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20070113 賢者の言葉・小泉文夫・記念講演「音楽の根源・生活と音楽」より

  






 「(前略)そこで、チューレ文化の人たちが、どうしてリズム感がいいかをお話しなきゃならないんですが、チューレ文化――鯨文化の人たちの歌を聞いていただこうと思うんです。夫婦が一緒に歌を歌っています。こういうことがありました。私が録音していたら、「いま歌ったのは間違っちゃった。そのテープを消してください」。テープレコーダーというものは、消せばまた元どおりなくなってしまうということを、エスキモーはちゃんと知っているんですね。だけれども、そのテープを消してしまいますと、後で研究に困るんで、つまりどこが間違ったのかを調べたいわけです。私はその間違ったところを気がつかなかったんですから。「東京へ帰ってからゆっくり研究してみたいので、消さないで先を歌ってください」。そしたら「いや、間違ったからだめだ、また新しく歌う」というんです。「あれが消えてなくなってしまったから大丈夫だ、だから新しく歌ってくれ」とうそを言うと、変な顔をしていましたけれども、まあいいや、というわけで歌いました。
 東京へ帰りましてから調べてみると、やっぱり一ヵ所間違っていました。ほんのちょっと、だんなさんと奥さんの声がずれているところがあった。それが我慢できないというんですよ。夫婦で歌っている歌をお聞きください。とてもむずかしいリズムです。シンコペーションといいまして、拍子から全部声がずれている。パーン、パーン、パーンといかないで、ンパ、アップ、アップとずれているんですね。ずれているんですが、二人が同じようにずれていてピタッと合っているんです。シンコペーションのかなり高級なリズムで、二人ともよく合っています。[音楽]
 お聞きのように、拍子がピタッと合っているんですね。この人たちが何年間ぐらい同棲していたのか、よく聞きませんでしたが、こういうことは、鯨エスキモーだったら当り前のことです。夫婦だけではなく、村の連中がみんな集まって一斉に歌うときでも、全部が見事に合っているんです。こういうリズム上の見事な一致は、実は彼らの生活と密接な関係があります。鯨をとっているエスキモーは、鯨のとり方にもよるんですが、普通は一年に二度しかチャンスがないんです。湾の中に鯨が入ってきますと、鯨も哺乳類ですから息を吸うために頭を出します。それを見て、村中のエスキモーが出ていって、湾の入口を閉めちゃうんです。中に閉じ込められた鯨は、氷の割れ目から頭をちょっと出して、息を吸ってまた引っ込んじゃうんです。そのときに、タイミングより一斉に攻撃して、鯨をやっつける。全部氷が解けちゃっていたら、どこでも息をするところがありますし、全部氷が張っていたら、逆にどこからも頭が出てきませんから、鯨をとることはできない。ちょうどいいぐらいに氷が破けている時期は、一年に二度しかないわけなんです。そのときに鯨をつかまえる。
 実際は鯨族でも、カリブーの方が好きなんです。カリブーの肉は、まことにおいしいものです。エスキモーはカリブーの後を追って生活をしていったわけですが、しまいにはカリブーが東の方までいってしまって、いなくなってしまった。そしてとり残された」エスキモーたちは、たくさん飢えて死んでしまったと思うんです。しかし、鯨をとったエスキモーだけが生き残った。一匹つかまえただけでみんな食べられる。お腹いっぱいになるばかりじゃなく大量の脂を提供する。皮でも、ひげでも、内臓でも、骨でも、利用価値はいっぱいあります。したがって、鯨をつかまえることを覚えたエスキモーは、それによって文化が飛躍的に向上し、生き長らえることができた。鯨をつかまえることができなかったエスキモーは、死んでいったんです。
 彼らは、鯨が来ないときに、歌を歌って、リズムをそろえ、一緒に働く訓練をしているんです。タイミングよく、リズムをそろえて一斉に仕事をしなければ、生きていかれない状況に置かれたとき、人間は初めてリズムを学んだんです。それまでは、バリ島のカエルと同じだった。一緒に生まれ、一緒に食べ、一緒に飢えて、一緒に死ぬ運命にあるから、彼らは一緒に歌わなければならなかったのじゃないか、私はそう思ったんです。
 でも、これを証明するのはむつかしいですね。北極のエスキモーには当てはまるけれども、ほかの民族には当てはまれないかもしれない。しかし、エスキモーとは全く違う状況の中で暮らしている人たちでも、同じように、人間が生きていくために拍子をそろえることが必要だという条件がなければ、一緒に歌を歌わないというのであれば、私の考えついた法則を「人類の法則」だと、少し大げさに言うことができるかもしれない。

