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20070513 賢者の言葉・永沢光雄・投稿写真

 永沢光雄 * (ながさわ みつお、1959年7月14日 - 2006年11月1日)。

 『風俗の人たち』 より「投稿写真」全文

*


投稿写真
「1993年7月 ●北海道南西沖地震で津波が奥尻島直撃、死者・不明者230人余。衆院選挙で自民党過半数を割る。
「ああいうのをいちいちヤラセで作っていたら金が幾らあっても足りねえよ」」



 深夜、私は自室の机の前で呆然としていた。

 奇妙な性的興奮と軽い吐き気のようなものに襲われ、頭の中はパニック状態になっていた。

 机の上には何枚ものいわゆる投稿写真と呼ばれるものが並んでいる。そして机の横のベッドの上に置いてある大きな紙袋の中には、別の写真が出番を待って息をひそめている。その数は全部で二百枚はある。

 「いやいや・・・・・・こりゃ大変な仕事を引き受けてしまったなあ・・・・・・」

 私は一人溜息をついた。

 『クラッシュ』の増刊号に『投稿通信』という一冊丸ごと投稿写真のオンパレードといった感の雑誌があり、掲載する写真に添える短い文章を書く仕事をそこから頂戴した。

 生の投稿写真を初めて見るわけではない。かつてエロ本の編集を担当していた頃、その雑誌にもそういうコーナーがあり、毎月読者から送られてくる写真を会社で眺めていた。その会社に勤めるまでは投稿写真なんてほとんどはヤラセだと思っていたので、実際に送られてくる写真を前にして驚いた。先輩編集者にそのことを言うと、「当たり前だろ。ああいうのをいちいちヤラセで作っていたら金が幾らあっても足りねえよ」と言われた。その頃には、エロ本の編集費の少なさや、一回の撮影にかかる経費ぐらいはわかっていたので、私は深く頷いたものだった。

 だから、今回の仕事を受ける時も、かつて知ったる、という軽い気持ちだった。今さら投稿写真ぐらいで驚く自分じゃあるめえ・・・・・・。

 誤算だった。袋いっぱいの写真をアパートに持ち帰り、やれやれとテレビのスイッチを押しウィスキーに氷を入れて飲む。テレビのニュースでは鹿児島での台風による被害状況を説明している。鹿児島にはつい先日仕事で行ったばかりだ。西鹿児島駅などまだ記憶に新しい所が水浸しだ。続いて細川総理大臣の初めての記者会見の模様が流れる。細川さんはアメリカの大統領のように手にしたペンで記者を自ら指名して質問に答えている。そのキザぶりに好感を持つ。

 やがて近所の焼き鳥屋に勤めている家人が帰って来た。二人で遅い夕食をとる。「今日も店はヒマだった」と家人が言う。やはり不景気なのだろう。夕食を終え一服して、私は隣の仕事場兼寝室に入った。

 さてさてと原稿用紙を広げ、袋から最初の何枚かの写真を取り出し机の上に並べる。写真はもちろん無修整である。女性の顔も股間もはっきりと写っている。

 女性は若く、なかなか美人。その彼女がどこか行楽地に向かうらしい電車の中で窓外の風景をバックに椅子に座りミニスカートをはいた足を開き、剃毛された性器を自分の指で押し広げている。投稿者は彼女自身である。写真は恋人である彼氏に撮ってもらったらしい。

 そういった写真が珍しいわけじゃない。会社にいた頃はもっと過激な写真を何百枚と見ていた。だが、私の胸は妙に高鳴った。原稿を書くのを忘れ、私は投稿者の写真を袋から取り出す。投稿者が街でナンパしたOLが、ラブホテルのバスルームで放尿しながらニッコリ笑っている。次の写真は夫婦だ。セーラー服を着せられた童顔の妻が、剃毛された性器を御主人のペニスに貫かれながら自動シャッターのカメラをとろんとした目付きで見ている。

