20070916 賢者の言葉・佐々木俊尚 『フラット革命』 ・「よるべなく漂流する人たち」
佐々木俊尚 『フラット革命』 (講談社 2007) より、「第二章 よるべなく漂流する人たち」の一部を引用。
佐々木俊尚 : wiki
「 瑞穂の「公共性」
再び瑞穂の物語に戻ろう。
彼女に突きつけられた問いかけはすなわち、戦後社会からの脱却を人々がどう受け止めるのかという問いかけでもあったのだ。その意味で彼女の悩み、そしてその悩みの中から彼女が選び取った行動というのは、すぐれて二十一世紀日本的な意味を持っている。
瑞穂は夫を失い、仕事を失い、両親からもあまり愛されず、自分がどこにつながればよいのかわからなくなった。そうして悩んだ挙げ句、気がつけば漂着していたのが、出会い系という細い社会との「糸」だった。
しかしその「糸」も彼女の期待にはなかなか応えてくれず、そうして彼女は精神を病んだのだった。
長いインタビューがとぎれたひととき、瑞穂は突然、こんなふうなことをぽつりと言った。
「出会い系を勘違いしてる人が多くて……」
私は「出会い系ってしょせんはそんなものじゃないのか」と内心思いながらも、しかしそうやって出会い系を弁護する彼女のことばには、不思議な共鳴を感じた。
「ふつう二、三回のやりとりだけじゃメールアドレスや電話番号なんて、教えないでしょう? でもそれを渋っただけで『おまえ、サクラだろう』って言われたりとか。あと、夜中の十二時過ぎなんていう遅い時間に『もしもし、これから会える?』なんて言う男もいる。『夜中だし、出るのが怖いよ』って言っても、『ここのホテルに泊まってるから、タクシー代出してあげる。着いたら何号室に来て』とか、完全にデリヘルと勘違いしてるよね。あともっとひどいのが、電話で『母子相姦をしてるところを聞きたい』と言った男。『子供がいる?』と聞くから『いる』って答えたら、『じゃあ起こして、そこでやってみせてよ』だって。信じられない」
そりゃ嫌だよね、信じられないよね――と私は答えた。
「でもね、そういう男をつくっちゃってるのが、実は電話で調子だけ合わせてる私みたいなサクラじゃないかと思ったんですよ。だからそういう勘違いを修正したい、出会い系はそういうところじゃなくて、もっといいこともあるんだということを広めたい、っていう気持ちがあって、それでウェブサイトをはじめて、いろんなことを書くようになったんです」
「それは要するに、出会い系ってそんなひどいところじゃなければ風俗の代用品でもなくて、人と人が出会える場所なんだから、そこにはお互い守るべきルールや礼儀があって、それをみんなで守ってほしいということ?」
「そう。単なる出会い系を使ってる人の交流の場にはしたくなくて、実際、出会い系の運営サイトの男性から、『あなたのサイトはそういうサイトとは一線を画した勉強できるサイトです』って褒められたこともあるんですよ」
そんなふうに彼女は、熱っぽく夢中になって語るのだった。
「でも、いい出会いなんてあるの?」
私がそう聞くと、彼女は「もちろん」と答え、ある男性との関係を語った。
その男性と出会い系で知りあったのは、まだ彼女が離婚する前である。五歳年下、隣県に住む独身男性。
いったんはささやかな喧嘩がもとで、短い期間の交際の後に、あっけなく別れた。だが彼女が別の出会い系サイトで知りあった男にストーカーのようにつきまとわれる事件があり、その男性に相談したことから、関係が復活した。といっても出会い系の男女としてではなく、何でも相談しあえる友人関係に落ち着いたのである。彼は五歳年上の彼女のことを「ねえさん」と呼び、いつも彼女のことを気づかってくれるのだという。
そういう話を、彼女は私に語った。それは実際のところ、私に対して彼女が何度もくり返し話した、新たな恋の物語のひとつのパターンでしかなかった。けれども、彼女は熱情的にこう言うのだった。
