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20070527 賢者の言葉・ハイゼンベルク『部分と全体』・言葉についての討論

W・ハイゼンベルク 『部分と全体 私の生涯の偉大な出会いと対話』(湯川秀樹序・山崎和夫訳 みすず書房 1974) * 所有、「XI 言葉についての討論(一九三三年)」より。

   * [部分と全体―私の生涯の偉大な出会いと対話] W.K. ハイゼンベルク 山崎和夫訳

「 次の朝、空は一日前と同じように真青であった。朝食のすぐ後でスキーをはき、止め金をしっかりしめて、われわれはヒンメルスモーアの牧場を越えて、ゼーオン牧場のそばの小さな湖まで軽くすべり、そこから一つの鞍部を越えてグローセン・トライテンのうしろのさびしい谷へ下り、裏側からわれわれの小屋のある山の頂きへ登った。頂上から東の方へのびている尾根で、偶然、めったに見られない気象学的かつ光学的現象を目撃した。薄いもや状の雲が、北側から吹いてくる軽い風で斜面を上の方へと流れていた。その雲は、われわれの尾根にとどいた所で太陽に明るく照らされていた。われわれの影がはっきりと雲の上にみとめられ、そしてわれわれの影の頭の部分がそれぞれに輝いた環のような一つの明るい輝きによってとり巻かれているのが見えた。この異常な現象を特に喜んだニールスは、彼が以前にこの光の現象について聞いたことがあったと皆に話した。われわれがたった今見た輝かしいきらめきは、聖人の頭を光輪によってとり巻くという古い画家の原型であったに違いないという彼の意見ものべられた。彼はいたずらっぽく軽く片目をつぶって見せながら、さらにつけ加えた。「おそらく、この輝きをいつもただ自分自身の頭の影法師の回りにしか見ることができないということも、また確かなことだ。」この注意は大きな歓呼を呼びおこし、同時に多くの自己批判的な考察のきっかけともなった。とこどえ、われわれは早く小屋に帰ろうということになり、競争で山を滑り下りることになった。フェリックスと私は特に野心的に滑ったので、私は一つの急な斜面を突っ切る際、かなりの雪崩を引き起こすという失敗をもう一度しでかした。しかし幸いなことに、われわれは皆雪崩より上にとどまることができ、かなり時間のずれはあったが、皆元気で小屋で会うことができた。この日の昼食の当番は私であった。他の人たち、フェリックスとカール・フリードリッヒとクリスチャンとが小屋の屋根の上で日光浴をしている間、いくぶん疲れたニールスは、台所にきて、私のそばに坐った。私はこの機会を山の尾根ではじめられたわれわれの対話の続きにあてた。

 私は言った。「光輪についての君の説明はもちろん大変面白いし、それが少なくとも真実の一部を含むものだということも、僕は喜んで認めますよ。といっても、僕はやっぱり半分しか満足できないな。なぜって、僕は一度ウィーン学派の、あまりにも度を過した実証主義との手紙のやりとりの中で、いくらかちがった主張を聞いたことがあるからです。実証主義者が、どの言葉も完全に決まった意味をもち、その言葉を他の意味には使うことが許されないかのように言うことに対して、僕はしゃくにさわったことがあるんです。そこで僕は、例として、もし誰か尊敬する人物について、その人が部屋の中に入ってくると部屋が明るくなると言ったとしたら、それは文句なく理解されるであろうと彼に書いてやりました。その際に露出計が明るさの違いを示さないことは、もちろん僕も十分承知していました。しかし僕は、"明るい"という言葉の物理的な意味をそれ固有のものとし、他の使い方をただ転用されたものと見なすことに反対し、それを防ごうとしました。そこで僕は、いま言ったこともまた、光輪の発見にどこかで寄与しているのではなかろうかと思います。」

 「もちろん僕もその話は認めようと思う」とニールスが答えた。「また、われわれは君が考えているよりもずっと意見が一致しているのだ。言うまでもなく、言葉というものは特有のむずかしい性格を持っている。一つの言葉が何を意味するのかということを、われわれは決して正確には知らない。われわれが使う言葉の意味は、その言葉の文章の中における結びつきを、その文章が述べられたときの前後の脈絡や、またわれわれが全部を数えあげることは決してできないような無数の付随的事情がからんでくる。もし君がアメリカの哲学者ウィリアム・ジェームズの書物を読んだことがあるなら、彼がこれらの事情のすべてをおどろくほど正確に書いているのが君にもわかるだろう。われわれが耳にするどの言葉でも、言葉の特に重要な意味が、まずパッと頭の中に浮かんでくるが、しかし同時にはっきりとしてはいないがその他の意味も付随して感じられ、そこでも他の概念と結びつけられ、その作用は無意識の中にまで拡がって行くのであるということを述べている。それは、通常の言葉においてさえ当てはまることであり、詩人の言葉において一層的確なものになる。それはある程度まで自然科学の言葉にもあてはまることだ。われわれが、これまで完全に決まっていて疑問の余地のないものとみなしてきた概念の適用範囲が、いかに制限されたものであり得るかということについて、まさに原子物理学において、改めて自然からいやというほど、そのことを学ばせられた"位置"や"速度"のような概念のことを考えてみるだけで十分だ。

