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20071007 賢者の言葉・万博「太陽の塔」の目玉男・串間努&ヤノベケンジ



串間努 『まぼろし万国博覧会』 より、「葉隠を読むイカロス」を引用

    *

「 アイジャック事件発生!
 太陽の塔が「アイジャック」されるという事件があった。彼は太陽の顔面に籠城しているうちに「目玉男」といわれるようになった。
 四月二十六日午後五時二十分頃、太陽の塔先端の黄金の顔の右目の中へ、赤軍と書いたヘルメットをかぶり、青いタオルで覆面した、グレーの上着、黒ズボン姿の学生風の男が黒いバッグのようなものを持って上り、通路の扉を閉じて「バンパクをつぶせ」とアジ演説を始めた。
 このため塔のまわりは二、三千人の観客で大混雑となり、会場警察隊は約百七十人の警官を出動させて整理にあたった。また万国博協会職員と警官が太陽の塔に上り、扉一つ隔てて赤ヘル男に降りてくるように説得したが応じなかった。通路が狭く、目玉の仲で押し合った場合、転落の危機もあって近づけない。警察、協会は説得で降ろす方針を決め、持久戦に持ち込んだ。男も防寒ジャンパーを着込むなどして、粘る構えを見せていた。

アイ・ビーム発射せず
 黄金の顔の左右の目玉の中には、直径約五〇センチ、五キロワットの電球が入っており、毎夕六時に点灯することになっていた。しかし点灯すると、目玉の中に座り込んでいる男が焼け死ぬおそれがあり、協会では点灯を中止した。
 けっきょく男は四月二十六日から、大阪府警レンジャー部隊に逮捕される五月三日まで八日間にわたって塔を占拠した。逮捕された時の罪状は威力業務妨害、建造物侵入の現行犯。吹田署に移され、医師の外診を受けたあと取り調べを受けたが「広島大学の闘争で令状が出ている」と、一緒に降りた警官に言っただけで、身元、動機については黙秘をつづけた。各県警に顔写真、指紋などを照合した結果、本籍北海道、住所不定佐藤英夫(二十五歳)と断定した。佐藤は正面に黒で「赤軍」と書いた赤ヘルメット、長さ五メートルの麻のロープのほか、布製キャンピングバッグ(水八リットル入)、トランジスタラジオ、トイレットペーパー一巻、『万葉集』『葉隠』の文庫本を持っていたが、食料は持っていなかった。食料がないのにトイレットペーパーを持っているのはどういうわけだ?
 吹田署で調べに対し、佐藤は「プロテストのためだ」と一言いっただけ。同署は佐藤の疲労が激しいので、午後一時半調べを打ち切って就寝させた。
 大阪府警、北海道警、広島県警などの調べを総合すると、佐藤英夫は北海道深川市の出身、三十八年に旭川工業化学科を卒業後、四十年七月から年末まで旭川市役所でアルバイトをつづけ、四十一年一月、本採用になった。
 四十三年七月「好きな詩をつくりながら日本一周する」と退職したが、その後、札幌の道庁前の国旗と道旗を引き下ろして焼いたり、帯広畜産大闘争の支援活動に加わり、道警に逮捕されている。また前年の夏、広島大学封鎖時の不退去、公務執行妨害、凶器準備集合罪などで現行犯逮捕された。佐藤はノンセクトラジカル。直接赤軍派とは関係なかったらしい。

黄金爆弾コボレ話
 この占拠事件にはこぼれ話がある。現場に立ち会った警察官の述懐である。
「緊張したF隊員の顔に水がかかった。雨だ!空を見上げたが雲ひとつない上天気。よく見るとあの男、小便の真っ最中」
「『ろう城』四日目。白い紙包みが落ちて来た。助けを求める手紙でも入ってはいないかと、隊員が拾って開いてみた。中はぬくぬくの『黄金のくそ』」
・・・・・・ほんとにこぼれ話になってしまったぞ。
 また、「男を呼ぶのに『オーイ』では格好がつかない。そこでN隊員、適当な名前で呼んでやれと思いついたのが後輩の『佐藤』巡査。『佐藤君、やることはやった。早く降りてこい』。これを聞いた目玉男は『下に落とした紙から指紋をとったのか』と答えてきた。なぜこんなことを言うのか不思議だった。逮捕後、男の名前が『佐藤英夫』であったと聞き、隊員一同驚くやら、吹き出すやら」であったという。
 この事件はその後、法学部の学生たちにとって「太陽の塔に侵入したのは『建造物侵入にあたるか』」の判断でおなじみになる。「レンジャー」の言葉も懐かしい。私事だが、父がパチンコの余り玉で持ち帰る「森永ミルクキャラメル」の中に「レンジャーカード」が仕込まれていて、アルバムをもらって、貯めていたものだ。忍者、探偵、スパイと来て、子どもたちのトレンドはこの頃、レンジャー部隊だった。
 さて、男はどうやって、太陽の塔の顔まで上がったのであろうか。内部の展示コーナーまではエスカレーターで昇れる。男はエスカレーターの終わる六階付近にある非常ドアを開けて非常階段で七階まで上がり、作業員用の鉄はしごや足場を伝わって上に行き、太陽の塔の首あたりにある人間一人がやっと通れるくらいの細い鉄パイプを通り抜けて鼻の裏側に出て、ここにある扉を開けて、黄金の顔の右目に出たという。まさにレンジャー部隊さながらだったのだ。」



