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20070819 賢者の言葉・矢内原伊作 『ジャコメッティ』・「ジャコメッティとともに」より

 矢内原伊作 『ジャコメッティ』(みすず書房 1996) より、「ジャコメッティとともに」の一部。

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「 「おおヤナイハラ、わが絶望、わが悲惨の啓示者よ。」仕事にかかりながら悲劇俳優のように画家がそのモデルに言う。「きみのおかげで私はどんなに自分が無能であるかを発見した。」ぼくは心の中で、おおジャコメッティ、わが希望、わが自由の啓示者よ、と叫んだがこれは言葉にはならなかった。画家は続けて、「それというのも、これまではいつでも中途のところでとまってしまって、こんなに遠くまで仕事を進めたことがなかったからだ。」
 以下画家とモデルの対話。
「今日はきみの顔が今までとはすっかり違って見える。まるで昨日までの私は盲目だったかのようだ。当然画布の上のきみの顔はすっかり変ってしまう、実に不思議だ。」
「これまででも画布の上の顔は毎日変化したではありませんか、もしも変化しなかったら、そのほうが不思議でしょう。」
「いや、これまでの変り方とは比較にならないほど、今日は根本から完全に変ってしまう。昨日までの仕事は、決して無駄ではない。すべてが必要だったのです。」
「そうだ、すべてが必要だった。しかしこのことは仕事が遅々として進まないことの言訳になるだろうか、もっと努力をすれば、もっと早く進歩したはずだ。私は怠慢だ、私は詐欺師だ、肖像画を描く約束をしてきみを瞞したのだから。」
「いいえ決して。なぜなら、あなたはできるだけのことをしているのだから。」
「できるだけのことをするだけでは足りない。できる以上のことをしなければならいのだ。」
「いや、急ぐ必要はないし、急いではいけないと思います。ぼくはあなたの仕事の役にたちさえすれば満足なのです。」
「明日まで、いや明後日まで待ってくれ。明後日まで続けてみて見込みがあればよし、もし見込みがないようなら放棄しよう。その場合、きみはポーズした時間を失うだけだが、私はすべてを失うことになる。私は職業を変えなければならない。」
 しばらく黙々と筆を動かしていたあとで画家がぽつりと言う。
「それは実に悲しいことだ。」
「何がですか。」
「職業を変えなければならないということは。」
 それからなおも仕事が続けながら画家は次のようなことも言った。
「顔の中央の部分に絵具が厚くかたまって実に描きにくい。しかし、これは仕事を中止する理由にはならない。描きにくいということは描けないということではないからだ。困難だといって放棄するのは逃避の口実にすぎない。昨日私が画布を乾かさなければならないと言った時、私はやはり逃避の口実を求めていたのだ。困難だからといって放棄するくらいなら、初めから何もしないほうがましだ。」「折角描いたところを、またしても毀さなければならない。残念だが仕方がない。必要なことはしなければならないのだ。」「頸は見事な円柱だ。その頸と頭とがどこでどうつながっているのか私には皆目わからない。」「何と言っても肖像画が一番むずかしい。殊に正面の肖像画ほどむずかしいものはない。ほとんど不可能だと思われる。その証拠に、昔からの肖像画ですぐれている絵、つまり実際の顔に比較的よく似た絵は、すべて横あるいは斜めから描いた肖像画だ。エジプト絵画を見給え、それは絵画の最高のものだが常にプロフィルを描いている。フラマンの肖像画でもセザンヌでも、いつも斜めから描いているのだ。正面の肖像画で実際の顔に似ているのは、ファイユームの絵だけではないか。これは唯一の例外だが、これとても無論完全ではない。」「一度きみの横顔を描いてみよう。横顔そのものには興味はないが、これは正面の肖像を描く上に非常に役立つに違いない。横顔をよく知らなければ正面を描くこともできない。」「正面の肖像は、それを見て横顔が知られるように描かなければならない。」」



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