20071004 「民藝」 45号・1956年09月・沖縄をおもう/日高アイヌのアツシ織
表紙:四国砥部窯 呉須角瓶
目次
[沖縄の問題]/[沖縄をおもう]池田弥三郎/[「基地」琉球の工芸]上村六郎/[日高アイヌのアツシ織]石川敬吾/[山形の平清水焼]浦本浙潮/[木曽の開田村]三代沢本寿/[伯耆国分寺石像群]吉田璋也/座談[スイスの民俗を語る]/[ネパールの工芸品]今西寿雄//随筆/[吉野絵の木皿]村岡景夫/[江戸あねさま]稲垣武雄/[自作自煙]青井東平/[京の茶漬]西垣光温/[紅毛天麩羅談義]須賀為八郎/[廻り舞台のあった学校]飯尾哲爾/[私のやきもの]沢井平三郎//[山下清の陶器]式場隆三郎/...
[日高アイヌのアツシ織] (11-13頁)から
発刊時の時代背景を知るには : 1956年
[伯耆国分寺石像群] (20-21頁)から
[山下清の陶器](45-48頁)から
テキスト引用:
11-13頁 [日高アイヌのアツシ織]石川敬吾
「 アイヌの人々にとって、北海道の日高というところは、大和民族の大和即ち今の奈良県に相当するような、その歴史と文化とを有する土地である。記紀や万葉に大和をたたえた歌があるように、アイヌ文化の淵源地日高の賛句が、今でも人々に口伝されている。
オイナカムイなる神の祖の
古き物語に語り伝うる
あやに畏き沙流の郷よ
アイヌの淵源、そこから開けて
ひろごりたる郷々の長たる郷の
この神郷よ――
などは、われわれの祖先が「うまし国ぞ、あきつ島大和の国は」と歌ったのに相通じるものがある。
沙流の郷というのは、今の日高沙流川沿岸の平取村である。室蘭本線苫小牧駅で日高線に乗換え、右に太平洋、左に見はるかす限り原始さながらの勇払の葦原が暫くつづき、一時間余りで沙流河口の富川駅に着く。平取へはここから更にバスに乗換えて北上せねばならぬ。村の人口の約一割は先住民アイヌの人々というから、世界で一番この人たちのお多い村である。
北海道を訪れる人々は、アイヌ部落というと白老や近文の、所謂特定のアイヌ部落を想像されがちであるが、平取とは限らず日高諸村のアイヌの人々は、移住定着したわれわれ和人と雑居して、その生業も生活様式もあまり変るところがない。それだけにまた、アイヌであることを売りものにして、伝統的な手工芸を涜するような仕事はしていない。
平取諸部落の製品は、自分たちの生活に必要な用具として昔から作って来たもので、商品として製作された試しの少い所謂手仕事である。今ではこのような仕事も時代の波に押し流されて、二風谷やペナコリ部落の数人の老人(女)たちの手によってささえられている有様である。
アツシ織
現在、この人たちに依って織られているアツシ生地は、昔のような立派なものではない。オヒョウダモ・シナ等の樹皮の内皮を沼水でさらし、或は灰汁で、煮これを細く裂いて糸には撚らず(昔、自分たちの衣料として織ったアツシは糸に撚ったもの)そのまま原始的な手製のイザリバタにかけて織ったものである。その生地は主に札幌でアイヌ紋の刺繍や切伏せを施した名刺入、札入、ハンドバック等に作られ、北海道の土産品として売り出されている。
アツシ生地もこれを織る手が増え、また価格も現在の半分ほどで出来るようになれば、今後は単に観光客相手の土産品用としてのみでなく、郷土民芸の重要な材料として活用することが出来る。
こんだし
アツシ織生地と同じオヒョウダモ・シナ等の内皮を材料としたものに「サラニップ」と「ラ・サラニップ」とがある。土地では殆どアイヌ語を用いず「こんだし」と呼んでいる。東北地方のこだすと同義の和名を、いつの間にか使うようになったものと思われる。どこの家でも入口の土間に、二つ三つさげてあって、野良のゆきかえりの雑物入れに使用している。竹やアケビ蔓のない北海道にあって、他との交易の極めて乏しかったアイヌの人々が創り出した民芸品の一つである。現在では家屋も衣服も、その生活様式のすべてが和人と変らぬ日高の人々でありながら、この「こんだし」が昔ながらに作られ使われているということは、民芸品としての要素を充分に備えていることを物語ることになろう。
サラニップは樹皮(内皮)の強靭柔軟で良質のものを、沼水にさらして麻のように白くし、細く裂いたものを肩からさげる袋に編組んだものである。
ラ・サラニップは外皮に近い、サラニップやアツシの材料には質が粗剛で適さぬ部分を、一定の幅のある大きさに裂き、竹かごを作るようにして編組んだもので、この方は形が固定していて、乾燥すると角々が早く傷むおそれがある。
いずれも実用的な「こんだし」であるが、材料の樹皮を沼水でよく処理して、編み手の達者なのが作ったものは、何の装飾を施してなくても素朴な美しさを持っている。北海道が生得の民芸品として今なお作られているものの中で、この「こんだし」がその用に於ても品質に於ても、最も立派である。
今後、この大きさ形等は現代の生活に適するように工夫して、アツシと共にその材料の採取、処理、製作を軌道にのせたいものと考えている。
その土地から生れ、その土地の人々によって育てられ、生活に役立ちつつ長い年月を生きぬいて来たこれらのアイヌの手仕事は、今は無用のものとして簡単に捨てるのは実に惜しい。元の姿のままではなくとも、その持って生れた仕事の真実味を活かして、今日でも利用出来得る他の製品へ転換し、永く伝えたいものである。
なおこのほか、日高ではガマ(シシキナ)エゾアブラガヤ(ソンバオキナ)等の茎を編んで茣蓙を作り、板敷間の敷物として今でも使用している。
アツシ織生地とサラニップは、昭和二十九年度の日本民芸協会新作工芸展に初出品して、いずれに入選している。」
民藝 45号は、ブックスボックス 田原書店 で、販売中(一部限り)です。
HW5042 民藝 45号 沖縄をおもう 日高アイヌのアツシ織 (表紙:四国砥部窯 呉須角瓶) 昭和31年09月号 1956 東京民藝協会
500円
ご購入ご希望の方は、ブックスボックス 田原ヒロアキまで、直接メール yoro@booxbox.com でお申し込みください。 送料300円です。
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