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20070701 賢者の言葉・谷川俊太郎「手紙のことなど」・『吉田健一集成』別巻「吉田健一・人と文学」より

   * [ユリイカ 2006年10月号特集=吉田健一]

   * [二十億光年の孤独] 谷川俊太郎

『吉田健一集成』別巻 「吉田健一・人と文学」より 谷川俊太郎 「手紙のことなど」全文。

吉田健一(よしだ・けんいち 1912年4月1日 - 1977年8月3日) wiki

谷川俊太郎(たにかわ・しゅんたろう 1931年12月15日 - ) wiki



「 昭和四十七年十月十四日付の、吉田健一さんからいただいた一通の手紙がある。東京はいばら製の便箋に、万年筆で書かれた文字は、平凡な形容だが飄飄としているとでも言えばいいのだろうか、生前の吉田さんのからだの動きをほうふつとさせるようなところがある。封筒には双方の住所に几帳面に郵便番号が書きこまれているが、封筒そのものは、そのためのあの無粋な赤い枠のついていない昔ながらのものである。
 拝啓 山ではいつもお世話になつてをります。又今回は英文詩論、並に「ことばあそびうた」を有難う存じました。「ことばあそびうた」の方は見事な出来と存じ、その詩と相俟つてどことなく山の風景を思ひ出しました。又この試論のやうな洒落れた本をロンドン・マガジンが出してゐるとは存じませんでした。その内容が紹介に止るものであることはこの本の性質上さうある他ないことかと存じます。又御作の訳は訳詩といふのが難事中の難事といふ持論を覆すに至りませんでした。併しそれを見てをりましていつか戴いた全詩集が目下の本棚の混乱で今の所は見当らないのを残念に存じましたことは事実です。
 先は右御礼旁々
  十月十四日
                            吉田健一
 谷川俊太郎様

 文中<山>とあるのは、群馬県北軽井沢大学村のことで、父の土地と吉田さんの土地とは一軒おいた隣り合わせで、のちに伯父が買い足した土地に私たち夫婦が家を新築してからは、吉田さんとは一夏か二夏隣人となった。<お世話になつてをります>というのは、おそらく氷の一件を指してそう書いて下さったのだろうと思う。

 或る日突然奥様がおみえになって、電気冷蔵庫で作った氷がないかとのおたずねがあった。山荘に滞在中の母上の御具合が悪く、氷が入用で駅前の店からとり寄せたけれど、砂まじりで不潔なので、もっときれいな氷が欲しいというようなことだった。<うちには電気冷蔵庫がないが、お宅には幼いお子さんもいらっしゃることだし、多分おもちではないか>とおっしゃる奥様に、家内が氷を差し上げた。ただそれだけのことに、あとになってたしか七十二色だかの立派なクレヨンの一揃いを息子にいただいたのだから、どちらがお世話になったのか分からない。

 もうひとつこれは私の留守中の出来事だが、名物の猛烈な雷雨の真最中に、お嬢さんが我が家に避難場所を求めて飛びこんでいらしたこともあったと家内に聞いた。一軒おいたすぐそこがおうちなのに、余程こわかったのだろうとあとで笑いあったのを憶えている。そのお嬢さんの弾かれるピアノの音が、ときどき山荘の窓からもれるのを、散歩中に楽しんだこともあった。

 御近所ではあったが、夏の間に格別なおつきあいはなかった。道端で犬を連れた吉田さんにお会いして目礼を交したり、毎晩のように駅前のそばやへ飲みに行かれると人づてに聞いたりする程度で、あとは気さくで面白い奥様と立ち話をするくらい、私には吉田さんと差向いで飲んだり、話したりする自信がなかった。夏中隣人であった幸運をみすみす逃していたことになる。

 ロンドン・マガジン発行の<英文詩論>とは、『スリー・コンテンポラリ・ジャパニーズ・ポエッツ』のこと、安西均、白石かずこ、それに私の三人がグレーム・ウィルソン、渥美育子両氏の訳と解説で扱われていて、書評でその内容を讃めて下さった方もあったけれど、私自身はいささかの不満ももっていたので、吉田さんのお手紙で自分が間違っていなかったという一種の安堵の如きものを覚えた。

 『ことばあそびうた』は、福音館発行の小冊子で、現代詩に欠けている日本語の音韻面での楽しさを追ってみたもの。内容は他愛のないものばかりだが、詩は先ず耳で聞き口に上せて楽しみそらんじるものであることを、主張もされ実行もされていた吉田さんのお目にかけたいと願ってお送りしたから、見事な出来というお言葉は嬉しかった。

