20050914 三月十四日・ニューヨーク・MOMA=セントラルパーク
ニューヨーク・SXSW@オースティン,テキサス 20050313-0321
その二 ニューヨーク2日目。2005年3月14日分。

ちなみにアメリカに行けることになったのは、こういう事情です:
「20040424 「Inter X Award」ICCベストコンテンツ賞受賞!」

寝てたのか寝てないのか、眠れたのかそうでもないのか、よくわからない朝の目覚めとも呼べないような目覚め。
腹減った。とりあえず、ウエリントンホテルから1ブロック南角の路面店ブラッセリーに入る。人種の坩堝とはうまいこと言ったもので、サーヴする店員さんの顔つきもいろいろ。客である自分はなぜか早々に日本人と見破られて、アジア系移民とおぼしきウェイターさんにかたことの日本語で話しかけられたりする。
朝八時半。クロワッサンのチーズはさみ焼きみたいなのとコーラを注文したのだが、そいつが出てきてみてびっくり。噂には聞いていたが、でかい・多い。日本のパン屋さんなら「ジャンボクロワッサン」と称して販売することだろう。とけ(て固まってしまっ)たチーズは硬くて大味。貧乏性で食べ物を残したくない人間なのだが、完食をあきらめる。チップ込みで10ドル余り。高い。
午前九時、シェラトンタワーホテルで、W社社長のKさんと合流。今日は、Kさんの息子さんのK太郎さんは学校(ニューヨークの大学に通っておられるとのこと。日本で日大芸術学部をすでに卒業されている)。英語不安コンビでの行動となる。
ニューヨーク体験の多いKさんの引率で、ショービジネスの本場ブロードウェイの街角に立ちここがそうかと思い、ロックフェラーセンターのビルディングを見上げ、スケートリンクを見下げして、「おのぼりさん」のお決まりごととして、Kさんに写真を撮ってもらう。



午前十時、この日の主目的ニューヨーク近代美術館見学のため、すでにかなりの長さになっている入場待ちの行列に並ぶ。寒い。ちなみに田原はこの冬、防寒のため、下着に秀岳荘で買った登山用の長袖シャツとタイツを着用。それでも風が冷たい。おのぼりさん系アメリカ人と高年齢知的好奇心旺盛型アメリカ人とパスポート所持の観光客さんの中で、Kさんと会話をしながら待つこと小一時間、10:49、いよいよ入場。そこからは、Kさんと別行動でお互い、見たいように見ることに。
オープン間もない、日本人建築家・谷口吉生さん設計による新館。建物も素晴らしいが、収蔵品ももちろん素晴らしい。昨秋上野で見て以来、すっかりその「知性」と「ストイシズム」に魅せられている、マティスの絵の数々と対面。うれしい。日本の美術館とは違って、あまりにさりげなく展示されていて、ごくごく近くまで寄って見ることもできて(フラッシュをたかなければ撮影もできるような・・・)、どきどきする。
ゴッホの本物も初めて見た。「星月夜」。
参った。
自分も、何かコンテンツ物を作るもののはしくれとして、その制作物に対して評価・賞をいただきその副賞の一環としてニューヨークを訪れ、ゴッホさんと対面しているわけだが、これではレベルが違いすぎる。
百年後二百年後も、ゴッホさんの本物の絵は、毎日見るものをくらくらさせ続けることだろう。自分は、たった一人でもいい、自分の死後百年後もそれに触れてくらくらする人間を生み出すだけの作品を作り出せるだろうか。
こんな作品を何千点と描いても、ゴッホの生きている間に売れた絵はわずか一枚だったとも聞く。生前、世界の遺産となるべき芸術作品をさんざん残しても、生業としてはまったく成立していなかったことになる。悩ましい。後世に残る作品を作り出すこと、経済的に成功すること、どちらもそれなりに難しい。「コンテンツ産業で起業」なんていうのが、絵空事としか思えないような気もしてくる。
同時に、ゴッホのゴッホなりの、至福・幸運も感じる。
ネットの時代にゴッホほどの才能の持ち主があって、人知れずその芸術的な成熟を果たす機会は逆にそれほど多くないのではないか。どっかの業界・メディアにいいように利用され、スポイルされておしまいということになってしまうんではないか。自分の知らない間に「変節」してしまうのではないか。バブリーなゴッホ、ってちょっと悲しい。

