20050928 四国香川町・中国美作市・近畿舞鶴市
2005/09/28 10:06 イサム・ノグチ「タイム・アンド・スペース」@高松空港 「モエレ沼公園」のマスター・プランと同年の作 遺作と言ってよいものらしい
2005/09/28 10:07 「タイム・アンド・スペース」@高松空港にさらに接近
2005/09/28 10:15 「タイム・アンド・スペース」をバックに 何か不景気な顔に写っちゃった
2005/09/28 13:40 四国から本州へ 瀬戸大橋
29日午前一時、舞鶴港発のカーフェリーに乗るのを目的とした一日。
倉敷市で高速を降り、岡山市から国道53号線へ。御津郡建部町 - 久米郡久米南町 - 久米郡美咲町 - 津山市。
ここで、地図上では、近道に見える国道429号線を走る。津山市 - 美作市 -(兵庫県)宍粟市 - 朝来市。こちら に書かれているように、
「元々、主要地方道や県道だった道路を単に国道に昇格したもので、狭小区間や急勾配、急カーブなど、未整備区間が少なくない。大型車通行困難という標識を主に峠越え区間で見受ける。
各所で道路整備工事を進めているようだが、全線にわたって快適に走れるようになるのは相当先になる模様。」
というまさしくそういう道路だった。前日の、四国での、193号線体験の反省がまったく活かされていない。
走りきれたのは、まさに、ジムニー様様。
とはいえ、北海道の離島に生まれ育ち、その後は都市部での生活を続けている自分のような人間には、日本がどのような地勢の国なのか再認識するにはよい道行きだった。
日本の山間部に暮らした人間には、昔は山を越えて隣りの村落に行くのは難事業で、一生を谷あいの小さな村で過ごして終える人がいた、というような話を、柳田国男がどこかで書いていたように記憶する。車で走ってみて実感。自分の村で暮らしが立つのなら、なんでわざわざ命にかかわるような苦労をして、隣り村を見なくてはならないのか。
美作あたりの家々や町の佇まいは、歴史と伝統と蓄財を感じさせるに充分で、この山間で何百年も営々と人が住み続け、この土地ならではの豊かさを作り出してきたんだろうなあ、となんだかじーんと来てしまった。良い面、悪い面、両方あるだろうことも、想像がついて、旅人・通過する人間として眺める分にはいいが、自分には住めないだろうなあ、とも思った。
この百年間の間の、モータリゼーション・マスメディア・コンピュータネットワークの浸透は、怒涛のハリケーン・台風・地震・大津波の集合来襲のようなものであったんだろうなあ、とも考えた。
いかに未整備区間とはいえ、車で走れないこと・ところはいまどきそうない(台風で道がなくなった国道193号線は除く、笑)。現に、世界中、どんなに遠い場所だろうが、海の彼方の向こうだろうが、車の走っていない土地はいまどきそうない。現に、わがジムニー「白ゴリ号」でさえ、北は利尻島・稚内から、南は高知県東洋町、西は坂出・倉敷(あたりか?)まで、走りに走っているわけである。
美作は宮本武蔵の生まれ在所で、しばし幽閉されたいたのだろうか、ゆかりの牢跡なんかも429号線沿いにあったのだが、そんな場所でも(逆に言えば、北の利尻島あたりでさえも)、1958年周辺に生まれた人間は、1966年当時、TVで、まだ学生さんだったらしい石坂浩二氏のナレーションで「ウルトラQ」を見ていたわけである。ラジオ・TV普及以前に、美作あたりの人と利尻島あたりの人を無作為抽出して、一つの部屋に入れたら、ものの五分もたたないうちに話題は尽きたことだろう(その前に互いの方言が理解できないということもあろうが)。そこで話を持たせるのが「教養」というもので、その二人がもしも偶然にも互いに「教養人」であれば、話は盛り上がったはずで、昔は「教養」がコミュニケーションツールだったのではないか、と自分には思われる。
となると「ウルトラQ」体験があれば、1958年周辺生まれの、美作生まれの人と利尻島生まれの人の間には「教養」が必要なく会話が可能になることで、それは実はものすごい変革なのではないか。
そして、コンピュータネットワーク。いつ美作あたりの人が、このページこの記事を発見しないとも限らない。見つけられた瞬間、美作と利尻島が繋がってしまう。
そんな狭い谷間の中で、怒涛の100年以前の歴史を主に背負った世代と、ケイタイ世代が、同居しているのである。前時代人は、そのへんの風土・風景が、天国のように感じられて暮らしているだろうが、新時代人には、地獄のように退屈に感じられることだろう。過疎化は間違いなく進む。だれも地獄に住みたいとは思わないし、自分の子を地獄で多く産もうとは思わない。
郵政が民営化されようがされまいが、郵政が必要ないほど過疎地の過疎化とネットワーク化は進む。
でもまあ、完全な天国も完全な地獄も、どこにもない。ということは、予想はできる。
モータリゼーション・マスメディア・コンピュータネットワークの浸透は、歴史風俗を変容させもしたし、不幸も幸福も平準化させてしまったわけだから。
そういう状態こそが不幸なのだ、という人には、おかわいそうに、というしかない。
朝来市に入るころには、すっかり日も暮れて、さすがに429号線に付き合う気もなくなり、国道312号線から国道9号線(コンビニ・ファミレスの懐かしくも暖かい景色!)に入り、福知山から国道175号線に入り、舞鶴市到着。
午後一時、香川県香川町を発ってから、8時間経過。
イサム・ノグチ「タイム・アンド・スペース」見物に始まって、「タイム・アンド・スペース」を体感し、考える一日だったのか。
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