20071014 賢者の言葉・クラゲの顔面・南伸坊+チチ松村
南伸坊 『仙人の壺』 より、「水人形」のテキスト部分を引用
「 音楽家のチチ松村さんは、クラゲの愛好家である。愛好というより崇拝しているといっていい。流れに身をまかせ、ユラユラと肩の力をぬいたクラゲの生き方に憧れているのだといいます。クラゲの肩はどの辺か? などとませかえしても平然とされてます。もう、半分くらいクラゲになっているかもしれない。
クラゲというと、ふつうの人は、海水浴に出かけた折に、こっちは何にもしてないのに、イキナリぶつりと刺すヤツ、として悪感情を持っているでしょう。
「そろそろクラゲ出ちゃってるから、もう今年も海水浴は終わりだな」
クラゲ出ちゃってる。というと、クラゲ、それまではどこでどうしてたんでしょう? 不明です。不明でも痛痒は感じていません(さされてなければ)。どうせ「地に足のついてない」「骨なし」の、だから当然「どこの馬の骨でもない」ヤツくらいにしか思っていない。
しかし、クラゲのたゆたう姿は美しい。透明で繊細で優雅、その動きと形、私も称賛するにヤブサカでない者です。だが、クラゲを屁とも思っていない人同様に、クラゲについて何も知りません。
東京湾の水際に住んでいるんで、クラゲが海に浮いているのを私はよく見るんですよ。海はひところよりも、ずっとキレイにはなりましたが、レースのように美しいミズクラゲが浮いてる辺り、かなりガサツな黒い水です。
「ボクが見たのは、たいがい死骸でしょう。じっとしてるし、あんな汚い水ですからね」
というと松村さんは声を低くしていうんです。
「いえいえ、そんなことはありませんよ」
「だって、ぜんぜん動きませんよ、グッタリしてますよ」
「グッタリしてるんですよ、クラゲって……南さん、見たんでしょ? 見たんなら、それは…………生きてるんです」
「え?……」
「クラゲは死んだら……姿がのうなってしまうんですよ…………」
クラゲは死ぬと水になってしまうのだそうだ。まわりは水だから、まったく存在がカキ消えるように消滅してしまう。
「いいでしょう、そういうとこも、いいですよ、なんだか……」
というんですよ。なんだか妙な気分。私は話を聞きながら、『捜神記』にあったこの話を思い出しました。クラゲは水母と書く。『捜神記』巻十一にあったのは「水になった子供」という題でした。
水の子供は、まるで水の母のようではないか。はかないような、不気味なような、ひやりとするような話です。
水子というのは、辞書の語釈では「生まれてあまり日のたたない子」と書かれてあるだけですが、近頃、水子といえば、たいがい亡き者にされてしまった、そういう子供の意味にだけ使われています。
なかったことにして、水に流されてしまった子、という意味。しかもその子は流れてなんていってない、今、あなたの肩のあたりに浮かんでいますよ、などどいってオドし、金銭をまきあげようというような、不届きな行いの手段になってます。
これにくらべれば、中国の古人の話には、はかない美しささえ感じる。この話は娘を問いとめた太守が、すべてを知って、書佐と娘をめあわせたところで終わっています。
それにしても、ちょっと押しのけたところ「水になってしまう」ところは、ややコワイ。あの生まれたての赤ン坊の、手を触れるのさえ「責任を感じる」ような気分に、この表現はあまりにもピタリとついてます。
あんなに小さい手に、小さな小さな指がついており、小さな小さな爪が、ちゃんと精巧に、ほんとにうまいこと一つずつ、ついているから不思議です。
そして、それを触って壊してしまいそうで私は心配なのだ。
人間はたいばい水でできているんだそうだ。そんなことを聞くと、とても納得できない気もし、また、たしかにそのような気もします。
タクシーを呼びとめて、無賃乗車した幽霊が、いなくなった座席は、屹度、グッショリ水で濡れている。という怪談のヘンなリアルさも、あるいは同じ心のはたらきでしょうか?」
チチ松村 『顔面採集帳』 より、「顔面対談」(対談相手:南伸坊)「結論3 変な人に出会えると一日が楽しいのである」を引用
「チチ 今回、ボクは顔を部品で探そうとしていろいろやったでしょう。で、やっぱろ自分の中ではちょっとでも性格が似てるところがあってほしい、という希望がありましたから、そういう点を見つけたときはものすごく嬉しかった。やっぱりなあって。全体ではそんなことはないかもしれないけど。もう、その、自分が思ってるこのテングザルの人はこういう性格やと思った部分がちょっとでも出たときは……。
南 ほら、みろ。
チチ そう! ものすごくサンプル少ないのに独断と偏見で。
南 (笑)。
チチ もう……。体張りましたからねえ。でも、ボクがこれやりだしたのは、3年以上前なんですが、その間にストーカーっていうのが流行ったんです。ものすごくイヤだったんです。「俺、ストーカーやん」みたいに……。でも、やっぱりボクは迷惑かけてないし。まあ、気付かれたら迷惑かもしれないけど、とりあえず自分は研究のためにやっているっていう大義名分を勝手に(笑)。ちょっと辛いときありましたね。
南 チチさんにボクが最初に会ったときに、お新香にソースかけちゃう人の話してくれたじゃないですか。
チチ はいはい、しました、しました。
南 すごくオモシロくてさあ。ずっと見てるときにチチさんはどういうふうになってるのかなあと思うよね。まず、だいたいからしてそんなことしてる時間があるのかっていう……。他人のメシ食ってるのを観察してる時間が。
チチ そうですねえ。いやあ、なんか、ボクはそういうこと、すごく好きなんでしょうね。観察っていうことが。もう、ほかのことはどうでもええみたいになってくるんですよ(笑)。
南 昔からそういう人がいて、考現学っていうのがあるの……。
チチ コウゲンガク? どんな字?
