20070812 賢者の言葉・司馬遼太郎 『モンゴル紀行 街道をゆく 5』・「故郷とは」より
『モンゴル紀行 街道をゆく 5』司馬遼太郎(朝日新聞社 1974) より、「故郷とは」の一部。
自分の、故郷・利尻島への里帰り(8月9-13日)と、モンゴル人にして日本の大相撲の横綱、朝青龍の一連の里帰り騒動、を思いつつの引用。
「 ・・・・・・私は、ベッドに入ってから、ツェべックマさんのことを考えた。
彼女は、モンゴルの詩人がいかにすぐれた詩を書いてきたかということを、あの食堂で、白い食卓ごしに、身を乗り出すようにして私に語った。それも、故郷を主題にした詩がいいのです。それらがどんなに深くわれわれの心を打ちますか、残念ながらあなたにその感動を伝える言葉を私は持たない、それがもどかしい、といった。
モンゴル人にとって故郷というイメージは、どんなに悲しく、どれほど心を慄わせ、どれほどはげしいよろこびを心に与えるものか、私はそれをうまく伝えられない、と彼女はいうのである。
故郷というのはわれわれ日本人にとって山と谷と小川というせせこましい形象のものだが、モンゴルのような茫漠たる大草原でも故郷のイメージは成り立つのかと思い、ふしぎな思いがした。
「故郷とは、このモンゴル人民共和国の草原のことですか」
「そうです」
ツェべックマさんはうなずく。
「それとは別に、個々のひとびとにも、それぞれが生れた故郷(ノタツク)への想いというものありますか」
「あります」
彼女はいう。われわれにはどこを向いても同じような景色に見えてしまうが、おそらくこれは狭い国にうまれた者の想像力の貧困によるものかもしれない。モンゴル人は、この雄大な天と地の一角をそれぞれが切りとり、これが自分の故郷だというふうに、単に形象であるという以上の、遥かな詩情と濃かな思想をそれに籠める。
モンゴルの近代文学の父とされる詩人ナツァクドルジ(一九〇六~三七)に「美しき地」という有名な詩がある。以下の詩の訳は、米国のアジア学者オーエン・ラティモアの『モンゴル』(磯野富士子訳)から引用させてもらうことにする。ヘンテイ・ハンガイ・ソヨンの高く美しき嶺々ツェべックマさんの生れ故郷は、北方アジアに属するこの広大な高原でなく、その高原が東にのびて旧満州に入ったあたりの草原である。
北の方の飾りとなりし森林におおわれし山々
メネン・シャルガ・ノミンの広大なるゴビ地帯
南の方の面となしりひろく続いた砂丘の海々
これぞわが生れし故郷――モンゴルの美しき地。
彼女の胸にはその故郷の草原への思慕の泉が涸れることがない。しかしそこは、中国領になっていて、もはや行くこともできない。
その故郷に、小さな(と私は想像するのだが)川が流れている。これも想像だが、彼女は少女のころ、馬を駆ってその川まで水を飲ませに行ったであろう。この川のほとりで気象の秀でたモンゴルの青年と恋愛し、結婚し、やがてその青年は学者になった。しかしながらいまはその青年はいない。
モンゴルの現代詩人は飽くことなく故郷を詩うが、私もそれらの詩的気分の中で言うとすれば、その川はなお彼女の胸の中で流れつづけているし、さらには彼女の一人娘の名前にもなっているのである。イミンという。イミンちゃんという場合は、イミナとよべばいい。
彼女の場合、故郷の詩は、イミナとして存在しているのである。
イミナが、いまレニングラード大学で電子工学を学んでいるということは、すでに触れた。
「私も、もう五十だから」
と、ツェべックマさんがいった。子供に遺してやるものを考えなくてはいけない、それには自分が一生懸命勉強した日本語が一番いいと思い、イミナに日本語の勉強をしたらどうかとすすめてみると、娘は素直に、じゃ勉強してみる、といったという。すこしずつ教えるつもりです、と彼女はいった。
