« 20060603 アラブ打楽器ダルブッカ・奏者ノミヤタカコさん・札幌で | トップページ | 20060609 ドイツ!・ドイツ!・ドイツ! »

20060604 1980・YMOヨーロッパツアー・ジョンの死

 「田原書店」 http://www.booxbox.com/tahara/ に、1980年前後に発刊された雑誌類4冊をアップ。

■ 「Adam & Eve」 創刊号 SPRING 濤書房 1976/03
 特集[絵ごよみ]吉田光邦/草森伸一/加藤登紀子/岡田芳朗/とじ込み付録[大小暦 享保十年役者評判記]//虫明亜呂無/日下実男/オキ・シロウ/湯村輝彦とフラミンゴ・スタジオ

■ 「われらはいま、宇宙の散歩に出かけたところだ 「遊」 野尻抱影稲垣足穂★追悼 臨時増刊号」 工作舎 1977/12
 企画・構成:松岡正剛 アート・ディレクション:羽良多平吉/デザイン:戸田ツトム・羽良多平吉 堀内邦彦/萩原幸子/松岡正剛/鈴木翁二/まりの・るうにい/高橋康雄/荒俣宏/草下英明/楠田枝里子/あがた森魚[星の住む郷]/[クシー君の発明]鴨沢祐仁/[生命の内と外]赤瀬川原平

■ 「ジョン・レノンを抱きしめて ミュージック・マガジン増刊」 ミュージック・マガジン社 1981/03
 篠山紀信/横尾忠則/沢田研二/亀渕昭信/グリール・マーカス/三井徹/山川健一/湯川れい子/矢野純一/上野昂志/中村とうよう/ボブ・グルーエン/筑紫哲也/平岡正明/日暮泰文/大鷹俊一/竹村淳/藤田正/相倉久人/かまやつ・ひろし/小島武/キャロライン・デイル/小倉エージ/浜田哲生/北中正和/石坂敬一

■ 「OMIYAGE」 YMO写真集 GORO特別編集 小学館 1981/04
 アートディレクション:奥村靫正/編集:島本脩二 [細野晴臣の虫歯治療/坂本龍一、明治神宮初詣で/高橋幸宏の磯釣り/YMOの全機材/ワールド・ツアー'80 -オクスフォード-バーミンガム-マンチェスター-ロンドン-サザンプトン-ハンブルグ、ロッテルダム-ストックホルム-パリ-ロサンゼルス-ニューヨーク-/[村はYMO・by 谷岡ヤスジ/『BGM』全歌詞(訳詞)紹介]]



 田原書店開店からちょうど二ヶ月。
 自分の蔵書を手放すところから初めて、まだそれが続いている。なんだか自分の過去・過去の自分とあらためてはからずも向きあうはめになっていて、ちょっと複雑な気分。

 「Adam & Eve」は、創刊号が出てだけで続刊なしで終わった模様。
 綺麗な造本で、特集にも力が入っていて、カラー図版も美しい。でも結局何を世に出したかったのか、はよくわからないという、不思議な本。
 その中の、虫明亜呂無さんの短辺小説「アネモネ通りの午後」を読む。
 虫明さんといえば、スポーツ小説の名手として名高く、没後、何冊かアンソロジーが出されている。特に自分には、「ペケレットの夏」という短編の印象が鮮烈。実は、それを読んだ当時(高校生だった)、その舞台である札幌北区のペケレット沼からそう遠くない場所に住んでいて、湖畔に足を運んだこともあり、その沼の佇まいが見事に描かれていたことに驚嘆した記憶がある。
 「Adam & Eve」が発刊された1976年3月といえば、田原は高校二年生の三学期。十七歳。
 「ペケレットの夏」の読後感を抱きながら、「アネモネ通りの午後」を読んだのかどうか。どうももう覚えていない。
 三十年後、それを読んでみて、もしヤング田原がそれを読んでいたとしても、十七歳(童貞)には作品の核となる部分は理解不能だったろうな、というのが今の感想。四十七歳になって読んでみると、「嘘っぽい話だなあ」(実際、嘘なんだけどさ・・・)というスレタ印象しか抱けないのがなんとも・・・。
 「ペケレットの夏」が今無性に読んでみたい。

 「われらはいま、宇宙の散歩に出かけたところだ 「遊」 野尻抱影・稲垣足穂★追悼 臨時増刊号」。
 これは値打ちあります。稲垣足穂ファンなら是非というコレクターズ・アイテム本としての歴史的な価値があると同時に、今だ内容的にもまったく古びていない感じで、新刊として世に出しても、確実に一定の読者を持つだろうと思われます。
 松岡正剛さんてやっぱりすごい。羽良多平吉さんのアートディレクションも秀逸。何を世に、どういう形で出すべきか、極めて明確。
 この本の執筆者だった鈴木翁二さんやあがた森魚さんとは、その後お会いする機会・関わりも持つことになるわけで、縁とは不思議なもの。
 1977/12といえば、田原は、高三の二学期? 「宇宙の散歩」より「受験間近の勉強」が優先されるべきだったんだろうが・・・。「一千一秒物語」の影響も色濃い、鴨沢祐仁さんの「クシー君の発明」を何度も読み返して・見返しては、時間を過ごしていたに違いない。
 