ヤノベケンジ 『ヤノベケンジ1969‐2005』 より、「太陽の塔、乗っ取り計画」(テキスト:大場美和)を引用

    *

「 岡本太郎記念館にて行ったレクチャー(2001、連続講座「岡本太郎と語る」)にて、「太陽の塔、乗っ取り計画」を宣言したヤノベは「MEGALOMANIA」展開催と同時進行で、大阪万博のもう1つのシンボル「太陽の塔」に真っ向から挑みかかるプロジェクトを敢行していた。
2000年、雑誌の取材に同行したヤノベは幸運にも椹木野衣氏(美術評論家)、小田マサノリ氏(文化人類学)とともに太陽の塔の内部に入る機会を得た。塔内部にある、生物の進化過程を表す展示物が取り付けられた「生命の樹」を見るためだった。大阪万博当時、観客はその50mに及ぶ巨大な「生命の樹」を眺めながら過去、現在へと登り進み、塔の右腕の先から大屋根につながる未来世界(空中展示場)へと導かれる仕組みになっていた。それから30年経た「生命の樹」は、殆どの展示物が取り除かれ、残る展示物も内部構造が剥き出しになった状態のまま、ひっそりと佇んでいたという。その光景は「未来の廃墟」そのものだった。まるで人類の未来が閉ざされているかのように、、未来世界への出口であった右手の先もコンクリートで塗り固められていた。暗鬱とした気持ちになりかけた時、ヤノベたちは別の出口から外の風景を見た人物がいたことを記憶から呼び覚ました。万博会期中、万博粉砕を目的に黄金の顔・目玉内部で159時間のハンスト籠城を決行した人物、通称「目玉男」だった。彼の足跡をたどるように塔上部への通路を探し、配電室の天井窓を抜け、上の登るはしごを発見した。しかしヤノベたちは暗闇と足場の悪さによる恐怖心から、目玉への登頂を断念したのだった。

それからしばらく経ち、世界情勢はアメリカ同時多発テロ(9.11)事件以降、不況と戦争の不安の渦へ巻き込まれていた。「人類の進歩と調和」の未来とは程遠い現実に、ヤノベは太陽の塔の内部で感じた閉塞状況が今世を象徴していたかのような錯覚にとらわれ始めていた。次第にヤノベは未来への別の出口を見つけた数少ない人間であった「目玉男」について、独自に調査を始めた。ある種人類の先の場所に立ち、未来の空をみることができた「未来人」として、「目玉男」はヤノベにとって大きな存在となったいった。しかし当時のどの掲載記事を調べてみても、「目玉男」はただの目立ちたがり屋、あるいはお騒がせ男のように扱われていただけだった。真実がうやむやにされているような歯がゆさを感じたヤノベは直接彼に会い、話を聞くことを決意した。そして2月中旬、ヤノベが雪深い札幌の空港へと降りたったのは、ときあたかも米軍がイラク侵攻に向け準備を進めていた頃だった。ヤノベには彼の本名と北海道の出身地のみという、素人探偵には少なすぎる手がかりしかなかった。しかしヤノベは奇跡的にある街で彼と出会うこととなった。そしてヤノベは動機と身分を説明し、徐々に開いた彼の口から当時の話を聞くに至ったのだった。
ノンセクトラジカルとして札幌道庁の道旗と日の丸を引き摺り下ろし焼いた事件で指名手配中だった彼は、仲間とともに大阪へ逃げていた。「ベ平連(ベトナムに平和を! 市民連合)」に所属していた彼は、当時の反体制派として同じ意思を持つ「反博(反万博)」集会に参加していた。議論するばかりで行動に出ない仲間たちに彼は「万博のシンボルである太陽の塔を乗っ取るのが、より効果的な反権力意思の直接行動である!」と宣言。そして実行したのが籠城事件となった。手には『万葉集』と『葉隠』。彼の行動は無軌道な理由で行われていたのではなく、死をも覚悟しての確固たつ反体制の意思の上に成り立っていたのだった。「ラジカリズムが世界を変えると思っていた」という姿勢を今も持ち合わせ、現社会に対する過激な発言をも出るに至った。目的意志と実行動を直結させ、実現させた表現力にヤノベは感服したのだという。33年前、未来を見据えた男の話は現実と格闘する力強さに溢れていた。
当時の時代背景であるベトナム戦争、反戦、安保、反体制にまつわる話を聞くに従い、ヤノベは幾つかのキーワードが現在という時代と符号するのを感じずにはいられなかった。暗く不気味な雲が広がりつつあるこの時代はまさに未来の出口が塗り込められた太陽の塔内部であると、ヤノベは確信した。
「だからこそ違う未来への突破口の可能性を見てみたい。生命の進化の時代を駆け上がる時間旅行を経て、未来に開かれた空を見た『目玉男』のように。今ならその巨人の目玉から果たしていったい何が見えるのだろうか」(「生命の塔、未来の眼」ヤノベケンジ、2003、『国立国際美術館 月報』より)そしてヤノベは太陽の塔の腹へともぐり込み、黄金の顔の目玉へと登っていったのだった。
「万博の頃の自分から今の自分に至るまで、体験した出来事も、つくってきたものの、人との出会いも、つながっている『符号』がある。」
ヤノベにとって万博をテーマに作品をつくることは、自らの原点としての万博や、作品をつくるきっかけとなったものを再認識し、自己を再構成しようという試みに他ならなかった。幼少時に「未来の廃墟」から創造の種をみつけたように、また同じ場所で新しいものをつくりあげていこうと、ヤノベは自身の中にあるものの全てを出し尽くし、自分をリセットしようとしたのだった。

