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20070805 賢者の言葉・照屋林助『てるりん自伝』・「裏がなくなれば、表も消えること」

 『てるりん自伝』照屋林助(北中正和編 みすず書房 1998) より、「21 裏がなくなれば、表も消えること」の一部。

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「 自分で言うのも何ですが、手先が器用なほうだから、いろんなことに手を出すのかもしれません。
 戦争が終わって十年ぐらい後のことですが、壊れた車を集めて動く車を作ることが流行しました。そのころは米軍が捨てた車が道ばたにいっぱいあって、壊れたのを数台集めれば、その部品でまともな車が一台作れたんです。自動車要員養成所の修理部で鍛えられてますから、わたしはその仕事をずいぶん手伝いました。
「お前、器用だな。ちょっと来て、やってみたら」
 と、誰かに声をかけられたら、喜び勇んで出かけていくのがわたしの性格で、できるねえと認めてもらうのが嬉しくて、阿呆みたいに何でもやったものです。十台くらい作りましたかな。でも、いくら働いても、謝礼は、おいしいごちそうを食べて、酒をたらふく飲んで、それで終わり。だから器用貧乏とはこういうことかと、真剣に悩んだりもしましたが、まあ、そんなもんですよ。
 タダ働きではありましたが、人に認められるというのは、すごいことだなと思いました。
「お前はうまいな」と言われると、すぐやる気が出てくるんですからね。人を使う人はそれが巧みです。何もくれるわけじゃないのに、
「今度、国頭へ連れて行ってやるよ」
 と言われると、それだけで有頂天です。連れて行ってくれるというから、お大尽みたいに連れて行ってくれるのかと思ったら、そうじゃなくて、「お前の車を持って来い」と車も運転もぼくにやらせるのですから、ほんとは、「連れて行ってくれよなあ」でなければならないはずです。それでも山原に行って、
「これはぼくが可愛いがっている弟子である」
 と紹介されると、有頂天になるんです。こういう性格が損か得か。帰ってきてから非常にむなしい思いがして、西の海に夕日が沈むころは静かに考えたりするんですが、いくら考えても、答えは出てきません。
 でも、いまになって思えば、それでずいぶん得したこともあるんですよ。知らない土地で、知らない人と出会うだけでも、たいへんな得です。二十年、三十年後に、まざまざとそれを実感しました。各地を巡り歩いて、歌の採集をするときに、見ず知らずの人に、いきなり、
「歌を聞かせてください」と頼んでも、
「はい。じゃあ、うたいますよ」
 とうたってくれるわけじゃありません。ところが、
「わたしは若いときにこっちに来たことがあります」
 というふうにもちかけると、それだけで打ち解けて、話が早いんです。他の連中がもたもたして一曲も採集しないうちに、わたしはもうすっかり仕事を終えて、帰り支度をしているくらい、天と地の差があります。だが、当座はわからないですよね。損しているのか得しているのかが。
 作品を作りはじめたのは一九五〇年ごろからで、ワタブーショーの旗を上げたのが一九五七年ですから、かなり悠長にやっているように見えますが、実際は、親父の稼ぎで食べさせてもらっているので、大きな顔ができず、それで家を抜け出しては、自動車組立の仕事を手伝ったりしていたのです。ところが、お金はたまりません。かといって、人に指揮したり、采配を振るったりできる性格でもありません。

