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20060220 利尻島で漁師・ではなく・今ここで

 改めて考えると不思議な気持ちになるが、自分が生まれた時将来なるだろう職業として真っ先に考えられたのは、「漁師」だった。

 利尻島の田原家は1905年に「仙法志字御崎」に居を定め、以来父が亡くなる1999年まで代々その地で漁業を営んできた。

  
  実家横から見る、利尻山 2006/01

 父は1931年生の「本家の長男」。ぼくはその第一子で1958年生。

 父はなぜ跡を継げと言わなかったのか?

 一つは、おそらく「職業の選択肢」の問題だろう。

 父の世代は戦前の家族制度の中で、生地で生業を継ぎ一生を終えるのが常道だった。

 それに対してぼくは、1974年高校入学のため島を離れ、以来戻っていない。

 そのとき札幌に出たぼくには、無限の選択肢があった。

 父母祖父母は、そのことに、子の孫の未来を預けたのだと思う。

 北の孤島で、漁で生計を立てるのはつらく厳しい、それしか選び取れないのはあまりにかわいそうだ、と。

 で結局、自分は何を選んだのだろうと改めて考えると、また不思議な気持ちになる。

 中学を出て漁師になって、そのまま続けて(続いて?)いれば、今頃その道三十余年のベテラン。
 それは本当に不自由なことだったのだろうか?

 職業選択の自由はまた、独立独歩でやっていくなら、新しい場所と人間関係と技術を、一から開拓・開墾しなければならない、ということでもある。
 そしてそれは、なかなか困難なことだ。

 さて、2005年から、北海道の田原家の二世紀目が始まった。

 「自由」を活かし切るのは難しいけれど、後に続く者たちのためにも、やらなきゃね。

 先に逝った者たちが残してくれた「自由」なのだし。

  

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