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20070311 賢者の言葉・大貫妙子・トランクに荷物を

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 「ングリア・ロッジは突き出た丘の上にあった。花にかこまれたゲートをくぐり玄関口に車を寄せる。カラフルな色のトカゲが足下を走りまわり逃げて行く。ロビーを通り抜け外のテラスに出ると、目の前に広大な地平線がひろがっていた。高い丘のこの足下から遥か下方へ、さらに霞む地平線へと続く大地はさえぎるものひとつない、目も眩むほどの空間を誇っていた。意識をはたらかせていないと、いまにも吸いこまれてしまいそうなほどの魅惑に思わずたじろぎ後退る。

 私たちはあといくつの新しいことに出会い、いくつのことを知るのだろう。未知のものに出会う瞬間は、たとえおとなになったとしても赤ん坊が初めて目を開き、光の中で新しい世界を見たときのおぼろげでいて本能の中にそれが何であるかを確かめようとする、不可思議な時間に似ている。

 特別な空間に恋をするという事実は私を少し驚かせ、どんなに好きだからといって持ち帰ることのできない特別な場所のあることは、あたりまえでいて少し私を悲しませた。小さなものの中に秘められた無限の大きさを発見したときは、ある感動の胸さわぎをおぼえるものであるけれど、したたかさの片鱗すら持たず、眠くなるほど膨らんだ空間は、私を自由に遊ばせ束の間の夢幻へと誘う。

 太陽は空のいちばん高い所に位置していた。足下に影は無くなり、まっすぐな熱い矢がねぼけた頭上に降り注ぐ。この太陽が地平線を焦がし、ふたたびさんさんと輝くとき私のサバンナでの旅は終わる。

 物や事の印象は時の流れの中で徐々に風化してゆくようにもおもわれ、それはしかたのないことかもしれないが、別のなにかが知らぬ間に自分の中でむくむくと育っていく。何をきっかけにして自分が変わってきたか、更にいくのか、蒔かれた種の季節を正確に記憶することは難しい。ある時は長く沈黙し、ある時は何かに突き動かされるように行動する。そして自分をむかえるものが何であるか誰も知らない。

 アフリカの動物たちから生きる知恵を学ぼうとするには、私たちはあまりにもたくさんの手続きを踏まねばならない。まったく無駄の無い自然の営み、共存、生と死。そんなことはわかっている、今更そんなことは取り上げるまでもないことだ、と言ってしまえるほどの自信が私にはなかった。こころが我儘になると、それさえ自分の中から追い出してしまいたくなった。鎖のように繋がるさまざまな存在との関わりをたどるうちに、ついに遠いアフリカまで来てしまったことは意外でもあり可笑しくもあった。

 風の棲む丘を散歩し暫しの休息を終え、宿泊するキラグニ・ロッジへ戻る時刻がやってきた。車の容赦ない振動にもすっかり慣れ、茂みに隠れる動物の姿を見つけることにもだいぶ慣れた。覚えたての簡単なスワヒリ語をつかうことも楽しく、苦手だった昼寝も好きになった。」

 大貫妙子 『神さまの目覚まし時計』、「トランクに荷物を」より。

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