20071003 ヤノベケンジの大冒険の旅・「旅の時間」の時間・002
WRさん、こんにちは。
早速の返信、ありがとう。
少しでも楽しんでもらえたら、こちらもうれしいです。
で、今回は、ヤノベケンジさんの札幌での展覧会の話を。前回の分からつながるようなつながらないような。
例によって突然ですが、万博といえば、こちらのような1958年生の万博世代(第一次オタク世代ともいう)真っ只中の人間には、「大阪万博 EXPO'70」なんだけど、1961年生のWRさんにとってはどうなのかな。
こちらは万博開催時、利尻島で小5の3月から小6の9月までを過してた。WRさんはY県で小3から小4か。日本中がそのイベントに夢中で・沸きかえっていた。なんせ、「総入場者数は、6,421万8,770人と万博史上最多」。こちらも、月刊学習雑誌や週刊漫画本に、いろいろな情報が、「人類の進歩と調和」(今となっては(苦笑)マーク)を感じさせる筆致のイラストとともに、書かれていたのを、夢中になって読んだ記憶がある。
さて、ヤノベさんは1965年大阪生まれ。
万博開催中も何度か親御さんに連れられ出向いたらしいんだけど、会場のあった吹田市に隣接する茨木市に越して、万博跡地で「遊びながら」「未来の廃墟への時間旅行」を擬似体験することで、それが創作の出発点になっていったとか。以後、ヤノベケンジの大冒険は、数々の作品を生み出しつつ、今も続いている、って感じかな。
美術作品なんで文章でそれを表現するのは至難の業なんだけど(特にヤノベさんのもののように、作品が優れたものであればあるほど)、作家の個人的ヒストリーが普遍的な世界的ストーリーに昇華されてて、作品のテーマ・コンセプトが過不足なく物質化されてて、脳の想像力をくすぐりつつ身体性の強さを感じる作品、なのさ。って、良い作品はみんなそんなもんか。結局、実際見てもらうしかないという結論にしかならないんだろうけど。
札幌での個展の会場は、札幌宮の森美術館というところ。ヤノベ作品のほんの一端の紹介でしかないものの、この「島」で観られるのは貴重なことだし、その「力」の一端もまた充分に感じ取れた。
会場一巡後、映像作品「太陽の塔、乗っ取り計画」にはまってしまう。
1970年4月、万博開始まもなく、あの「太陽の塔」の目玉(のとこの空地、笑)を占拠し、一週間たてこもった「目玉男」との遭遇・インタビューと、アトムスーツを着て「第二」の目玉男となるべく、「太陽の塔」内部を上昇するヤノベケンジ、さてその結末は。「第一」の目玉男、佐藤さん@旭川の下着ショップ、の話がまた面白い。「岡本太郎」論も秀逸。(岡本太郎の旅についても「太陽の塔」についても、いつかWRさんに書き送ることになると思う)
で、いまや世界的な現代美術家になったヤノベさんなんだけど、これは前回のメールと(これから書かれるであろうメール群たちと)どっかでリンクすると思うけど、映像中で語るその口調は、こてこての関西人のものなんだよね。「太陽の塔」登攀中のヤノベさんが、地上(つまりは万博公園内)のカメラマンと交信するんだけど、そのやりとりが、その行為・行動の巨大さ・特異さに比して、あまりに卑近で日常的な(でもとても人間味のある、世界でもっとも美しく・洗練された言語の一つ)関西弁でかわされる。ヤノベさんは、間違いなく、関西弁で、モノを考えている。その結果の作品群がアレら、となると、関西弁ってすごいんじゃない、やっぱり。
そして、「太陽の塔」の目玉から見える風景は、こちらには懐かしいものだった。ほら、1994年8月頃から1997年の3月頃まで、吹田市民だったからね(マンホールの図案には「太陽の塔」がデザインされている)。当時も、北海道Jターン後も、足繁く万博公園には通っているし、ヤノベさんの作品に触れた以上、これからも通うんだろうね。
さて、札幌市の人口は、2007年時点で180万余人。立派な大都市だ。2007年9月28日、こちらが個展会場にいた時間の入場者は1人。つまり僕だけ。しかも江別市民だし(笑)。これも一種の「廃墟」ではないか、と思いつつ、ヤノベケンジ展を見る。
いかに平日の午後とはいえ、これだけのアーティストのこれだけの作品群が、これだけの人口を有する都市で展示されているのに、これだけ人がいないとは。おかげさまでゆっくり堪能できたけど。
札幌にあるのは「可能性」だけで、ヤノベさんのテーマの一つである「リヴァイヴァル」なんかには縁がないんだろうね。なにせ、現在進行建設中なんだから、「再生」すべき廃墟もない。それはそれで素晴らしい。だから、こちらもここに住んでいる。それでも札幌のいろんな展覧会場で「観客自分一人」なことがあまりに多くて、道産子なのに、大阪にいたときより、「異郷」を感じるんだよね。
今週末、平日の午後、もう一度観に行くつもり。他に入場者がいることを祈って。その人に聞いてみよう、あなたはどこから来たのか、と。「大阪」とか言われたら、笑うよね。話ははずむかもしれないが。
例によって、とりとめのない文章でしたが。
ではでは!
追伸 : 編集者であるWRさんにお知らせ。つい興奮して、お金もないのに、会場で「KENJI YANOBE 1969-2005」という作品集を買ったんだけど、メインのテキストを担当する大場美和さんの文章が素晴らしいのにびっくり。作品集そのものも、写真とテキストで構成された美本と130分余の映像が収録されたDVDで構成されていて、とてもよい(お買い得なお値段です。この辺、古書店主の視線…)。機会があったら是非ご覧下さい。っていうか、今度お見せする機会があればと願っています。術後の入院でもあれば、そのタイミングにあわせて配送するという手もあるか…。
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