イミナは休暇で、いまウランバートルに帰っている。つまり、このフロアで踊っている若者たちと、同じ留学生仲間なのである。
ツェべックマさんは娘をレニングラードにやるとき、娘が都会の風に染まってモンゴルというこの故郷をバカにするような子になったらどうしよう、と思った。
よほど、それが彼女の頭痛のたねだったらしい。イミナが大学生活を一年終え、最初の休暇で帰ってくるというとき、彼女は息を詰めるようにして待っていた。もしそういう娘になって帰ってきたら、彼女は、モンゴルの詩人たちの故郷の詩を百ぺんも朗読して、都会にあこがれるだけの浅薄な娘の性根をたたき直さねばならない、と考えていた。
ところが、イミナが帰ってきて、母娘でご飯を食べているとき、
「モンゴルは、みな本物ばかりなのね」
と、母親にいったのである。
「よその国の都会も自然も、みな作りものみたい。草までそうよ」
乾燥した高原にあるモンゴルの草は、香芝と名付けたいくらいに強く匂う。しかしよその国の草は匂わないということをイミナは発見して、まず最初にショックをうけたらしいのである。
「池だって、造った池で、モンゴルのように本当の池じゃない」
ともイミナは言ったらしい。大自然をたっぷり残しているロシアへ行ってさえ、イミナはそんなふうにショックをうけて帰っているのである。モンゴルの自然がいかに豊かで大きく、かつ本物であるかがこの一事でもわかるであろう(この娘を日本によべば卒倒するのではなかろうか)。
イミナには、その後、会う機会がもてた。母親似の色白な美人で、背は一七〇センチはありそうだった。黄色いパンタロンをはいて、ショルダー・バッグを無造作に肩からぶらさげ、新宿あたりで男の子と議論しながら大またで歩いてゆく気のきいた女子学生といった感じだった。
イミナは、だから卒業したらモンゴルに帰る、といって母親を安心させた。
彼女のような場合、帰ったらどこへ勤めるのかときくと、ツェべックマさんは、
「科学アカデミーから派遣されているから、卒業すれば科学アカデミーに戻って、そこでお勤めするのです」
と、いった。
……なるほど、故郷としては、モンゴル高原ほどそこに生れた者にとって強烈な故郷はないかもしれない、と私はベッドの中でおもいかえした。
私の小さな経験では、海辺という、単調な水平線を見て少年時代を送った人はわりあり故郷を恋しがらず、地形の複雑な山の中育ちの人ほど、年をとると故郷を恋しがるということのように思えるのだが、この法則? からすれば、いわば一望海のような大草原のなかで育ったモンゴル人の故郷感覚はどうなっているのだろう。このことは、昔からふしぎに思っていた。
そのあたりのふしぎさが、このイミナの話で解けたような気もしたが、しかしさらに考えると、まだわからない感じもある。
もっとも、町育ちの私などはわかる資格はもともとないのであろう。現在住んでいる町にいたっては、木もなければ草もない。
要するに、人間という自然的存在は、当然、自然を必要としている。さらには決してプラスティックではありえない人間の心というものは、当然、木とか草とか川とかに倚りかかるときにのみ息づくものだが、それらの自然物の稀少な環境からやってきて、大自然のなかに生きているモンゴル人たちの故郷に対する思慕の根を探ろうというのが、元来、大それたことなのである。
十三世紀、モンゴル人は世界に流血を強いる大遠征をやったが、その西方への遠征に従軍した無名の兵士が、白樺の樹皮を剥いで詩を書きのこした。その詩が、田中克彦氏の『草原と革命』(晶文社刊)に出ている。詩は、望郷のなげきをうたう。今やときぞ、我とびたたん」
我は呼びかく
我が母に、何にもましていとしき母に
山は草に満ち
愛する兄弟ら、まさに来んとす
今こそ我、故郷に帰らん
常に故郷に在らんがために
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