(中略)

 先ほど来、私が疑問に思っていた問題ですが、歌を歌えば仕事ができなくなってしまう。一生懸命仕事をすれば歌が歌えなくなってしまう。なぜ、それを仕事歌と呼ぶか。この秘密もはっきりわかるときがきました。一度韓国に行きました。朴大統領の奥さんがピストルで撃たれて殺害された事件の前でしたので、車で韓国に行くことができたんです。そのときに、田植えをしている人たちがいたんです。その人たちに「田植え歌など歌いますか」と聞くと、「歌います」と言うんです。「仕事をしながら歌ってください」。「はい、仕事をしながら歌います」。そうしたら、仕事をしながら歌うと言ったのに、その人は、手を洗って、あぜに立って歌い出したんです。約束が違うな、この人はやっぱり日本語がわかっていないのかな、私の言い分が悪かったかなと思っていましたら、そうじゃないんです。その人は音頭取りだから、仕事をしなくてもっぱら歌えばいいんです。そして下を向いている人たちが、それに合わせてコーラスを歌うんです。ソリストは上を向いて歌っているんです。これはなかなかいい分業だなと思いました。
 そういえば私も、働く人はもっぱら働かせて、歌う人はマイクロフォンのそばで歌を歌って、両方の音が入って、「仕事歌」というラジオの放送を何回かやったことがありますが、その分業が初めから行われているんです。そういうやり方で、実は仕事歌、民謡は離陸することができるんです。地面にべったりとくっついている間は、民謡というものは、決して音楽的に豊かに、美しく、芸術的に発展していくチャンスはないんです。仕事の一部分ですから、仕事のかけ声から一歩も出られないんです。仕事から何らかの意味で足が離れていかないと、本当の民謡にはならない。つまり音楽にはならないんだと思います。

(中略)

 仕事歌の大部分は、本来仕事をするときに歌うものじゃなくて、仕事をしないときに歌うものだということもわかりました。つまり、仕事をするときは一生懸命仕事をすればいい。しかし仕事をしたくてもできないときや、あるいは仕事が終り、足も手も洗ってうちの中に入ってきているときに、友達が来て一緒に酒を飲んだりする。そんな時に歌を歌う。私たちはいま仕事がきらいで、仕事がないときはレジャーだといって遊びに行ったりして、労働時間は短い方がいいと思っていますが、昔の日本人はそうじゃないですね。仕事が生きがいであり、仕事をしているときが一番楽しいわけです。仕事はもっとやりたいんだけれど、いつでも仕事ばかりしているわけにはいかないものですから、仕事をするかわりに歌うのが仕事歌だった。
 本当は歌をいくら歌っても仕事ははかどらないんですが、歌を歌うと、仕事がはかどったような感じがする。たとえば「ソーラン節」を歌うと、ニシンなんか一匹も来なくても、ニシンがいっぱい来て、たくさん魚がとれたような気分になるという願いが込められているんですね。ですから、私は今では、仕事歌というのは、何も仕事と一緒にやる必要はない。それがかえって仕事の妨害になってしまう。問題は、それを歌うことによって、仕事がはかどった気分になればよい。それが人間の生きがいなんだなと感ずるようになりました。」

 「民藝」 第三百三十一号 (日本民藝協会、昭和五十五年七月一日発行) 16p~22p 掲載
 「第三十四回日本民藝協会全国大会」(東京 昭和五十五年五月十日)における、小泉文夫の記念講演「音楽の根源・生活と音楽」の一部を引用



 民藝 * *
 小泉文夫 * *

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