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20051008 未映子・『頭の中と世界の結婚』・純粋悲性批判

 2005年9月24日、大阪で、未映子さんというアーティストと出会いました。

 その日は、こんな日
 この心斎橋・三角公園でのライブ終了後、出演者・関係者控え室で、タルバガンの二人とともに、未映子さんと、しばし歓談できました。



 未映子さんの新作CD『頭の中と世界の結婚』、聴いてます。良いです。

 特設ページ:http://www.mieko.jp/blog/files/atamanonaka.htm

 まず、言葉。
 未映子さんご本人が言ってましたが、表現は「言葉」から始めたとのこと。このCDでもまず、その言葉が、耳に入ってきます。
 題名の『頭の中と世界の結婚』、そしてキャッチコピーの「人は憎むし叫ぶし歌うし許す、悲しみなんかじゃ死ねません。」を見てもわかるように、歌詞の中に「文学少女」臭のする、ややこしい単語は皆無。外来語・カタカナ言葉も(コンピュータの)「キー」、ただ一つ。
 しかし、どの曲でも、その言葉は、「文学」として成立してます。
 日常語の積み重ねで、作られた非日常の「未映子」というアーティストの世界。
 エロい言葉を使っているわけではありませんが、結果として、エロティック。未映子さんという生身の人間の肌触り・息遣い・体温が感じられる言葉になっているのです。

 そして、旋律。
 全曲、未映子さんの作詞・作曲ですが、曲を作るにあたっては、歌詞が先で、それにメロディをつけていくのだということでした。
 これが、その歌詞の世界と対するように、細部は、実に、メロディアス・キャチーであったりします。それで、歌詞がありきたりの洋楽のメロディーに乗り易い日本語英語のものなら、ごくごく普通の曲になるのでしょうが、その言葉がなにせただものではないので、曲は落ち着くところに落ち着かず(つまりは、ああ、こんな曲、どっかで聴いたよねという感じがしない)、くねくねとこれまたエロティックに続いていくわけです。

 歌は、へたではありません。
 歌詞だけ文字で読んだなら、ぶつぶつ内向系のささやき声ボーカルを想像するかもしれません。しかし、よい意味で、その想像は裏切られます。
 声が、がんがん出てくるのが、爽快です。歌詞の世界とは、ミスマッチかとも思えますが、逆にそれが、未映子さんの個性になっているようです。
 今は東京暮らしのようですが、大阪生まれ育ちの関西のねえちゃん乗りが歌唱のなかにあって、とても好感が持てます。いまどき「文学少女」を気取ってくらーく頭でっかちに「文学少女」をやられたんでは、ちょっと迷惑ですが、未映子さんには「ああ、このこは、こんなこなんや。しゃーないなあ、応援したろ」という気分にさせる天性の「明るさ」・肉体性が感じられます。

 三角公園のライブでも、バック演奏の楽器は、チェロ二本にキーボードというあまり見ない構成だったのですが、CDを聴いて納得。チェロのトリオ「COTUCOTU」が、大フィーチャーされていて、これがぴたりとはまっています。
 CDプロデュースは未映子さん本人の名義になっていますが、自分の楽曲には、この人たち、ということで、このCOTUCOTUを起用したのなら、プロデューサとしてもただものではないと思います。へたなプロデューサなら、その歌詞世界ゆえに、中途半端にフォーク系アコースティックものにしたり、過剰にアバンギャルド・インプロ系にしたり、ということになりかねないのでは。
 実になかなか、その「言葉」の世界のとんがり具合とは対照的に、バランス感覚に優れている印象を受けます。
 複雑ですね、未映子さんは。もしかして、すごく戦略的な人なのかもしれない。
 ので、最後の二曲は、ギターサウンドになってしまってて、ちょっと残念。最後まで、COTUCOTUで聴きたかった。三角公園のライブでは、「人は歌をうたいます」もチェロで聴けたように記憶してますが、良かったです。

 なるほど、あまたいる日本の女性の歌い手・作り手の中から、ちゃんとメジャーデビューすることになっただけのことはあります。
 まぎれもなく、才能と個性がありますから。

 ただ、この人は、プロパーの音楽家としてやっていくこともないんだろうなあ、という気もします。
 すでに、今現在も、三角公園近くのお店で個展をやったりで絵も描く写真も撮る、二人芝居(脚本も書いているらしい)に役者さんとして出たり、と、能力とやる気にあふれている(あるいは、そういう運命なのだ、ということなのかも)ようです。

 そして、どこに行っても、なにをやっても、いつでも自分のもののようでいて、でも決して完全には自分のものにはならない、「言葉」と格闘・奮闘していくことになる。と、勝手に想像してます。

 その格闘・奮闘の様を、ずっと見守っていきたい気になっている、田原なのでした。
 これってもしかして、「ファン」ってこと?

 ブログ「未映子の純粋悲性批判」。
 未映子さんの、格闘・奮闘の基礎資料・必読記録です。


 5曲目「僕はもう、うきうきしない」。久々に、自分の十代のころの、あの感受性だけで生きていた時代を、思い出すではなく、追体験するような感覚になりました。
 歌詞の最後の三行、泣けます。
 泣いてさっぱりして、元気に大人するぞ!

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