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20070218 賢者の言葉・杉浦日向子・対談二つ

 杉浦日向子 (すぎうら ひなこ 1958年11月30日 - 2005年7月22日)

   *



 「杉浦 引っ越しも非常にさかんで、しょっちゅう転々としていたんですね。有名なのが葛飾北斎の九〇回なんですが、あれは部屋が散らかるとかたづけるのもめんどうくさいから、次に移ったといわれているんです。
 他には、幕府の茶坊主で、百庵という人が百回転居したんだそうです。それが江戸ッ子の羨望の的になって、あれを破りたいものだとみんなが思っていたんですね。きっと北斎も残念だったと思います。
―― 日向子さんは何回引っ越しました。
杉浦 まだ二〇回ぐらいです。
―― でも、よくやってますね。
高松 あと八〇回(笑)。
杉浦 ちょっとむずかしいですね。
高松 江戸の絵なんかを見ると、必ず荷車で引っ越しをしている人がいるものね。
杉浦 地方の市史とか町市みたいなものを見ますと、昔の地図があって、家の並びまで細かく全部書き込んでありますよね。あれが今の町並みと全然変わっていないところなんかがあるんですよ、城下町で。あれはほんとうにびっくりします。同じところに何代も住んでいる。江戸で切り絵地図がとってもはやりましたよね。毎年出すんですよ。極彩色で見ても非常にきれいな絵図なんです。江戸の町全体の地図を部分、部分で拡大して切って売るわけです。で、一軒、一軒の名前が載るわけですが、結局、毎年発行しているんですから、いかに引っ越しが多いかということなんですよね。それがベストセラーなんです。
―― 町内住民表みたいなやつ。
杉浦 今でも不動産屋さんがもっている名前入りの地図がありますけれども、あんなちゃちなものでなくて、非常にきれいなんですよ。
高松 アート引っ越し速報ね。(笑)
杉浦 ひとつのアートとして貼っておいても、充分きれいなものなんですが、あれを発行していた須原屋と尾張屋という出版元は、それでほんとうにJTBの時刻表のように独占企業みたいな感じで儲けていたわけです。
高松 しかし、そんなものを毎年、毎年大量に出版して、紙は大丈夫だったんですか。
杉浦 紙は全部リサイクルなんですよ。何度でも使えます。回収率が百%に近いぐらい回収して、屑屋さんというと紙屑屋さんで、紙を回収して分類して全部すきかえたりして。
高松 でないと、そんなに紙の生産量ってないですものね。紙一揆なんかおこっていますからね。
杉浦 ですから、一番最初の上等な紙ですと、美濃紙とか、そういう紙なんですけれども、非常に高いんです。どんどん安くなっていって、無駄なく使っていたようですね。汚い話ですけれども、お年寄りなんか、鼻をかむと火鉢でかわかしてまたかむということをやっていたようです。
高松 それはありましたね。
―― 「あってね」って、やってましたか(笑)。
高松 なかった?
―― よっぽどないときは、ポケットにしまっておいたのをもう一回やるんだ、今ごろは(笑)。
高松 少しゴワゴワしているのを、ハードボイルドな気分でブッとやるんだ。
杉浦 でも、リサイクルはパーフェクトに近いぐらい、あらゆる面で行なわれていましたね。
高松 もちろん、着るものもそうですね。
杉浦 代表的なものが肥ですね。肥と引換えに農家から野菜をもらう。かなりいい値で近在の農家に売れたんだそうです。お金じゃなくてもちろん現物なんですけれどもね。下町の町人のほうが食い道楽で稼いだ分をぜんぶ食べちゃいますから、エンゲル計数だけの生活費のような感じで、だから下町の肥のほうがいいというんで、たくさん野菜がもらえたんだろうです(笑)。逆に、山の手の武士は質素なものを食べていたんで、緩いというので(笑)、いいものをもらえなかったんだそうです。
高松 水っぽいわけね。
杉浦 質素だったんでしょうね。大家さんは、店子がひとり増えると尻(けつ)が回ってきたといって喜んだそうです。着物もリサイクルで、古着がほとんどでしたし、新品のものを売っているのはごく一部です。リサイクル以上、着衣に関してのシステムは、レンタルが盛んで、生涯に二~三着しか持たずに暮らせるんです。損料屋というんですけれども、安い値段で借りていたわけです。身ごしらえをしたいときにはぜんぶ損料屋で、頭の先から爪先までそろえられるわけなんです。」