正午過ぎ、美術館出口で偶然Kさんと落ちあえて、そのまま退出。

ティファニー(の外観)やらナイキの直営店やら見て、田原は一人ホテルに帰る。
1994年の5月、ローマに行ったときもそうだったんだけど、旅先ではなぜか昼間眠くなる。短い滞在期間なんだから、ローマだぜ、ニューヨークだぜ、時間がもったいないと思いつつ、寝てしまう。しかしまあ、この無駄な惰眠こそが旅の醍醐味ともいえるのかもしれない、とも思う。見知らぬ街、違った空気感、耳慣れぬ音、・・・。
午後四時目覚め、心を奮い立たせ、散歩に出かける。セントラルパークが近い。
まだ雪が残っている。不審者に出会わぬよう気を張っているのだが、どうもこの街は(昼間は)おそろしく安全なようだ。皆、適宜に緊張感と信頼感を抱きあって(コンセンサスを作り出して)暮らしているらしい。



大きなリスがいる。人を恐れない。スズメの姿形大きさも日本のそれとはちょっと違う。むき出しの岩盤が印象的(帰国後、4月末、大阪で等々力政彦さんに、その岩が地質学的に面白いものだと教えられた。どう面白いのか、その名前は何か、聞いたが忘れてしまった。これじゃ学者さんにもなれない。)
メトロポリタンミュージアムを折り返し地点に、ホテルに帰ってくることに。メトロポリタンは休館中。
ここを訪れるために、またニューヨークにやってこよう。
ニューヨーク二日目。2005年3月14日、夜の部。
アメリカから帰ってきて、よくアメリカどうだった?と聞かれたのだけれど、実は旅行をとおして一番印象に残ったのが、同行のW社K社長の人となりとその人との対話だった。
笑い話みたいだけど、本当のところだからしょうがない。もっともK社長と日本で長時間対話の機会を持つのは至難の業で(K社長、多忙のため)あったこと、K社長も旅の空でいろいろ普段より喋ってくれたのかもしれないこと、あわせて考えると、それも不思議なことではないのかもしれない。
夜7時、シェラトンタワーホテルでK社長と合流。タクシーでブロードウェイを南下し、ソーホー地区へ。
「DEAN & DELUCA」という、素敵なマーケットプレイスを見学。K社長の話だと、日本のスーパーマーケット業界の人たちがこっそり視察にきて、ディスプレイなどを「盗んで」帰るような店らしい。通販用カタログもおされ。ホームページもおされ。
「DEAN & DELUCA purveyors of fine food,wine and kitchenware」:http://www.deandeluca.com/

チャイナタウンへ。今日の晩食は、チャイニーズレストランで。
日も暮れた。閉店間際の中華グッヅ店を横目に歩く。大きな通りの向こうは、リトルイタリー。中国とイタリアが、道一つ隔てて隣接しているのがすごい。K社長の話では、最近は経済的力関係で、チャイナタウンが少しずつ、リトルイタリーを侵食して行っているらしい。実際、イタリア語の看板の中に、漢字の看板がちらりほらり。街が生きているとはこういうことなのか。
目的のレストランに苦労して到着。
K社長に、今のK社長が今こうしてあるのは、どういういきさつなのか、たずねてみる。
1970年ころ、映画「ウッドストック」に感動して人生観が変わったこと。そこで、ヒッピームーヴメントに感化され、絞り染めのTシャツを作って売り出したところ、爆発的に売れたこと。それを元手に会社を始め、以来営々と人間関係を築き、ノウハウを磨き、情報を集めてきたこと。
成功者に特有の押しの強さと、それとは相容れないように思える繊細で素直な感性が同居している印象。行動力と直感がほどよくブレンドされている人というべきか。
K社長は、本当に音楽が好きなんだ、とひしひしと感じる。だからこそ、ビジネスとしてしっかり音楽に付き合っていけているような。
K社長は、8歳ほど自分より年長らしいが、自分も8年後、これだけの情熱を持って、「音楽」ビジネスしていられるだろうか?
食後、またタクシーでシェラトンタワーホテルに移動。
ホテルのバーで、また、K社長と音楽ビジネス談義。
いろいろなアイディアと方策のヒントをいただいた。それを自分のモノとして生かせるか、世の中のために生かせるか。
そう、観光旅行でも視察旅行でもなく、研修旅行だったのかもね。
ウェリントンホテルに一人帰る。
テンションがあがっているのと時差で、また眠れない夜。
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