 わたしは子供のことからチヤホヤされて、据膳で飯を食ってきて、お金も欲しいときは、だだをこねて貰って、自分で苦労して貯めた金を使うということがありませんでした。親父に知名度があって、世間ではその息子だということで通るから、自分で金を払って飯を食った経験がないんです。食堂へ行っても、一緒に来てる誰かが払ってくれる。試みに、「今日は、ぼくが払う」と言うてみたこともあるんですうが、いつも、「やめとけ。お父さんに叱られる」と言われて、結局、できませんでした。遊びも仕事もいつもそんなふうでした。
 これをウーティクェーと言います。追って食う、人を追いかけて食わせてもらう、というわけで、けっして褒め言葉じゃなく、いやしい者に言う陰口です。不思議なことに、わたしの人格はどうできているのか、そんな悪口を言われても、「わたしはウーティクェーでございます」と自分からはっきり名乗ったりするそういうタイプなの。それを武器にして、よその家にも、「ウーティクェーが参りました」と言って入っていく。すると、「あれあれ、またウーティクェーが来た。はい、もう一人前追加」と大きな声で振る舞われるのです。どこでもあたりまえのようにして、それでずっとやって来たという歴史があるのです
「林助、林助」と言ってわたしを可愛いがってくれる人は、みんな十も二十も年上の大人ばっかりです。わたしを連れて歩くだけで、特にわたしがラジオに出たりするようになってからは、この人たちもまたいい思いをするんです。沖縄にはたいこもちという職業はありませんが、まあ、それに近いものですね。あちこちのえらい重役や社長が、「林助来い」と呼びつけると、「はい」と言って出て行きます。ウーティクーワ(後ろを追いかけて来いよ)ということで、あのクラブに行ったり、この料亭に行ったりして、自分は払わずに毎日遊び歩いていました。そこで「何かやれ」と言われたら、「はい」と言って何かやるわけです。
 でも、これはウーティクェー礼賛ではないことも断わっておかなければなりません。自分の恥ずかしいところを恥じてずっと隠しているよりは、自ら暴露してしまうことを実行してみせているつもりなんです。わたしにとっては、これはいわゆる影の部分の話ですが、それを下手に隠そうとしないことが肝心なんです。
 まあ、こういうことをずっとやってきたものですから、印刷屋のように、自分の力で何かをやるなど、とてもじゃないが、できるタイプじゃないんです。やる前からすでに失敗しているんです。それが復帰後、仕事がないので淋しくなりまして、いつまでもウーティクェーじゃいけない、自分でなんとかやらなきゃならないと思ったのが、そもそものまちがいで、頭を抱えることになるわけです。お笑いだけを職業にしておけばよかったのに、人に笑われないようにしようと思ってはじめたことで、結局、笑われていたことになるんですなあ。

 国際大学に入ったことは前にお話しましたが、大学で学んだことをなかなか役に立てきれませんでした。新屋敷幸繁先生が素晴らしいのは、「真実は一行しかない」という学説を持っておられたことです。
「一行の真実があったら、それを十行に膨らまして解釈しなさい。一行の真実だけを唱えてばかりいると、バカのひとつ覚えにしかならない。それをみんなによく理解させるにはその一行を自分を磨く材料にすること。そしてそれを膨らませて発表する技術を身につけなさい。ワタブー君にはそれが向いている。」
 と言われて、わたしはその気になちゃって、諺や方言や民謡やわらべ唄を採集しはじめたわけです。珍しい材料がいっぱい手に入ってきたのは、そういうわけです。
 一般の人が知らない、珍しいものを地方に行って集めると、それを他の地方で聞いた話と合体させて、膨らませて、ひとつの物語にするのがわたしのやり方になりました。ところが最初のうちは、正義感が強すぎて、自分が正しいと思ったことは、みんなにどんどん押しつけてしまいますので、相手の反論を受け入れる度量に欠け、ひとりよがりになりがちで、思い出して赤面するようなことも多々ありました。正しいものの反対はまた正しいんだということに気がついてなかったんですね。
 いまなら、相手が何かを言い出せば、「ああ。そう。そうも言うね。それもまた一理だね」と認めておいて、「それに、こういうのもあるんだよね」と追加して、裏と表でひとつの完全な丸をつくるようにします。
 ここに一枚の紙が存在するのは、表があり、裏があるからです。コザ独立国という遊びも、その相対性理論とでも言いますか、裏がいやだからといって、消してしまうのではなく、裏も残しておかなければ、表も消えてしまうから、両方とも残しておこうよという気持ちが、そのまま遊び心を支えています。
 相手がわたしの話に反論を唱えるのは、まさにその反対側の面を指摘しているわけで、なるほど、それも取り入れなければと、重ね合わせることにより、完全なものになって、もっともっと喜ばれるということなんです。
 若いことはそれに気づかずに、十分に役立てられなかったわけです。ラジオでわらべ唄の番組もやりましたが、はじめのうちは、解釈が一方的で、かなり高飛車に物を言っていたのが、だんだんと柔らかくなって、生活感から得た言葉をある程度は言えるようになってきたのでした。」


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