 高松伸(建築家)との対談「紙に肥尻も回れば利菜来る(かみにこえ けつもまわれば リサイクル)」より(聞き手:榎本了壱)。
 CREATIVE ABILITY MAGAZINE 季刊「コラボ」2号(1991年5月)掲載。

   *



 「杉浦 今の世の中は"若さ"と"速さ"と"強さ"にしか価値を置いていないから、老人の立場がなくて、みんな実年齢より若ぶって見せる。せっかく六十歳から夢のパスポートを手に入れられるというのに……。なんというか、今の人は幼いんですね。自主性がない。
小泉 自分を見誤っているところがあります。
杉浦 世間で流行っているから、地位の高い人が薦めているからいいんだということで、自分はどのへんにいるのかなということばかり気にしている。偏差値的です。そして何か都合の悪いことがあると、責任転嫁する。江戸の人たちは自分の第六感を信じていましたし、嘘が本当かを聞き分ける能力があった。嘘を鵜呑みにしていたら明日からの生活がなくなってしまうわけですから、人の言葉の言葉尻までしっかり聞き取り、裏の裏まで読み取りました。情報に躍らされないんです。今は食べることひとつとっても、自分が何を食べたいのか、何を飲みたいのか、自分の味覚とか五感を信用していないんですよね。
小泉 それが食文化が衰退する根源です。
杉浦 自分の健康にさえ責任を持てない。たとえば健康診断なんていうのは、趣味的なものであって、あってもまくてもいいものだと私は思います。
小泉 私もそれに大賛成。
杉浦 病気になるには、それなりの積み重ねがあっただろうし、それはそれとして受け入れたほうがいい。いまは、健康のためなら死んでもいいみたいな人が多いじゃないですか(笑)。でも、自分に責任を持って、いつ死んでもいいというような毎日を積み重ねるのが大人でしょう。つまり生きているのと死んでいるのとが、フィフティー・フィフティーで一緒なんです。裏表。
小泉 いいことを言うね。ふふふ。
杉浦 現代人は腹くくってないという感じがします。
小泉 命をかけていないというか。
杉浦 江戸の人はきっぱりしている分、自分の一生に責任を持っていました。それにものすごく個人主義で、お上に何も期待していないんです。「三日法度」って言って、幕府が何を発令しても聞いちゃいないですよ。自分たちで勝手にやっていますから。お上なんか関係ないから、俺っちは楽しくやろうぜという世界なんんです。「お上がやってくれない」と文句を言うのは、近代化以降の庶民です。
小泉 そういう江戸時代の庶民の姿は、なかなか正しく伝わっていないですね。みんな江戸文化を誤解すると同時に、軽く見ているんじゃないかしら。
杉浦 だいたい英語の片言がわかっても、古文書を読める人はいないじゃないですか。百年前の日本の文字が読めないというのはゆゆしきことです。たった百年ですよ。版木というのは活字と一緒ですから、すぐに覚えられる。やれば中学の三年間で全部読めます。でもやらない。
小泉 教育ですね。日本は、いかに自分の国がすばらしいかということを教えずに、歴史といえば大陸から何が渡来したとか大化改新がどうのこうのとかっていうことばかり。今、日本人が変なところにきちゃったのは、この五、六十年で日本文化を見誤ったからじゃないでしょうか。その話が出たからお話ししますければ、二十一世紀に入るというところで、非常に大きな四つの問題があるんです。環境問題、エネルギー問題、人間の健康問題、それから食糧問題。ところがこの四つを、江戸人は全部解決していたんです。
杉浦 そうですね。リサイクルもエコロジーも全部です。健康によい旬のものだけを食べるとか、添加物なしとか、当たり前ですよね。農薬もないしね(笑)。日本がもし百年間鎖国のままでいたら、エコロジー、リサイクルで世界のトップランナー、みんなが視察に来たでしょうね。
小泉 そういう意味からして、江戸学はこれからわれわれが二十一世紀へ一歩踏み出すときのバイブルになる。何も科学の知識のない世界で科学をつくった江戸人の生活様式を振り返るべきです。
杉浦 自給自足していたし、なぜ江戸は三百年間も平和状態で存在しつづけたのか、。しかも百万人も人口がいる非常に人口密度の高い町で、様々な文化を育みながらやっていたんですからね。
小泉 これはどこの文明国にもないことです。
杉浦 上下水道完備で、ものすごく清潔で完全リサイクル。もちろんゴミ問題は多少ありましたけど。
小泉 畑に堆肥をパーっとまいて野菜を育てて。葉っぱにくっついてるサナダ虫の卵が口に入れば、お腹の中で飼う(笑)。これが江戸時代は健康のもとだったんです。
杉浦 ダイエットにもなる(笑)。発酵食品もそうですが、すべてが共生なんです。雑菌ともうまく付き合っていく。持ちつ持たれつです。もちろん人間関係もそうです。だいたい江戸時代は、家賃だって「ある時払いの催促なし」ですから。
小泉 出世払いの世界ですね。
杉浦 さらに表通りに面していない所に住んでいる商人は納税の義務さえないんです。大家が払う。楽チンですよ。貧しいほど楽なんです。だから出世しようという気持ちにならないし、あんまり働かない(笑)。給料が上がらなくても、食うに困らなければ今のままでいいやって。」