 隣の部屋では、家人がセンベイをパリポリと齧りながら深夜のテレビのお笑い番組を見て笑っている。

 このギャップに私は興奮してしまった。今までは会社という、いわば公的な空間の中でしかそれらの投稿写真を見たことがなかった。周りの人間たちも当然だが仕事をしている。そんな中にあっては、一瞬、「オッ、こりゃ凄いな」と思ってもその劣情に浸ることはできず、周りの目を気にしてどこかで自分の気持ちにブレーキをかけていた。

 それが、日常生活を送っているアパートの狭い部屋で電気スタンドの灯りでそれらの写真を見ると、ブレーキはかからずストレートに私を直撃した。

 私は半立ち状態になったペニスを気づかれないように、テレビに笑い転げている家人の前を通り台所の流しで顔を洗うと、再び机に戻った。いちいち写真に興奮していたのでは仕事にならない。なにせ同じように生々しい写真が二百枚近くあるのである。

 私は、心を鎮めながら、原稿用紙に文字を書き進めた。

 こういった、あくまで写真重視のページの仕事は、先割りといって、レイアウターが先に写真の位置を決め文字数を決めて、ライターに回ってくる。編集者が私に電話で言った予定では、二日前にそのレイアウト用紙が私の許に届くはずだった。それが二日遅れた。お盆休みを前にしてレイアウターも忙しいんだろうと思っていたが、実際に写真を見ながら遅々としたペースで仕事をしていくうちに、レイアウターに漠然とした連帯感のようなものを私は感じていた。そのレイアウターの方はどなたが存じあげないが、もし独身であったり、結婚していても奥さんが何かの理由で留守にしていたとしたら、それは辛い作業であったろう。私だってもし隣の部屋に家人がいなかったら、シャープペンの代わりに他の物を握っていたに違いない。そして、一文字も書かないうちに何故か体がヘトヘトになり眠り込み、〆切から三日は遅れたろう。

 そのくらい、自分の家で眺める投稿写真というものは迫力がある。

 その撮影した場所が野外であれラブホテルであれ、その瞬間、そこは彼ら二人の寝室である。自分の仕事場兼寝室でそれらの写真を眺めていると、なんか寝室にいながら他人の寝室を覗いているようなリアルが感じがする。一人で机の前で思わず赤面なんかしてしまう。亡くなった寺山修司の芝居に『レミング』というのがあり、それは部屋と部屋を隔てる壁が消えてしまうというストーリーだったと憶えているが、まさにそんな感じである。

 よく、取材の帰りなどの夜に、東京湾近くの道路を車で通る。そこには幾つもの高層建築のアパートが立ち並んでいる。私はあの人工的な団地を目にする度に、今、この中で何人の人がセックスをしているのだろうと思ってします。

 また、地方に行った時に、夜の電車の窓からポツンポツンと家の灯りが見える。ふと、あの家ではどんなセックスが繰り広げられているんだろうと考える。

 そんな想像をすることは、旅や仕事に疲れた私のちょっとした気休めというか、頭のレクリエーションだった。決して見ることはできないがゆえに、私は自由に想像をして楽しんだ。

 だが、自宅で見た生の投稿写真は、その私の拙い遊びの答えを一挙に出してくれたような気がした。

 あんたが思っていた通り、いや、それ以上のことをみんなやっているんだよ。

 それにしても、一般の方々というか、皆さんは本当にスケベである。正直言って、よくぞここまでセックスを探求できるものだと、あきれを超して感動すら覚える。中には毎月五、六人の女の子をナンパしてそのセックスを撮って送ってくる人もいる。この人は一体どんな仕事をしているのだろうか。ナンパをすることだった金がかかるだろうに、生活は大丈夫なのだろうか。多分、かなり生活に余裕のある人なんだろう。

