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20070907 「民藝」 32号・1955年08月・竹細工/佐渡の風物


表紙:ガラス製漁網用浮玉

目次
[簡素の美]//[魚名蘭堂追憶]寿岳文章/[ウォーナーさんの思出]中田勇吉//[茶道と竹花入]志賀宗雲/[花器としての竹]小原豊雲/[納屋ン下のことから]野間吉夫/[竹の編み模様]/[竹のシェード]/[小木の竹細工]/[百貨の売場から]/[竹の随想]武田正泰/[うちわの話]森田たま//グラフ[佐渡の風物]/[佐渡風物誌]中村精//[沙魚釣り]河井寛次郎/[笹川邸を訪ねて]伊東安兵衛/[山陰の民芸を訪ねて]林弥衛/...


「竹の編み模様」 (14-15頁)

発刊時の時代背景を知るには : 1955年


グラフ「佐渡の風物」から (24-25頁)


[佐渡風物誌](中村精)から (28-29頁)

テキスト引用:
2-4頁 [魚名蘭堂追憶]寿岳文章

「 六月は私にとつて悲しみの多い月であつた。フォッグ美術館で東洋芸術の講義をしていた頃の柳さんを通じて、日本におけるドン・キホーテ文献の蒐集を頼まれたをがきつかけで、爾来三十年近く親交を結び、往復の書簡恐らく数百通にのぼるボストンのカール・ケラーが、昨秋旅行中の怪我がもとで、九十に近い高齢とは言うものの、入院加寮中逝去したとの知らせをうけて間もなく、ウォーナーの訃報である。ケラーは池田成彬と同窓のハーバードの古い卒業生で、フォッグ美術館の理事もやっていたから、ウォーナーとも共通の友人である。それが相ついで世を去つた。まことに淋しい。

 柳さんを通じて、ウォーナーの仕事については随分古くから聞いていたが、その人を眼のあたりに見、親しく言葉をかわし、文通の間柄となつたのは、敗戦直後、わが国の古文化財保護を目的とする美術顧問の格で彼が派遣されたときであつた。京都では同志社本部で歓迎懇談会が開かれたが、その時ウォーナーが京都の一老工芸家の問に対して与えた謙遜な言葉を、私はいまだにはつきり覚えている。問うた工芸家は、多分彫金か何かをやる人らしかつたが、敗戦の惨苦のもとにある自分たちは、今後どういう風にどういうものを作つてよいか途方に暮れている、どうか私たちのために進むべき道を教えてほしい、という意味のことを訴えた。ウォーナーはそれに対し、「我々は常にあなた方から学んできたのであつて、与えるべき物を殆んど持つていない。あなた方が先生であり、我々は生徒である。お国の工芸や美術の立派な伝統を守つて、私たちにこそどうか教え続けて下さい。」と言つた。それが政治家のよくやる外交的な空世辞ではなく、心の底からそう思つての発言であることは、彼の真摯な表情が示していた。ウォーナーに対する私の尊敬はいよいよ深まつた。

 ウォーナーから私への最後の手紙も亦、彼の美しい人がらを語つている。それは敦煌の千仏洞に見られるものよりも美しい塑像の菩薩像一体を、彼が敦煌に近い熱砂の地の一仏教遺跡萬仏峡を調査した際にアメリカへ持つて帰つた行為についてである。その行為が、去年中共で取りあげられ、ウォーナーを中国文化の敵、悪人だときめつけた論評が何か中共の機関紙に載つたと見え、それを読んだ東京の一知人から私のところへ、槍玉にあがつているのがもし君の尊敬するウォーナーと同一人なら風上におけない、と言つてきた。私としは気になるので、そういう中共側の中傷乃至批難に対するウォーナー自身の率直な感想を求めた。ウォーナーから届いた返事は実に謙遜で、それには大体次のような意味のことが書いてあつた。

