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20070121 賢者の言葉・鶴見俊輔・記念講演「思想史上から見た柳宗悦」より

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 「(前略) 柳宗悦の民藝運動は広くなって、いま国際的な広がりを持っています。そして、「渋い」とか「地味」という言葉を、日本語を知らない人も言うんですよ。「これ、渋いね」というようなことを、英語の中に入れたり、フランス語の中に入れたりして、結構使っている。外国語の論文の中にも出てくるんです。そういう民藝用語が、西洋文化圏――ヨーロッパ、アメリカの文化圏の中で、国際化したといえるんですよね。だけれども、その国際化に安心してはいけないという気がします。
 もともと明治ゼロ年には、日本は世界列強の一番端にいたんです。ロンドンのバッキンガムパレスに行く日本公使館の車は、世界の国々の公使館、大使館の馬車の中で、一番ぼろだったといわれておりまして、そういう不安定と貧乏の底から立ち上がった国なんです。ようやくヨーロッパ諸国と同列となったときに、柳はそれまで日本の手本となってきたヨーロッパの近代の藝術から目を転じて、朝鮮の日常雑器に目を向けた。それから日本の内部では、沖縄の伝統に目を向けた。
 昭和十五年に柳宗悦は沖縄に行って、沖縄の言葉を守るべきだと言って、警察に引っ張られますね。そのときに柳が言っているのは、「この土地の言葉は守らなきゃいけない。ダンテが世界的な著作を書いたのは、その土地の言葉によってであった」。沖縄の言葉とダンテを結びつけるのは、異様に感じられるんだけれども、そこに柳宗悦の独自の世界性があるんですね。その世界性は、地方性に依拠するものだったんです。これを昭和十五年に言うということも、非常に独創的なことであって、また、日本の思想全体に立ち向かう重要な契機だった。ほかのだれがそのことをなし得たかと思われるほど、大切な発言なんです。
 いまは、昭和十五年の、日米開戦でつぶされる前の日本と似ている。また明治三十八年に日露戦争で負けることを免れて、世界列強の一つとなったときの日本にも似ています。経済的な繁栄の中で思い上がってしまって、カネの序列で何でも見当をつけていく時代のまっただ中に私たちはいます。
 こういうときに、「渋い」とか、「地味」とかいう言葉が、アメリカでもフランスでも用いられるようになったからといって、日本趣味の国際化ということに甘んじてはいけないと思うんです。
 柳さんが晩年に、「日本の眼」ということを説かれて、「日本の眼によって、世界の文化を再評価する」というふうに、民藝運動の未来について書かれたこととか、明治三十八年に少年の柳さんが始められた方向とか、そして、あの戦争の真っただ中の昭和十五年に、柳さんがはっきりと沖縄文化について言われたこととか、そういう方向に立って考えてみるならば、いまは、本来の民藝が、日本を含めての先進国を離れて、先進国に原料を提供している、もっとおくれているといわれている国々のほうにあるということを、さまざまな土地の暮らしの中にあらわれているということを、はっきり認めるべきではないか。
 民藝運動が、現在の欧米人の日本趣味を広げることは悪いことではありませんが、それに心を奪われるできではないので、柳さんの経歴そのものから示唆をくむならば、違う方向を目指すべきではないでしょうか。
 『民藝』を読んでみると、去年の大会で講演されたのは小泉文夫さんですね。小泉さんは、交響曲などの体系的な近代ヨーロッパの音楽だけが重大な音楽ではないと考えて、世界各地の音楽を採集して回ってこられた先覚者なんですけれども、小泉さんによれば、断片のように残っている、アフリカ、アジアの暮らしの中の音楽が重大なんだということでしょう。そういう見方と響き合うものを、われわれは持ちたい。それは民藝運動内部にも持ってほしいし、私は自分の中に持ちたいと思っているんです。文化人類学の中にも、そういう動きが起こってくるべきだと思います。
 文化人類学の中にも、フランク・クッシングという先駆者がおります。その人は、ズーニ族の研究をやっているうちに、しまいに英語で発表するのをやめてしまって、ズーニ族の祭司になってしまった。ズーニ族の知恵そのものが彼の中に流れ入って、そのように暮らしている。そういう人がいるんです。その文化に対する敬意を、彼は持つようになった。
 このような眼を、柳宗悦は日露戦争勝利以後の日本で持ち、それを日韓併合以後も保ち続け、日本が中国との戦争を始めた後も保ち続け、その戦争の最高潮の時期――日本がまた景気がよかったし、勝てると思っていた昭和十五年に沖縄に行って、自分の考え方をはっきりと提言した。この姿勢から学びたいと思います。」

 「民藝」 第三百四十三号 (日本民藝協会、昭和五十六年七月一日発行) 14p~27p 掲載
 「第三十五回日本民藝協会全国大会」(東京 昭和五十六年五月十六日)における、鶴見俊輔の記念講演「思想史上から見た柳宗悦」の一部を引用



 鶴見俊輔  * wiki  *
 柳宗悦  * wiki  *


  「新日曜美術館」は、特集「華麗!迫真!役者絵の世界」。
「 19世紀半ば、パリを中心に突如巻き起こったジャポニスム。きっかけは、日本から海を渡った浮世絵だった。往時の熱中ぶりを伝えるのが、パリにあるフランス国立ギメ東洋美術館。一大東洋美術コレクターだった実業家エミール・ギメによって1889年に設立され、世界でも指折りの浮世絵コレクションを誇る。今回、その中から選りすぐりの名品190点が日本に里帰りする。鈴木春信、歌麿、北斎、広重ら巨匠の作品を網羅し、かつ保存状態が大変良いのが特徴だ。中でも、昨年発見された、北斎最晩年の傑作肉筆「虎図」の対である「龍図」が今回来日、世界で初めて双幅で展示されることになっている。
 最大の目玉は写楽。寛政6年(1794)に登場、10か月の間に140数点を制作し、突然消えた謎の浮世絵師。最高傑作である大首絵(全28図)のうち、7図が黒雲母刷りも鮮やかな状態でやってくる。
 番組では、これらの作品を通して写楽の実像に迫るとともに、歌麿・北斎らを見出し、吉原の貸本屋から一代で有数の版元にのし上がった蔦屋重三郎は、なぜ全く無名の新人を使い、豪華な役者絵を売り出したのか?大首絵の発想はどこからきたのか? なぜ、人気のない役者も含まれているのか? 美化されるのが通例だった役者絵に、なぜ敢えて残酷なまでの写実性を打ち出したのか? そもそも売れたのか? そしてなぜ、写楽は短期間の間に目まぐるしく画風を変え、その質・力量が低下していってしまったのか?
 当時の時代背景、作品自体の技巧・様式的特徴を改めて検証することによって、写楽誕生の謎を解く。」
NHKオンライン ホームページ http://www.nhk.or.jp/ より
 渡辺保 * さんがゲスト出演。

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