 よく、「男なんてみんなスケベなんだからさあ」という言葉を耳にする。それは、半分当たっていると思うし、半分外れていると思う。私だって男である。道できれいな人とすれ違えば思わず振り返り、電車の中ではミニスカートをはいた女性の、そのスカートの中をスポーツ新聞を読むふりをしながら想像する。だが、どうしても私のスケベはそれ止まりだ。ナンパをしてその妄想を実行に移す勇気も気力も体力もない。そんな男は、私の周りに結構多い。そして、そんな男たちは、セックスよりも執着しているものを持っている。それは酒だったりギャンブルだったり仕事だったり、いろいろだが。

 私は思う。この投稿写真を送ってくる方々は、本当にセックスが好きなのだろう。きっと、常に頭の中にセックスのことがあるに違いない。私が、目をさましている時はいつも酒が飲みたいと思っているように。正直言ってうらやましいと思う。私だって、一度でいいから衣装や小道具をそろえ、何時間もかけて女性をヒイヒイ言わせ、その姿を写真に撮ってみたいものだ。

 それにしても、二百枚近い投稿写真を見ながら私は、そういった真のスケベな男たちの相手になる女性の多さに驚いた。彼女らは(当たり前の話だが)顔はいたって普通の人である。だがいったん服を脱ぐと、剃毛されていたり乳首や大陰唇にピアスをしたり、野外で平気で放尿したり自分でバイブレーターを突っ込んだりする。

 今さら何を、と言われるかもしれないが、女性というものがわからなくなってしまった。

 最初に、投稿写真を見ていて軽い吐き気を覚えた、と書いた。それは本当である。パックリと開いてペニスを受け入れる様々な女性器を見ているうちに私は憂鬱になり、悪いが、吐き気を覚えた。

 家人はまだ隣室でテレビを見ている。彼女も、女性である限り、写真の中の無名の女性たちのような資質を持っているのだろうか・・・・・・。きっと、持っているのだろうな。

 二日がかりでなんとかその仕事を終えた私は、『クラッシュ』の編集部に電話した。

 「次は投稿写真について書きたいんだけど・・・・・・」

 「エッ、ああ、それは気づかなかったなあ・・・・・・。毎日会社で見ているから、慣れっこになっちゃってた」

 電話に出た編集長はそう言った。編集長は妻と二人の子供がいる。

 「一度ね、家に投稿写真を持ち帰って見てごらん。きっと、凄い新鮮だよ」

 私は言った。

 電話を切り隣室に行くと、今朝も家人はテレビの前で眠っていた。テレビでは、細川総理大臣が何やら喋っている。

 この人はどういうセックスをしてきたのだろう?

 私はついそう思ってしまった。

 永沢光雄 wiki

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コメント

こんにちは。この文章は永沢さんの連載をコンパイルした「風俗嬢」に掲載されていたのをずいぶん前に読んだので“懐かしい”と感じたぐらいだったのですけどそれよりもなによりも永沢さんがお亡くなりになったことを知って衝撃を受けています。アルコホリックだったそうなので肝硬変かなにかでしょうか。タルバガンの大阪公演の少し前ころですね。

実は私はその頃(ていうかその前日)拾得で田原さんにお目にかかっているので親近感が感じて思わずコメントしてしまいました。

投稿: chikaoss@京都 | 2007.05.15 22:04

>chikaoss@京都 さん
 コメントありがとうございます。
 永沢さんは、wikipedia によれば(当ブログ文末にリンクあり)
「アルコールによる肝機能障害のため死去。47歳だった。」とのことです。学年で言うと僕より一個下なんだよなあ・・・。

>実は私はその頃(ていうかその前日)拾得で田原さんにお目にかかっているので
 長根あきさんの「モノラー」のことをお話下さった方ですよね(間違っていたらごめんなさい)・・・?
 拾得も、カンテ・グランデも面白かったですよね。
 また関西行きたいです。ではでは!

投稿: 田原@田原書店 | 2007.05.16 17:40

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