「……いま中共で政治を行ってる人々が、私の行為を批難する気持は私にもよくわかる。私が萬仏峡へ行つたころ、現在の中国に見られるような秩序が保たれ、文化財に対する今日ほどのゆき届いた顧慮が払われていたなら、何を苦しんであの仏像をアメリカへ持ち帰つたりなどしよう。だがあの時は、内乱につぐ内乱で、中国の古文化財は至るところで破壊と掠奪を受けていた。私の眼の前で、貴重な古文化財が、無残に破壊されたり、ひどい代用品ととりかえられたりするのを、私は幾度か見た。熟考の末、せめて萬仏峡の仏教芸術を代表する一仏体だけなりと安全なアメリカの公共博物館に持ちかえり、世界の公共財としておくことが、この際私の義務だとの結論に達したのである。アメリカのためにとか、況んや私一個の欲求をみたすためとかの念慮は毛頭私に無く、ただただ立派な過去の文化財の喪失をいたむ悲しみだけが、私に敢てあの行動をとらせた。また私は、私の行為が誤つていたとも思わない。この気持、君にはわかつて貰えるだろう……。」このウォーナーの心事、私にはよく理解できる。中共が今となつて彼の行為にけちをつけるは、あまりにも虫のよい見当外れと言うほかはない。中共当局の言うことなら、何でもかでも全部正しいと盲信するわが国の素朴な感傷家の存在は、民芸でなければ美は無いと言いきる人たちの存在と同様、甚だ困つた片よりである。

 そういう固陋な片よりから、ウォーナーは完全に解放されていた。その点を、私は彼の最大の長所だと思うし、その長所があればこそ、彼は私にとつていよいよ慕わしい人物となるのである。周知の通り、彼は岡倉天心の弟子であり、天心を継承する物の見方や考え方は、たとえばわが国の茶道を論ずる場合のウォーナーにはつきり現れている。民芸の信奉者たちは、率直に言つて、そうした岡倉魚名の系譜に対し、あまり多くの点数を与えまい。しかし同時にウォーナーは、民芸の伝統や理論の、最もよい理解者の一人でもあつた。わが国の美術史家さえ、民芸を顧みようとしない現状においてこれは稀有のことと言える。だが岡倉によつて育てられた大観や観山ならびにその流れを汲む人々にとつて、民芸はどうやら無縁の存在であるらしい。どちらの側も、反省しなければならない。すぐれたものならば、何のわだかまりもなく、何の屈託もなく、素直に受け入れようとした謙虚で柔軟なウォーナーの態度から、私たちはもつともつと学ぶべきではないか。

 ウォーナーが、どこからそうした素直な受容性を得たかを考えてみる。一見矛盾と思われるかも知れないが、実はそれは彼のバック・ボーンであつたギリシャ以来の西洋的伝統理性を重んずる態度から来ている。ありのままに、ゆがめずに、素直にものを見ようと思えば、人は理性に対し従順であらねばならぬ。アリストテレースや、アリストテレースをキリスト教神学の大系の中に生かしたトマス・アクィナスが、そのことの何よりの証拠である。芸術のレエゾン・デエトルが、芸術に酔いしれたプラトーンによつて否定されねばならなかつたのに、理性の稀有の尊重者アリストテレースによつて肯定されたのは暗示的だ。ウォーナーの思想的立場は、彼自身告白している通り、トマス・アクィナスの祖述者クーマラスワミは、イギリス人であつた母方の血を引いて、実に強靭な理性の持主であつた。日本では、殊に民芸の信奉者の間では、そういう西洋の伝統に対する十分な理解の無いのを、常々私は残念に思つている。恐らく東洋は、西洋よりもすぐれたものを数多く持つているだろう。しかし西洋は西洋で、東洋よりもすぐれた多くのものを持つているのである。謙虚な気持で、互いに学びあわねばならない。その勉強を、身を以て示したのがウォーナーであつた。思惟以前の無執着の世界をたたえる東洋精神の代弁者にどうかすると救いがたい我執がこびりつき、ウォーナーのように理性の上に立つ西欧人が、かえつてうるわしい謙譲の美徳を示す。これは民芸の人たちにとつくりと考えて貰いたい公案の一つだ。」



 民藝 32号は、ブックスボックス 田原書店 で、販売中(一部限り)です。

HW5039 民藝 32号 佐渡の風物 (表紙:ガラス製漁網用浮玉) 昭和30年08月号 1955 東京民藝協会
500円

 ご購入ご希望の方は、ブックスボックス 田原ヒロアキまで、直接メール yoro@booxbox.com でお申し込みください。 送料300円です。

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