 「ジョン・レノンを抱きしめて ミュージック・マガジン増刊」 ミュージック・マガジン社 1981/03
 発刊時期を見てもらえばわかるように、前年12月ニューヨークで殺されたジョン・レノンの追悼本。
 1980年12月、田原は、二年間の札幌での浪人生活の後上京、東京の大学の川崎の分校に通う大学二年生だった。ジョンの死は、バイトの帰り、小田急線向ヶ丘遊園駅の改札を出て、舗道に落ちていた夕刊タブロイド紙の見出しを見て知った。
 自分がジョン・レノンなら今年で七回忌を迎えるという年齢になってみると、あのときあんなに衝撃を受けたことが夢幻のことのようにも思える。ご多分にもれず、自分もジョンのファンだったんだろう。ていうか、今は、人が死ぬことに随分慣れてしまっている、のかもしれない。あの頃は、自分が死ぬなんてことにも想像すらつかなかったんだろう。
 編集は、中村とうようさん。これもさすが充実の一冊。21世紀になってから、増補される形(ジョンの死が「こなれて」からの文章を大幅追加収録)で再版され、1981年当時のこの本の内容も意外と容易く読めるらしい。そちらは未読。
 そういえば、三十年経って、そのとうようさんに、自分のプロデュース作品をレビューしてもらうこともできるようになったというのも感慨深い。自分で作品を世に出すということは、他人の死にセンチメンタルになる心の余裕もなくなり、自分の死期を射程・計算に入れての作業・活動を淡々と続けるということなのかもしれない。
 のでまあ、その途中で突然殺されるのはかなわん話だと、ジョンの死のジョン自身にとっての痛恨を、変な感傷を挟まず切実に感じている自分がここにいる。

 「OMIYAGE」 YMO写真集 GORO特別編集 小学館 1981/04
 これは、プレミア本になっているみたい。
 あこがれのお兄さんたちも当時は三十歳前後で、写真を今見ると、若い若い。とても老成した人たちのように感じていたのだけれど。
 故・谷岡ヤスジさんの漫画(5ページ、フルカラー)が入っていて、これが傑作。題名は「村はYMO!!(そんはワややがなモウ)」。村(そん)の牛(たち)と、YMOのお三方が登場(谷岡さんのところには正面からの写真資料しか渡っていないらしく横顔が描かれない、笑)。この5ページがなければ、写真集としての奥行きも、YMOというアーティストの奥行きも、随分損なわれたのではないか、と思えるくらい。

 さて。
 この4冊とも、田原の引越に合わせて、東京圏・関西圏・利尻島・札幌圏と、その居場所を移動してきた。
 自分が高校生・大学生だった当時の小遣いの額を考えれば、この手の本を買い続けている(結局、エロ本とかビニ本、笑、エロビデオとかを買わないで終わった・・・)人間は少し変かも、と最近やっと自己認識するようになった。
 挙句、古物商の許可申請をとって、値段をつけて売りに出すというのも、どうかしていると言えば言える。天職だ、ともいえますがね、確かに・・・。

 なんで手放す心境になっている・なったのか。
 考えるに。
 自分が感傷をこめて死蔵してそのまま死んでしまい、その本の「意味」のわからない遺族に「BOOKOFF」に運ばれて裁断処理というよりも、生前、「意味」のわかる人のところに「意味」のある価格で渡っていくのが、自分にとっても新しい所有者にとっても本にとっても、もしかしたら世の中にとっても、「意味」のあることかなあ、と思っている自分がいるわけで。

 そして、そんな本たちを通して、新しい出会いが生まれることのほうが、私物化するよりよっぽどいい。
 と思っている自分もいるわけで。



 備忘録。
新日曜美術館
 「時代の顔をつくる~建築家 丹下健三の生きた道~」
午前9・00~10・00
(再)午後8・00~9・00
 昭和を代表する建築家・丹下健三(1913年~2005年)。広島平和祈念館(1949年)、東京オリンピック総合競技場(1964年)、大阪万国博覧会(1970年)、新東京都庁舎(1991年)、と代表作を見るだけで、丹下が戦後の日本社会とともに歩み、それぞれの時代を象徴する建物を作り上げてきたことが分かる。しかし、こうした国家的なプロジェクトを実現するためには、幾多の苦境を乗り越える必要があった。
 西洋モダン建築の先駆者コルビュジエに心酔していた丹下が、戦時中、国粋主義者に受け入れられるプランを提案したことは、戦後になって日和見主義と批判的に語られた。広島では、都市のあり方を変えようとした丹下の計画が、焼失した町にこだわる住民たちの反対にあった。東京オリンピックでは予算の壁が立ちはだかり、新しい都庁舎は「バブルの塔」と揶揄(やゆ)された。それぞれの時代の要求や軋轢(あつれき)に譲歩しながら、丹下は建物の実現に漕ぎ着けたが、「建築は見る人に感動を与えるべき」という理想を曲げることは決してなかった。
 番組では、激動の時代、柔軟かつ屈強な精神で一つの理想を貫き通し、人々の心に残る建築を作り上げた丹下の生き様を、丹下が残した建築物と生前の肉声テープ、丹下の弟子やライバルの証言、そして生前の丹下が唯一伝記を書くことを許した建築史家、藤森照信の解説をもとに明らかにする。
NHKオンライン ホームページ http://www.nhk.or.jp/ より


|

« 20060603 アラブ打楽器ダルブッカ・奏者ノミヤタカコさん・札幌で | トップページ | 20060609 ドイツ!・ドイツ!・ドイツ! »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 20060604 1980・YMOヨーロッパツアー・ジョンの死:

« 20060603 アラブ打楽器ダルブッカ・奏者ノミヤタカコさん・札幌で | トップページ | 20060609 ドイツ!・ドイツ!・ドイツ! »