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20070930 賢者の言葉・アラン島・司馬遼太郎&野沢弥市朗

 「アラン島」と呼ばれることの多い、アラン諸島(Aran Islands/oileáin Árann) : wiki

 司馬遼太郎 : wiki
 野沢弥市朗 : セヴィルロウ倶樂部



司馬遼太郎 『街道をゆく 31 愛蘭土紀行Ⅱ』 より、「岩盤の原」の一部を引用

    *  

「 この一幕物の幕開き早々には、老母モーリャが出て来ず、姉娘のカスリーンだけが糸車をまわしている。やがて外出していた妹娘のノーラがもどってきて、若い牧師さんが彼女に手渡した溺死者の遺品を姉にみせる。
 その溺死者が、彼女たちの兄のマイケルのものである可能性がつよい。ただし、マイケルは、アラン島のまわりでカラハ(小舟)による漁をしていて遭難したのだが、その死体ははるか百マイル以上も北に流され、ドネゴールという地に打ち上げられていた、というのである。ドネゴールのひとたちはこの死体を埋葬し、死体が着ていたシャツと靴下をみて、これはアラン島の漁師だろうとみて、遺品を島の牧師に送ってきた。牧師はこの家のマイケルのものだと見、妹のノーラにわたした。
 姉妹は遺品をしらべて、まずフランネルのシャツが、マイケルがかつてゴールウェイの町で買ったものであることに気づく。
 さらにノーラは編み靴下をみる。彼女がマイケルのために編んでやったものだということを編目をかぞえることで知り、おどろく。「私、編目を六十にして、四つだけ落したんだよ」アラン島では、溺死したときにどの家の者かがわかるように、スウェーターなども家々で編み方を違えてあるということは、すでにふれた。
 そこへ老婆モーリヤが登場する。
 姉妹はマイケルのことをかくすが、モーリヤの関心はそれよりもいちばん末の息子のバートレイが、便船に乗って本土へ行ったしまったということにあった。この風浪では、遭難するのではないか。
 やがて、姉妹は五男のマイケルのことを話す。母親のモーリヤは、遠い北のほうでみつかった死体がマイケルだとは容易に信じようとせず、
海の上には、若い男が、いつでも沢山浮いてゐるからね。だからその遺骸がマイケルだか、それとも、他人の空似だか、どうして解るものかね?
 これが"日常"のなかのせりふなのである。決して戦場でのやりとりではない。
 この間、六男のバートレイが、母親のモーリヤのとめるのもきかずに出てゆく。かれは、本土のコネマラの馬市に仔馬を買いに出かけるのである。
 バートレイは、母親にこういった。
今日船が出ると、二週間もそれ以上も出ないんだ。それにこんどの市は、素敵な馬市だらうッて、みんな浜で噂してるんだよ。
 バートレイは出てゆくとき、妹のカスリーンに、
お月さんが沈んで、西風がをさまつたら、ケルプ灰をもう一山つくるやうに、海藻をどつさり引き上げておくんだぜ。
と言いのこす。嵐のあと、浜に打ちあげられた海藻をかきあつめて家にもってかえるのは、女のしごとなのである。
 それやこれやのあげく、バートレイが、船に乗る前に海に落ちて死ぬ。
 どうやらバートレイは浜へゆくべく仔馬に乗って断崖を越えたとき、ふりおとされて、岩場の多い荒海に転落したらしい。村の男たちが、モーリヤの家に、帆布でおおったバートレイの遺骸を運びこんでくる。
 モーリヤは、最後に、独白する。
みんな此の世を去つてしまつた。だから海はこれ以上、私にどうする事も出来やしない。…………
 私どもは、そのようなアラン島にいるのである。
 信じがたいほどにオンボロの――しかし持主は三年前に買ったばかりの新車だと言い張る――黄色いワゴン車に乗って、島内をうろうろしている。
 やがて道が細くなり、岩間から湧きあふれている泉のそばで車がとまったとき、おろされた。ここからは、歩くんだ、と運転手はいった。
 「むこうにはなにがあるんだ」
 「断崖だよ」
 運転手がいった。
 それまでは荒涼たる岩盤の原っぱで、そのむこうは一大断崖でもって大西洋に切りおとされているらしい。断崖までは目測して約八〇〇メートルはある。
大断崖に用心を (BEWARE OF HIGH CLIFFS)
 という、赤看板が立っている。強い風の日なら、バートレイのように海へ吹きとばされるかもしれない。
 岩盤は鏡のようではなく、密集した羊の背を歩いてゆくようにでこぼこしていて、その無数のくぼみに風が運んできた土がたまっており、芝生がしっかりと根をはっていて、いったん溜まった土はもはや吹きとぶことはない。記録映画『アラン』の若い主婦は、こういう場所から土をすくってきたのにちがいない。
 雨が、ぱらついている。四月はじめながら雨のせいもあって、日本の二月末のように寒い。
 私は、下を見つつ歩いた。靴底と、なめらかすぎる岩盤とが一歩ごとなじまず、つい滑りそうになり、一歩ごとあおむけに転倒して後頭部を割ってしまう危険を感じつづけた。アラン島で死ぬなら、モーリヤ婆さんの舅や亭主や六人の息子たちのように、海で死んだほうがいい。

