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20070722 賢者の言葉・バルトーク話・伊東信宏+小倉朗

 『あたらしい教科書8 音楽』(監修:小沼純一)より、伊東信宏さんによる「べーラ・バルトーク」 。

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19981027 伊東信宏 『バルトーク 民謡を「発見」した辺境の作曲家』



「 バルトークは、若い頃からピアニスト兼作曲家として将来を嘱望されていましたが、当時の民族主義に影響を受けて「ハンガリー音楽」の創造を目指します。そして、祖国ハンガリーの先輩にあたるフランツ・リストの「ハンガリー風」音楽に範をとった作品を発表します。しかし、それが西欧から見た「ハンガリー風」に過ぎないことに気づき、1906年頃から、同僚のコダーイと共に、ハンガリー民謡の調査・研究を始め、これに基づいた語法を確立しようと考えるようになります。

 これらの民謡収集は、直接には約300曲以上におよぶ様々な民謡編曲(民俗音楽の旋律を直接引用したもので、歌曲、ピアノ独奏曲、室内楽曲などがあります)へと結実してゆくのですが、より広い意味での民俗音楽体験が彼の創作の基盤となり、やがて西欧の様々な動向(象徴主義、表現主義、十二音主義、新古典主義など)とも関連を保ちながら'20年代、'30年代のヨーロッパ音楽創作において独自の境地を開拓してゆきます。

 作品は<ピアノ・ソナタ><戸外にて>(共に'26)などのピアノ独奏曲、6曲の弦楽四重奏曲を中心とする室内楽曲、<弦楽器・打楽器とチェレスタのための音楽>('36)や3曲のピアノ協奏曲などを含む管弦楽曲、そしてオペラ、バレエ音楽、声楽曲など多岐にわたります。その音楽は、厳格でありながら即興性にあふれ、古典的な質を備えながら野性的なエネルギーを持ちます。いくつかの作品には黄金分割による形式構成が見られる、とする主張がありますが、これは少なくとも創作時に意識的に計画されたものではない、と現在では考えられています。

 晩年にナチスの支配が広がるヨーロッパを嫌って、渡米。コロンビア大学などで民俗音楽の研究を続けるかたわら、<管弦楽のための協奏曲>('43)などを作曲しました。そして、祖国へ帰ることを望みながら、結局ニューヨークで亡くなりました。

 進歩主義的な音楽史観からは折衷的と見なされたこともありましたが、<ミクロコスモス>('26-'39)など初心者のための教育的作品の面でも後世への影響力が大きく、現在では20世紀音楽における最も古典的な作曲家の一人と考えられています。」



 小倉朗 著 『現代音楽を語る』 (岩波新書 1970)より。



「 バルトークの音楽は、決して「娯しみの音楽」でも、「慰みの音楽」でもない。もし彼が音楽に「娯しみ」や「慰み」しか見出さなかったとしたら、音楽家になんかなっていなかったろう。彼を音楽に引きずり込んだものは、ほかでもなく音楽の「力」である。一つの音、一つの和音が、調的なものに引かれて動いていく、その歩調から生まれる音楽固有の力である。

 いいかえれば、音楽という芸術が仕掛ける罠――音の美しさという罠――には、はじめっからひっかかっていなかった。そもそも幼い彼の心を捉えたものは、この力であり、ドイツが先ず彼をとらえたのもそれ故である。煎じつめれば、クープランとバッハの相違はそこにあり、モーツアルト、ベートーヴェンに匹敵する大家をほかに見出し得ぬのもこの一事による。そして、もしドイツ以外の国に、そのような力の表現に達しえた作曲家がいるとしたら、現代ではまずバルトークを挙げなければなるまい。そういう天性にとって、「フランス、イタリー、スラヴの音楽が、ひどく安物にみえた」のは当然であろう。

 「アントン・ルービンシュタイン・コンクール」参加のために、はじめてパリの土を踏んだとき、そのパリ生活を――「フランス音楽以外のすべてのものに熱中している」とモルーが書いているが、このことに間違いはあるまい。宝の山に入りながら、と思うのは、素人の感想である。彼は贋金と金貨とをまぜこぜに入れるような財布は待ち合わせていなかった。贋物も本物も、同じ棚にごたごた並べる、そんな飾り棚はそもそも頭の中になかったのである。力だけを信じ、あとはきれいさっぱりと捨ててしまった。

 そういう心にフランスが割り込むには、ドビュッシーという第一級の天才を必要とした。そして、ドビュッシーが彼に教えたのも、形こそ異なれやはりこの力であった。ドイツ的なドミナントばかりでなく、さまざまなドミナントがあることを、彼はバルトークに匂わせたのである。また、シェーンベルクのドミナントの破壊は、逆に「五度」という単純絶対な力に彼を出会わせていく。まさに彼の生涯は、音楽のこの調的な力をめぐって展開されたドラマであるといえる。

 一方、彼は裡にさまざまな矛盾対立を蔵していた。そもそも「ハンガリーとヨーロッパ」というテーマは、「愛国心と芸術」「自然と芸術」「合理と非合理」「調性と無調」「民族音楽と純音楽」といったヴァリエーションとなって入れ代り立ち代り彼に襲いかかった。同時に、裡には独創と並存して絶えず影響との格闘がある。とてもショパンやドビュッシーのように、早くから他と隔絶して、独創のみに生きられたわけではない。むしろ闘争を求め、着々と晩年の完成に向ったのである。その間、世間は彼を前衛と見、あるいは民族音楽家と見た。確かに大きな惑星ではあったが、古典と目されるに至るのは、死後のことだ。

 けれども、彼を古典とみる今日でさえ、その嗜虐的な響きは依然謎めいている。しかし僕らはそれ故に彼の時代を識るのである。しばしば時代は芸術家に犠牲を強要するが、二十世紀前半という特殊な時代のもとで、彼は崩壊のさ中から音楽を救い出さねばならなかった。してみれば、それら固有の響きは、救い出すその戦いで浴びたかえり血なのではあるまいか。まことに、火急のとき、音はそのように捉えるよりなかったであろう。そしてこれこそ真の音楽家にのみ許された非常手段だが、そんなとき「娯しさ」や「快よさ」に凝ってみて何になろう。彼は二縦線を引いてからまた別の終りをつけ足したりしているが、こんな異例な書き方も、「解決などどうでもよい、幾通りにも考えられる、ざっとこんな具合――」といっているようにみえる。」


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