南 考古学の古っていうところが現代の現の字になって考現学っていう学問があるんですよ。学問ったって冗談みたいなもんですけど。関東大震災があって震災で潰れたあとにバラックをいろんな人がいろいろ工夫して建てるでしょう。それを建築家の、今和次郎さんっていう人が、どういうふうに人々がバラックを建てるかっていうのをデッサンして採集していったんですね。オモシロイんですよ。それが考現学の始めなんですけど、それからいろいろそういう人が集まってきて、吉田謙吉さんて人は自分ちの犬が……せっかく張った障子を破いちゃったっていうのを、どういうふうに破けたかっていうの、丁寧にデッサンしてね。
チチ アハハハハ(笑)。ムチャクチャやな、それ。最高ですね。
南 それがすごくいいんですよ。ボクら、路上観察なんかやってたのも、そういう感じなんですけどね。街ん中歩いて変なもん、変なことになってるのを写真撮ってきたりなんかして。すごく似てる感じがあるんですよ、チチさんのやってること。
チチ そうですね。
南 銀座の真ん中に坐って、下駄履いてる人と靴履いてる人の割合調べたりとかね。全部ノートにつける。これなんですよ、まさにこのチチさんのノート。こういうふうにノートにつけてるんです。それがすごくオモシロイ。そういうことを知ってて自分もやろうとしたんじゃなくて、チチさん最初からそうだってとこ、いいよね(笑)。食堂で人がご飯食べてるところをジーッと見て、いろんな食べ方をする人がいるって。すごく丁寧に並べてきんとするのに、ものすごい時間かかるんだって。で、食べだすと一挙に。
チチ 並べ替えをね。位置をものすごく気にするタイプの人で。なんか、それがちょっと気になるんですよね。
南 (笑)チチさんみたいに、そうやって見てると本当はそういういろんな人がいるはずなんだけど、見てないでしょう、ふつうの人は。チチさんに聞くと、え、そんな変な人いるのって。
チチ そうですね。
南 そういう人に当たるんですよ、観察してる人は。遭遇する才能っていうけど、つまり見る才能なんですよね。ほかの人も本当は擦れ違ったりしてるはずなんだけど、見てないから。
マネージャー チチさんはすごいですよ。銭湯とか好きで、よく二人で東京出てきたとき銭湯に行くんですけど、すごい人いてますもんね。
チチ すごいですね。銭湯は宝ですね。
南 ハハハッ(笑)、宝庫ね。
チチ 銭湯でボクら、体洗ってますでしょう。そうしたら湯船と洗い場の間に洗面器を置いてる人がいるんですよね。何してるかって言ったら、頭を浸けて立て膝してこちらにお尻を向けてるんですね。だから、ボクらにはお尻の穴しか見えない。ボクが気になったのは、それがお湯か水かどっちなのか、なんですよ。頭を冷やしてるのか温めてるのかわからない。でも、その状態でずーっと、こう。こんな状態でじっとしてる人がいるんですよ。ものすごくええもん見せてもらった……。
南 ええもん(笑)。
チチ いやー、それだけでボクは今日一日よかったなと思うんです。
南 ああ、いいなあ。
チチ 今日一日ね、そういう人に出会えて。意味はわかりませんよ。そんなもん、もうどうでもいいんですよ。とりあえずお尻の穴は丸見えだけど、うわあ、すごい人がおるなと。世の中には。
南 アハハハハッ(爆笑)。そうですねえ。確かにお風呂、銭湯は割りと変わった人出没してますね。前、月島に住んでたころ、銭湯にいるオジサン自体がもう変な……。だいたい、オネーサンが籠片付けたりね、掃除したりいろいろするでしょう。そこはオジサンだったんだけど、そのオジサンが年齢不詳っていうのを絵に描いたような人でね。小学生にも見えるしオジイサンにも見える。
チチ すごいですねえ。
南 すっごくオモシロイ。なんか、アングラ観てるみたいですよね。その、小学生だかオジイサンだかわからない人をからかうオジイサンが、またお客で来るの。
チチ 常連で。
南 そうそう、「カッちゃん、もう毛が生えたことだろ」とか言ってるの。おかしいんだ(笑)。
チチ それは台本がないですもんね。台本のない現実のシーンほどオモシロイものないです。裏がないですから。笑わしてやろうとか全然思ってないですもん(笑)。」
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