国立国際美術館は大阪万博跡地での最後の夏休みを「MEGALOMANIA」で迎えた。ヤノベの妄想未来都市は美術の愛好家のみならず、たくさんの観客、そして子供たちの来場によって賑わいをみせた。その様子を間近に見ていた監視員や警備員、職員も共に、美術館に凝縮されたヤノベの世界観を体感したのだった。ヤノベが描いた妄想未来都市は会場に訪れた人と人とをつなぎながら徐々に完成を迎え、その場所へと馴染んでいくようだった。またヤノベは自身の集大成的な世界観を新たな未来へとつないでいくように、次世代の子供たちへの妄想の種をまいていった。
会期中、ヤノベは「パビリオン再生計画」と題する子供のためのワークショップを行った。子供たちが協力し合い、新たにつくりあげられた数々のパビリオンは妄想未来都市の先端そして美術館の一室にて展示された。また広大な大阪万博跡地をめぐって「未来の廃墟探検隊」を結成したヤノベは、子供たちとともに万博パビリオンの記念碑をめぐりながら、時間旅行を再体験したのだった。
「MEGALOMANIA」は展覧会という形で一時的に終わってしまうものだった。しかし妄想未来都市を体験した観客たちは、美術館から一歩外へ出た瞬間、現実に広がる大阪万博跡地を巨大な再生装置として、くり返しヤノベの妄想世界を追体験することができた。また実際に肌で感じた経験や、受け取ったであろう妄想の種をきっかけに、彼らは自分だけの新たな「妄想の翼」をひろげていくことができた。ヤノベが大阪万博跡地へと残した痕跡によって、如何なる新たな創造がこの地から生まれてくるのだろうか。「MEGALOMANIA」はそうした新たな始まりを予感させる夢のようなプロジェクトだった。
大阪万博の2つのシンボルに真正面から向き合い、未来の出口を突破したヤノベは、人々の手によって未来は確実につながっていくという希望や可能性の扉を力強く開いていった。そしてまた、「未来の廃墟への時間旅行」という大きな体験はヤノベの中で消化され、その後新たな表現として作品へとつながっていくことになるのだろう。

「MEGALOMANIA」が終わり、「TOWER OF LIFE」はヤノベ自身の手で再びエキスポタワー広場へ、「未来の果実」が落ちてきた場所へと戻された。創造の可能性を与えてくれた大阪万博跡地への贈り物として、そして新たな未来の始まりを見た幻影が、現実となるように。
「アトムスーツ」は太陽の塔・黄金の顔の目玉と融合した瞬間、最後の役割を果たしたのだという。「アトムスーツ」は世紀末にむけて不穏になりかけていた、時代の危機的な状況を察知するように生まれた。しかし人類が今まさに「アトムスーツ」を必要とするような不安定な時代となってしまった現在、ヤノベは「アトムスーツ」を表現としてもはや着ることはないと、宣言したのだった。
そしてヤノベの壮大な妄想ストーリーには、続きがあった。「アトムスーツ」はエキスポタワーの断片を抱え、太陽の塔にぶつかっていった。そこで核融合がおこり、「アトムスーツ」は消えてしまった。生命の進化の果てに、未来の出口を残して。
2005年初頭、大阪万博跡地での役割を終えた国立国際美術館の取り壊しによって、ヤノベの誇大妄想は消滅した。「未来の廃墟」で全てを失ったヤノベは、創造の神が降りてくる瞬間を待つかのように、再びその未来の大地に1人佇んだのだった。」


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