 しかし、もちろん、われわれが言葉を論理的な連結推理を可能にするまで、できる限り理想化し、精確に表現ですることができるということは、アリストテレスならびに古代ギリシア人の偉大なる発見の一つでもあった。そのような精確な言葉というものは、通常の言葉よりはずっと狭いものではあるが、しかしそれは自然科学にとっては測り知れない価値を持つものだ。

 実証主義の代弁者が、そのような言葉の価値を非常に強調し、そしてわれわれが論理的に厳密に定式化できる領域を離れる場合には、言葉が内容を持たないものになってしまう恐れがあることについて、われわれに鋭い警告を与えるというのであれば、彼らはその点では正しいのだ。しかし自然科学においては、最上の場合でさえもこの理想に近付けはするが、絶対にそれに到達し得ないということを彼らはその際に見逃している。なぜなら、われわれが実験を記述するさいに使用する言葉は、われわれにはすでにその適用範囲を正確には与えることができないような概念を含んでいるからだ。われわれが理論物理学者として自然を模写するのに使う数学的な形式(スキーム)が、この程度の論理的な注意深さと厳密さとを持っている、あるいは持つべきであることは言うまでもない。しかしそうすると、すべての問題点はわれわれが数学的な形式と自然とを比較する所で再び現われてくる。なぜなら、われわれが自然について何かの陳述をしようとするならば、どこかで数学の言葉から通常の言葉へ移行しなければならないからだ。とにかく、そのような陳述をすることが自然科学の課題なのだ。」

 私がつづけた。「実証主義者の批判は、なかんずく、いわゆる講壇哲学、ここではまず第一に宗教の問題との関連において形而上学に対して向けられています。もしも言語学的に明確に分析したならば存在しないことが証明されるような仮象について、そこではさまざまな話がなされるというのが実証主義者の意見なのです。この批判が、どこまで当っていると思いますか?」

 「確かにそうした批判は、かなり真理を含んでいる」とボーアは答えた。「しかもそれから多くのことを学ぶことができる。僕の実証主義に対する反論は、この点について僕が余り悲観的でないということによるのではなくて、自然科学においても、根本的にはそれと大した違いはないではないかと、逆におそれているからだ。それを極端にはっきり表現すると、宗教では言葉に一義的な意味を与えることを初めから放棄しているが、他方、自然科学では言葉というものに一義的な意味を与えることが、ずっと将来のいつかは可能になるということを希望するか、あるいはそういう幻想をいだくことから出発している。しかしもう一度くり返して言うが、人は実証主義のこの批判から多くのことを学び得る。たとえば僕には人々が"人生の意義"と言うときに、それが何を意味するのかよくわからない。"意義"という言葉はいずれにしろ、常にその意義が問題にされているものと、さらにたとえば企図とか表象とか計画というような何か他のものとの結びつきを作るはずだ。しかし人生は――ここでは人生の全体を意味しているが、そこでわれわれが生活している世界にしても――われわれがそれと結びつけられるものは、他には何もあり得ないではないか。」

 「だが、われわれが人生の意義について語る時には、何を言おうとしているかを、われわれはやっぱり知っているではないですか」と私が反駁した。「もちろん人生の意義はわれわれ自身にかかっている。僕の考えるところでは、われわれを偉大なる関連の中で位置づけるようなわれわれ自身の生活の姿を、われわれはその言葉で言い表している。それはおそらく一つの描像であり、意図であり、確信にすぎないでしょう。しかし依然として、われわれがよく理解し得る何物かなのです。」

 ニールスは考え込んで黙っていたが、やがて言った。「いいや、人生の意義は、人生に意義がない、という言葉が意味をもたない、ということの中にこそあるのだ。認識を深めることは、まさにこのように限りがないのだ。」

 「しかし君、それでは言葉に対してあまりにも厳格すぎはしませんか? 古代の支那の賢人においては"道"の概念が哲学の頂点に立っており、そして"道"はよく"意義"と訳されることを君は知っているでしょう。支那の賢人はおそらく"道"と"人生"という言葉を結びつけることに対して、反対すべき何物も持たなかったと思いますが。」

 「"意義"という言葉がそのように一般的に使われるのなら、さらに違った見方もできるかも知れない。そもそも"道"という言葉が何を意味するのかということ、われわれの中の誰も断言することができない。しかし君が支那の哲学者や人生について語るのならば、僕には古い伝説の方がもっと身近なものだ。そこでは、一口の酢の試飲をしてみた三人の哲学者について物語られている。なお酢は支那では、"命の水"と呼ばれていたことを知っておかねばならない。最初の哲学者は"それは酢っぱい"と言った。二人目は"それはにがい"と、そして三人目は、それは確か老子であったが、"それはさわやかだ"と叫んだ。」」

ハイゼンベルク wiki

ニールス・ボーア wiki

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