「知りあったのは確かに出会い系だけれど、からだの関係だけでない安心感ややすらぎ、人間として尊敬できる相手に知りあえて本当によかった。決して、出会い系は手っ取り早い行きずりの相手を探すだけの場所じゃないってわかってもらえると思う」
彼女が願っていたことは、たった二つだった。インターネットの出会い系という枠組みを経由して、自分という存在を確認すること。そしてその存在確認をもとに、他人とのきずなを復活させること。
そのために彼女は、出会い嬢としての<わたし>を発信し、世間に向けて自分の恥ずかしいプライバシーをさらけ出した。それによって、その行為の延長線上に「個」の確立された自分を発見し、そうしてやがて社会の中の自分の位置をピンポイントで固定できるようになるのではないか――彼女は、そう考えていたのだ。
彼女がそんなふうに考えるようになった原動力はおそらく、インターネットというアーキテクチャー(構造物)の魔力にある。
世界に向けて自分を公開し、その混じりあった場所では<公>と<わたし>が混じりあう、希有な媒体。その媒体を使い、そのアーキテクチャーに突き動かされるようにして、彼女の心の中にはある種の<公>に対する願望が芽生えはじめているように思えた。それはかつての中央コントロールされた新聞やラジオ、テレビなどのメディアではありえなかった現象である。
前章で私は、インターネットで人々が拠っているのは<わたし>だけであると書いた。
いまやその場所では、公と個が逆転し、交錯している。個の部分が公に溶け出し、公が個にひたすら収斂していってしまうあらたなフィールドがそこに生じている。
そしてもしそのフィールドが拡大していけば、彼女のような極私的な情報発信の膨大な数の集合体はいったい何を生み出すのだろうか。
瑞穂がウェブで書いた日記は、ひたすら私小説に近いポエティックな文章だった。そしてその文体は、多くの日本人ネット利用者がウェブやブログで発信している極私的な日記と、驚くほどに似通っている。
日本のブログの多くは、こうした極私的な日記だと言われている。そしてそうした極私的ブログの数々が、日本語ブログの絶対数をものすごい勢いで押し上げ、なんと二〇〇六年末には世界でブログ投稿数の多い言語のナンバーワンにまでなった。ブログ検索のサービスを提供しているテクノラティ社が発表したレポートでは、二〇〇六年第4半期、日本語のブログ投稿数は前期の三三パーセントからさらに増えて、全体の三七パーセントを占めるまでになった。一方、前期一位だった英語は三九パーセントから三六パーセントに低下している。ちなみに三位は中国語だった。
これだけを見れば、日本のブログには、公共性が乏しいように思える。そしてその<公>の乏しさは、実のところブログが登場するはるか以前からの課題だった。歴史を振り返ってみればこれは、近代化の波にさらされた明治のころから、日本の言論空間の難問だった。
たとえば明治時代の民俗学者、柳田國男は文学界の<公>の乏しさを指弾したひとりだった。評論家の大塚英志は『更新期の文学』(春秋社、二〇〇五年)で、徹底した近代主義者だった柳田の目から見て、たとえば『蒲団』を書いた田山花袋の私小説は許されるものではなかったとしている。こうした私小説は文学が「個」になるための手段ではなく、ただ「私」の存在証明のツールにしかなっていなかったからだと言うのだ。
それはいまの日本で言えば、要するに若い女性が書く、自分探しのポエムのようなものだ。そんなものは公共性にはならない――というのが柳田の考え方だった。
彼にとっては「個」というのは、そこから互いに交渉し、調整し、議論しあって公共性を立ち上げていくための「私」の書式でなければならなかった。つまりは個の確立こそが、公共性につながっていくという考え方である。
では、<わたし>の集合体は、永遠に<公>にはつながっていかないのだろうか?
日本の極私的ブログは、永遠に公共性を実現するプラットフォームにはならないのだろうか?