 だが私がもっとも楽しんだのは、終りの<本棚の混乱>云々のくだりで、こういうことをさらりと言う吉田さんの人柄の味わいはちょっと他に比べようがない。私なら無理にでももらった詩集を探し出すか、でなければ見当らぬことには口をぬぐって、あたりさわりのないことを書いてしまうだろうと思った。その<全詩集>をお送りしたときにも、たしか葉書で礼状をいただいた記憶があるのだが、それはどこかへ紛れこんでいる。

 このお手紙を頂戴した翌年、私は雑誌「ユリイカ」の臨時増刊号の編集を任せられ、その目玉のひとつとして、吉田さんに<近代詩抄>と題する小アンソロジーの選をお願いした。その号の後記に私はこう書いている。
<吉田健一さんに、日本の近代から現代に至る詩のアンソロジーを編んでいただくというプランは、この増刊の編集をまかされた時、真先に私の頭に浮かんだ。独特の語り口に韜晦されているうちに、最も尋常のことが、最も直截に浮び上ってくるというのが吉田さんの文章についての私の印象で、だからこそ吉田さんの好む詩人系列には必ず何か一貫したものがあるはずだし、そこから吉田さんがつかんでおられる詩という実体があきらかになると私は信じている。その<詩>が日本語においてのみ成立するものではなく、他の言語とも共通の<詩>であることを、吉田さんはくり返し説かれていて、今回は実現しなかったが、いつか吉田さんによる古今東西の詩のアンソロジーが成る時、私たちの詩の観念はさらに明確で豊かなものになるだろうと思う。>

 ちなみにそのとき吉田さんの選ばれた詩は、森鴎外「沙羅の木」に始まって、富永太郎、中原中也、伊東静雄、三好達治、中村稔、そして大岡信「秋景武蔵野地誌」に至る三十六篇、中でも三好達治が十三篇でもっとも多い。編者の言の中に<又真実に代表的な近代詩抄といふやうなものを作ることになれば更に日夏耿之介、或は金子光晴氏、或は中野重治氏の詩をこれに加へなければならない。>とあるが、北原白秋、萩原朔太郎、宮沢賢治などが、吉田さんの好みからはずれているのは面白いと思う。

 以前小文に書いたことだが、そのアンソロジーの依頼をするため、神保町の「ランチョン」でお目にかかった折、吉田さんは私に向かって、<だけど、あなたの詩は入りませんよ>と、念を押された。私は吉田さんの好みを知ってるつもりだったから、そういう心づかいが素直に腑に落ちた。

 『詩に就て』の中にい、明確に述べられている吉田さんの詩観に、私は共感しながらも少々物足りなさをも感ずるのだが、私自身は実は吉田さんのシェークスピア十四行詩の訳に、少なからぬ影響を受けている。翻訳詩にそれほど強くとらえられたことは、小笠原豊樹訳のプレヴェールを除いては、他にほとんどない。シェークスピアの表現の切実巧緻ももちろんだが、私は吉田訳の日本語の語り口のメロディに、もっと深く魅かれた。
 私が君よりも長生きして君の墓碑銘を書くことになつても、
 或は私が土の中で腐つてゐる時に君がまた生きてゐても、
 私のことは何れ完全に忘れ去られるが、
 君の記憶が死の為に消されるといふことは決してない
                        --第八一番より--

 原詩はこんなに息の長いものではないと思うが、この日本語は独特な調子をもっていて、韻文とは言わぬまでも、あきらかに音楽を感じさせる。意識して私はそれにならい、何篇かの作品を書いているが、そのひとつに、「シェークスピアのあとに」というのがある。
 乳くり合いと殺し合いの地球の舞台が
 なまあたたかい息のにおう寝室に始まって
 小暗い廊下を過ぎがたぴしする階段を下り
 そこからぬかるみへそして冬枯れの野へ
 または灰色の海辺へとひろがってゆき
 その上にいつに変らぬ青空を戴いているのは
 この半球も他の半球も変りないが
 愛を語ろうにも王を語ろうにも
 ぼくらの国に韻文が失われて既に久しいのは
 いったいいかなる妖精のいたずらなんだろう――

 この作品は一九七三年、英国の<ザ・グローブ・プレイハウス・トラスト>の依頼によって書いた。英国人の友人によって英訳され、彼の地で朗読されたはずである。吉野弘さんも近著『現代詩入門』に書いておられるが、私もまた吉田さんの名訳によって、シェークスピアの十四行詩に目を開かれた一人である。

 かって吉田さんに<あなたは外国語は何と何ですか?>と、当然のことのように問われて、冷汗をかいた覚えがあるけれど、そんな私が厚顔にもこういう作品を書くことが出来たのも、吉田さんという自在な言葉の(そして生きることの)達人を先達としてもっていたからだと思う。吉田さんは現代には稀な健康人だった。その健康はしかし、容易に真似られるものではない。」
 (『吉田健一著作集補巻1』月報 昭和五十六年五月刊)


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