 シングの『海へ騎りゆく人々』は、一九〇四年、ダブリンで上演され、世界の演劇に大きな衝撃をあたえた。シングはその三十八年というみじかい人生の晩年に右の作をふくめてわずか六編の戯曲を書き、シェイクスピア以来といわれる卓越した人間把握力を示した。
 『海に騎りゆく人々』の原題は "Riders to Sea" である。海へゆく騎手たち。
 アイルランドでは、沖の白い波濤のことを "白い馬" という(私は安藤一郎氏の訳のジョイス『ダブリン市民』の注から素人推量ながらそのように解した)。その編中、パーティからの帰路、登場人物たちが馬車でダブリンのオコンネル橋にさしかかったとき、そのうちの一人が、橋上から沖をみて、この橋をわたるときには、かならず人は "白い馬" を見る、という意味の会話をもらすのである。訳者の安東一郎氏はその "白い馬" に訳注をつけて "波のこと" としておられる。
 波を白い馬という以上、シングの右の戯曲の題が海へゆく騎手(ライダー)であるのは、ごく自然なことばのつかい方かもしれない。
 しかも、海へゆく舟は、布張りの、木ノ葉のようなカラハなのである。カラハは舟というより、白い馬(波)の背に置く鞍にすぎないのではないか。
 鞍ならば、ずり落ちれば、死ぬ。アラン島のひとびとは、漁師とか船乗りとかという安定した職業人というより、鞍(カラハ)にまたがって波を駆る騎手だからこそ、シングは "海のライダーたち" とよんだのにちがいない。

 (中略)

 八〇〇メートルも岩盤の原を歩いたすえにゆきついたはては、人工の石垣だった。焦げ茶色の石を石積みして高さ二、三メートルの石垣の壁が、えんえんと横にのびているのである。
 キリスト教渡来以前のものらしいが、たれが、いつごろ、何のために築いたか、ということはいっさいわかっていない。たてふだにも、訪問者は保存に協力せよ、と書いてあるだけで、とりつくしまもない。
 その石塁の低いあたりを乗りこえると、テニスコート二面ほどの広さのまっ平らな岩盤の広場があり、そのむこうは大断崖となって大西洋に落ちている。
 大断崖まで、腹這いになってすすんだ。
 私は、虚空へ首一つだけ出してみた。下は、吸いこまれそうなほどに高い。
 アラン島というのは、要するにそこを訪ねるだけでも人をおびやかす島だということが、突きだしている首が考えた。ただし両脚は安堵していた。本来、高所恐怖症の木下秀男氏が、目をつぶっておさえてくれていたのである。」



野沢弥市朗 『アイルランド/アランセーターの伝説』 より、「島の掟」を引用

    *  

島の掟
 近頃は辺境ブームなのか、いろいろな雑誌やテレビ番組で、アラン諸島が取り上げられる機会も多くなりました。中には、ヤラセたっぷりに、映画「アラン」さながら、岩を砕き海藻を背負い、土を作る場面を再現させた番組まで見受けられ、あたかもアランの人々が19世紀末のシングの記述のまま何の変化もない、まるで未開の原始民族のように扱われたのを観たときは、さすがに少なからぬ憤りを感じたものです。そして、アランセーターはこれらどの特集でも必ずと言ってよいほど登場します。その多くは、島の女性がセーターを編みながら「これは、遠い先祖の頃から島に伝わっているセーターで…」と、アランセーターの伝説を語ります。こんな場面を、雑誌やテレビできっと一度ぐらいは観たことがあるでしょう。そして、伝説を語る彼女たちを見て、私は疑問に思っていたのです。「島の女性たちは、伝説を信じてそう言っているのか? それとも、偽りと承知で伝説を語っているのだろうか」。
 私は、初めてアラン諸島を訪れたときに、感づいたことがありました。それは、島の人たちはめったに真実を語らないのではないだろうか、ということです。シングも著書「アラン島」の中でこう言っています。「この島では信頼できる証言を得ることは不可能である。島民が不正直だということではない。彼らが、抽象的な真実より、血縁という人間関係が必要とするものを、より神聖だと考えるからである」と。
 アランで生きるということは過酷なことです。島民すべてが一致団結して協力し合わないことには到底暮らしてはいけないのです。もしこの小さなコミュニティにほころびが生じれば、島の和は乱れ、それは生死に直結することもあったでしょう。そんな中で、あそこの誰かがみんなと違うことを言った、となれば、周囲から冷たい視線を浴びてしまいます。だから、外来者に対する発言にはどうしてもナーバスにならざるを得ません。言い方は悪いのですが、ヨソ者に対してはみんなで口裏を合わせる、というのは、アランに限らず、古今東西、小さな村社会では当然の掟なのです。
 島のみんながアランセーターの伝説を語るのなら、また聞く側もそれを期待しているのならば、誰もがその伝説を語る以外にありません。それが真実か否かということは彼らには関心のないことなのです。
 私も数人の編み手に「アランセーターのことで、何かトラブルになったとか、問題が起こったことを聞いたことはなかったか」と聞いてみました。ある人の答えはこうでした。「ない。一度もない。もしあったとしても、あなたは日本からセーターの話を聞きにきている人間だから、それを私は言えない」。何と不器用な正直すぎる返答でしょうか。」



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