瑞穂は、あくまでも出会い系嬢としての情報発信、<わたし>としての情報発信を行いながらも、そこでそうやって<わたし>を発信していくことが、すなわち社会構造の中での自分の立ち位置の固定化につながるのではないかと、すがるように信じていた。
瑞穂が『出会い系嬢の憂鬱。』というウェブサイトをつくり、過去に知りあった男たちの話を書きはじめると、いくつものメールが彼女に届くようになった。送信者には、男性も少なくなかった。
彼女は言った。
「私の文章を読んで、切ないって言ってくれる人が何人もいるんです。泣いたって言ってくれた人もいた。そういうメールを読むと、私の体験を単なる出会い嬢、サクラの恋愛なんかじゃなくて、ひとりの女性の恋愛として見てくれてもらっているのかなと思って、とても嬉しくなる。出会い系だからって特殊なことじゃなくて、そこにあるのは一般的な恋愛でもあるんだよね。ね、佐々木さんも、そう思うんでしょう?」
私のは、反論する言葉はなかった。彼女は、嬉しそうな表情でさらにこう付け加えた。
「私ね、佐々木さんに会う前にインタビューの質問をあらかじめ教えてもらっていたでしょう? その答えを今日の取材の前に用意しておいたんです。そのひとつ、『出会い系をやって得られたことがありますか』という質問に対する回答。それはね、『人脈を得た』です」
「人脈?」
「ふだん出会えない人との出会いがある。極端な話を言えば、私がそうやって出会い系に行ったことで、そしてウェブサイトを開いていたから、それを見た佐々木さんのような人と会えたわけでしょう? 普通だったら絶対に出会えないじゃないですか」
「たしかにそうだね」
「でしょう? そういう意味では、私なんか一度は男性不信に陥ったり、いろんなことがあったけれど、出会い系をやってて良かったなあって本当に思ってるもの」
彼女や彼ら――出会い系にはまった多くの人たちは、共同体を失った末に別のつながりを新たな社会システムである出会い系に求め、そこで人間関係の良好な組み替えを期待したのかもしれない。そこに彼らは、安心と隷従の古いゲマインシャフトの幻影を見つけていたのかもしれないのだった。
隷従するゲマインシャフト
瑞穂は出会い系を介して、さまざまな男と会った。なかには友愛関係のまったく存在しなかった出会いもあった。
妻子があるという四十歳前後のサラリーマンは、さわやかな口調と包容力のある雰囲気が頼もしさを感じさせた。ところがホテルに入ったとたん態度を豹変させ、持っていたかばんの中からロープや犬の首輪、ムチなどのSM道具を次々と取り出し、ドスの利いた声で彼女に命令したのだった。
「その首輪をつけて、床を這いずりまわれ!」
恐怖ですくんだ彼女は、男に言われるがまま、犬の格好で床を這った。屈辱的な行為だと思ったが、怖くて声も出ないほどだったのである。
だが彼女は、このサラリーマンにその後も会っている。
「そういうことをするって前もって言ってくれていれば、どこまで許せるかっていうのをお話しできたと思うんだけど、いきなりされるとやっぱり怖いよね……。そういう性癖自体を私は否定しているわけじゃないんですよ」
と淡々と話すのだ。
こうした経験をしても決して相手を嫌わず、男たちのことを擁護し続ける。しかしそこまでして他人との細い「糸」の存在を守り続けなければならない彼女に、私は非常な切なさを感じたのだった。
彼女の求めているのは、たしかに友愛だったと思う。しかし友愛を受け入れるのであれば、そこに生じる隷従も甘んじて受け入れなければならない――高度成長時代に生まれ、戦後社会の子だった瑞穂は、身に染みついた無意識としてそう共同体をとらえていたのではないかと私は思った。
私は彼女に、「出会い系の恋愛って、刹那的にすぎると思うんだけど」と聞いた。彼女はこう答えている。
「からだを重ねて、抱きあっている時のぬくもりだけは本当だと思ってた。相手のことをよく知ってるわけじゃないけど、ホテルを出て『じゃあね』と別れて帰るとき、いつもすごく悲しかった」
出会い系は刹那的なのに、なぜ会っている時だけは幸せな気持ちになれたのだろう。
「閉鎖的な場所だったから」と彼女は言った。
「出会い系のメールのやりとりって、他人に見られるわけじゃないでしょう? 実際のデートのように人に見られるわけでもなく、会社の同僚とか同級生のように交際がはじまるのをみんなが知っているわけでもなく、それにネットでも掲示板みたいに公開したるするわけじゃない。お互いのメールボックスに文字を送り込んで、その中で、まあ文字数の制限もあるから短いやりとりしてって。なんか閉鎖的な空間の中で、何かできちゃうのかなっていう感じがするんですよね」
出会い系には、刹那的ではあるけれども、そういう親密で、安心できる空間のようなものがある。社会から疎外され、セーフティネットからもこぼれ落ちた彼女や、彼女の同類のような人たちにとっては、この親密な空間が何にもましてかけがえのないものと映っているのだ。
瑞穂は、いまも中国地方の街の片隅でひっそりと生活を続けている。ボーダーラインケースとしての症状は改善を見せず、いまも彼女は薬を飲み続けている。
彼女の<わたし>が、<公>につながる日はやってくるのだろうか?
そしてその時には、彼女はインターネットによって救済されるのだろうか?」
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