創出した男の話の後に、第二次大戦前の東京を舞台にした小説を読む、というのは実は得難い体験かもしれない。

 それは幸福な体験で、その体験の基礎として、この国の歴史と文明がある、と言えなくもないのだろう。



 吉田健一『東京の昔』(中公文庫 1976)から引用。
 句読点を増やし改行を増やしして、司馬遼太郎の文です、と言って司馬ファンに見せたら「あっ、そう」なんて言うんじゃないか、と今ちらと思った。
「併し日々過ぎて行く文明の状態というものはそれだけで楽むに値する。その楽むということがあの頃は見守ることと一体をなしている感じがどこかにあったのが何によるものかこれは今思い出しても詮索するだけのことはある気がする。普通はそういうことになるのが一つの文明がその絶頂にある時で昭和の初期の日本が文明の状態にあったことは疑えなくてもその絶頂に達していたとは思えない。それならば見守ることになったのはその状態に新しいものがあったからでそれまでの時代が野蛮だったのでなくても川本さんが言った明治以来のごたごたに収拾の動きが生じて文明の落ち着きを取り戻し始めたのが昭和の初期だったことは認めていい。又それが新しくてまだ脆弱なものだったから文明がその絶頂にある時と同じでこれは見守るに値したのでその均衡がいつ破れるか解らないのを覚悟しなければならなかった点でこの二つに変りはなかった。事実その頃古木君と歩いた銀座がそれから十年もたつとそうして歩けるような場所でなくなって戦後になってもう銀座というものはない。
 又それで誰もその頃の人間が不安だったのではなかった。少くともそれは十年もたてばというようなことから来る落ち着きのなさではなかった。我々が生きているのを感じれば感じる程死を控えて今が今という時と思うものである。先ずそういう気持だったというのが一番簡単な説明だろうか。勘さんが戦争が起るだろうかと言ったのは戦争が起っても自転車が売れなくなっても今はこれで充分だということだった。又いつの時代にもこれ以上の覚悟、或は同じことながら生きていることの楽み方というものは考えられない。それだからその頃は今よりも時間が遅くたって行ったような気がする。今の時間が空白であることからそれを埋めるのにやたらに他所に考えを走らせる必要がなかった為である。それで路次を銭湯帰りの人間が歩いているのに出会っても自分の家に風呂があればそれだけ時間が省けると思う代りに銭湯の壁に書いてある富士山の絵が頭に浮んだ。」(101-102p)

「「又その間にも月日はたって行く訳ですか。その時間だけは洋の東西を問わない気がする。」それで今これが書いていられるのか。確かにその後も地上に時間は正確に過ぎて東京の昔を思い出せば直ぐにそこまで戻って行ける。併しここで外国ということを幾度も出して来たが、その頃の東京というものを思うとこれも外国の感じがしないでもないのが不思議である。我々にとって外国が外国であるのは一つにはそこでは何から何まで勝手が違うことをいや応なしに知らされることによってであると言える。併しその何から何までの我々には解らない何かがそこに確かにあるのを感じることも外国の印象の一部をなしていてそれがそこの生活様式であり、そこの人達の間で行われている世界観、人生観その他であって昔の東京が外国のようであるのは実に簡単にその時代にはその生活様式も人生観もあったのに対して今はそういうものが認め難くなっていることから来ている。例えば勘さんが会社の社長になって車を乗り廻したりするのはいやなことだと言えばその理由の説明をするよりも先に誰もがそれがそうであることを納得した。或は甚兵衛が甚兵衛というおでん屋であってそこにいる間は他所に行くことを考えないでいられたのはその店ならばその店でそこの生活があったからで同じ事情から資生堂にいればそこの高い天井の下で時間がたつのが気にならなかった。そういうものがあるのとないことの違いは微妙であってもそれが動かし難いものであることはどうにもなるものでなくて仮にここで資生堂も甚兵衛も人が行く所でなくなり、ただ団体でバスに乗って運ばれるそうした店に変ったと想像するならば或はこの辺のことが少しは呑み込み易くなるのではないかとも思われる。」(114p)



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