20070715 賢者の言葉・立花隆『脳を鍛える』・覚えておくと便利な一言
立花隆『脳を鍛える 東大講義 人間の現在1』第十二回より 。
立花隆(たちばな・たかし 本名:橘 隆志 1940年5月28日 - ) wiki
「 覚えておくと便利な一言
(前略)
理神論の一つの極端な形は無神論ですが、無神論という言葉くらい日本人に誤解されているものはありません。日本人の多くは、神の存在なんていうものをあんまりつきつめて考えることもせず、ぼんやりそんなものないんじゃないのと考えている程度の人まで、自称無神論者になりますが、西欧語で無神論(atheism エイシイズム)、無神論者(atheist エイシイスト)とい場合、非常に強い意味になります。神の存在を積極的に強く否定し、しばしば有神論者に対して、激しい論争を挑む人のことです。日本人の大半は、ぼんやりした汎神論者か、ぼんやりした理神論者、ぼんやりした無神論者というより、そういうものに無関心な、無関心神論者というところでしょうか、そういう人が、外国に行ったときに――外国では、知らない人に会うと、すぐに「お前の宗教は何だ」と聞いてくるものですが――そういうとき、うっかりうろ覚えの英語で、「自分はエイシイストだ」などというと、イヤな顔をされることがあります。無神論は歴史的に唯物論と結びついており、共産主義者は積極的無神論者でしたから、「エイシイストはコミュニスト」などという短絡した図式で見られることがよくあります。
こういうとき、覚えておくと便利なのは、アグノスティク(agnostic)という言葉です。不可知論のという意味で、形容詞にも名詞(不可知論者)にも使います。 "I'm agnostic."でいいんです。これは無神論(エイシイズム)のような強い響きがありませんから、いやがられません。神はいるかもしれないし、いないかもしれない。そんなことは人間には知りえないとする立場です。これにもいろんなニュアンスのちがう立場があるんですが、基本的に、「そんなことわかんないや」(I don't know.)という感じの浅薄な逃げの発言ではありません。哲学的な認識論の問題が背景にあって、神というような、絶対なるもの、無限なるもの、究極の実在などといったものについては、人間のように、有限な、相対的存在でしかない者には知ろうにも知ることができないとする非常に知的な立場です。知識レベルが低い人は必ずしも知らない言葉ですから、「何だそれ?」という顔をされることもありますが、知識人ならみんなうなずいてくれます。「自分もそうだ」という人も多いはずです。
このアグノスティクという言葉が、実は、T・H・ハックスレーの造語なんです。ギリシア語の「知る」という動詞に、否定の接頭辞 a を付けたものです。西欧の知識人は、歴史的に教会とのトラブルに悩まされつづけてきましたから、それを巧みに避けるための概念としてこういう言葉が作られたともいえます。(ジュリアン・ハックスレーの自叙伝を示して)ジュリアンは、この問題について次のように書いています。
「T・H・H(一八二五~九五)が異色の人材であること、この事実はまぎれもない。異端のヴィクトリアンであり、ダーウィンの擁護者であり、また宗教・神学に弓を弾く者であった。おのれの信仰上の立場を明らかにするために、わざわざ彼は『不可知論者(アグノスティク)』という言葉すらつくりだしている。これは、科学的な明証のないかぎり、正統派の宗旨、いや、端的にいって、人類の起原とその運命とに関するいかなる独断的な見解をも、断じて容認しようとしない者をさす。あくまでも彼は、スコットランドの哲学者デイヴィド・ヒュームのいう意味での『自由思想家(フリー・シンカー)』としてとどまることを望み、全知全能の神の存在、あるいは宗教上の奇跡、または霊魂の不滅といったものを受け入れることを拒んだ――少なくともそれらが明確に立証されないかぎりは。同じ理由で彼は『無神論者(アセイスト)』なる用語をしりぞけた。神が存在しないこと、科学はこれを証明できなかったからである」
トーマス・ヘンリーのこの不可知論の主張は、ジュリアンにも受けつがれました。ジュリアンも熱心な進化論者でしたから、教会とは何度もトラブルを起すのですが、この不可知論の線を貫くことで苦境を脱しています。
(中略)
ジュリアンは、いろいろなところで、宗教に関して意見を表明していますが、その基本は、不可知論です。たとえば、この自叙伝の訳者解説の部分には次のような意見が引用されています。
「あの世のこと、死後の生について、私は単にアグノスティク(祖父トマス・ヘンリーによる一八六九年の造語)だというまでだ。正直、私にはわからない。生理学や心理学の立場から肉体の存在を離れた霊魂の存在を理解することは、ずいぶんむずかしい。だが、そうした困難はただちに反証とはなりえないためである」
「私は自分をあくまでも宗教的な人間だと信じている――何も特定の信仰の神学的な解釈などを請売りはしないが。神の存在を認めなくとも、宗教は完全に成立する。仏教を例に採ろう。仏教徒の信仰をさして、あれは宗教ではないと誰が断言できるだろう!」
「科学の光に照らしてみた宗教とは、決して超越的な神からの啓示といったものではなくて、あくまでも人間性の一つの機能なのである。その機能として、なるほど極めて特異かつすこぶる複雑で、時に高尚で、時に嫌らしく、非常に貴重でありながら、往々にして個人や社会の進歩を阻害する。人間性の働きの一つとして、所詮それは、戦ったり恋をしたりする行為、あるいは法律なり文学なり以上でもなければ、それ以下でもない」
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