 小泉武夫(発酵学者)との対談「野暮なことは言いっこなしで」より。
 「サントリクォータリー」64号(2000年9月)掲載。

   *



  「新日曜美術館」は、特集「岸田劉生のリンゴ~存在の神秘への挑戦~」。
「 画家 岸田劉生が日本近代洋画史の中で、ひときわ光彩を放ったのは「切通之写生」「麗子像」など、すぐれた風景画・人物画によってであった。しかし、生涯にわたって描き続けた静物画にこそ、この特異な天才の秘密をとく鍵が隠されている。それは、大正5年25才、結核の療養で戸外に出られぬため描いた静物画に始まる。
 壺の上にリンゴを一つだけ置いた「壺の上に林檎が載って在る」、等間隔に置かれた「林檎三個」など、破格で不思議な構図のリンゴの作品たち。「この絵を描いて僕は或る一転機を得た。リアリストとして一歩深く入ることが出来たのだ」と記した劉生が、その後38才で病死するまでの残り10年の間に描いた静物画はおよそ30点。そのうちリンゴの絵は半数の15点に及ぶ。
 劉生は対象の見たままを描くのではなく、「存在の神秘」を表現しようとし、それを「内なる美」と呼んだ。劉生はこうも書いた。「僕の描く林檎や器は中心から力がはりきっている。全く実物と同じ質の力がそこにこもっている」。
 明治の末、フランス後期印象派の影響下に華々しくデビューしながら、当時の近代絵画の時流に抗して、ひとり絵画史を遡上するかのように北方ルネサンスの細密描写の写実へと転じた劉生。その転機にリンゴの静物画があった。
 番組では、強烈な自我意識をもって自己表現した画家の振幅の激しい画人生に興味を持つ、詩人の佐々木幹郎さんが、彼の作品、文章、膨大な日記、関係者の証言などから劉生のリンゴの静物画の意味を探り、「存在の神秘」に挑んだその内面を照らし出す。」
NHKオンライン ホームページ http://www.nhk.or.jp/ より

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