20071021 賢者の言葉・松田道雄・浮谷東次郎 『俺様の宝石さ』 序文
浮谷東次郎 『俺様の宝石さ』 より、松田道雄 「はじめに」を引用
「 資質というものは生涯を通じて、持主を幸福にするものではない。時期によって資質は人を幸福にすることもあり、不幸にすることもある。資質と環境、資質の部分と部分との調和は偶然によることがおおいからである。
幸福と不幸とのめまぐるしい交替からのがれる安全な方法は、資質と環境のあいだに人工的な調和をつくることである。人間は年齢とともに大成するという仮定のもとに、知識と経験とには一定の方向があるという契約をむすぶのである。その契約者たちのあいだには、勉強は成功、怠惰は失敗というランキングがさだまり、人間は安定して大成していくことになる。
そういう契約者たちの世界を目的達成のための社会とよんでよかろう。入学試験から採用試験までのフィルターを、いくつかこしらえて、それをパスしていくような資質だけをそだてる。ここでは人生の目的は試験通過という課題を達成することにある。
フィルターをパスした人間が秀才であり、もっとも目のこまかいフィルターをパスした人間が、社会の枢要な地位につく。
こうすることで無限の方向にひろがろうとする人間の資質を秩序のなかに飼いならすことができる。年数をかけて、知識と経験を蓄積していけば、秩序のランキングのどこかに定着できる。資質は、これを契約された方向にだけむかわせておけばいい。そのかわり、その方向をむいていない資質は、いくつあっても、一生日の目をみないで、うずまっている。
生活者としてのエネルギーのあまり大きくない人間は、こういう方向規制にしたがうこともできようが、エネルギーのさかんな人間は、さまざまの方向にのびようとする資質をおさえきれない。もって生まれたさまざまの資質を人生のさまざまの時期に、はばたかせて、その時期で幸福であろうとする。もって生まれた能力を完全燃焼させる快感が幸福であるから、こういう人間は人生で何度も幸福でありうる。
エネルギーを秩序のフィルターに集中した人間が、最高のフィルターをパスして社会の枢要の地位についたときだけ幸福であるのと、ひどくちがっている。
しかし、それは契約のそとで生きるのであるから、この社会では安全でない。その意味で、すぐれた資質である才能は危険きわまりないものである。
さいきん、秩序にたいする忠実は、さまざまの形で否定されている。だが、それは他の秩序にたいする忠実でおきかえられているにすぎない。もって生まれた資質に忠実であることを固執したものは、きわめて少ない。
自己の資質に忠実に生きるとはどういうことか、その実例をほとんど知らない。資質を意識しながら、ハイティーンだちは、それを犠牲にして受験体制のなかに生きている。
すでに「大成」したり、「成熟」したりしたおとなの「青春物語」はあるが、ハイティーンみずからが自己の資質の自由な燃焼をしるしたものは、みあたらない。
浮谷東次郎の「俺様の宝石さ」を公にするのは、自己の資質に忠実にハイティーンを生きた実例をみてもらいたいからである。失われた青春が一般化している現在、青春とはこのようなものであるということを思いおこしてほしいからである。
自己の能力の限界にむかって挑戦することをやめない人間の姿のなかに、飼いならされるだけが人生でないことをわかってほしいからである。
十八歳の浮谷東次郎はいう。
「『自由気まま』僕にはこれが第一だ」
「もう僕には怖いものなんて何もない」
「けど僕は、今一人で自分の生活をすべてまかなって行ける。誇りである。日本ではできないことだ」
「人の世話にはこれっちびりもなっていない。なんという誇りと自信があることか。人なんかに俺のことに指一本触れさせない」
「大成とは何ですか。大成ってむずかしいですよ。何が大成だか誰もわからないんだから」
「僕は持っていて、何も持っていない時と同じ強さがほしい」
「神童が凡になるのは、神童の面目上、失敗をこわがり、型にはまるからです。ニューヨークにいたらタイム社に働くことをハナにかけて凡凡になる」
ここに、秩序の階段をのぼるために、自己の資質を一方的に方向づけている人間の失ったすべてがある。
彼は不自由を知らない環境に生まれ育った。彼は自由であった。だが彼にはその自由が、すべて環境からあたえられたように感じた。彼自身の能力でかちえた自由を手にしたときでも、そう感じた。
彼に会った人間は、彼がその両親と姉とを誇るのを、時に奇異に感じた。しかし実際に、彼の両親とその姉に会った人間は、それが彼のうぬぼれでないことを知った。まさに、そのような家族にかこまれていることが、自分を「小もの」として彼に絶えず意識させた。
彼はその環境から脱出することによってしか自由になれないと感じ、自分の力でアメリカにわたろうとした。名門コースにぞくする高校を、あと四ヵ月で卒業できるというとき、彼は貨物船で太平洋をこえた。
それからあとの二年半は、このわかいオデュッセウス自身のまかせるが、帰国後彼は二年と少々しか生きなかった。
イギリスにあるジム・ラッセルのレーシングスクールで、彼はラッセルにもっとも嘱望されたレーサーとして講習をうけて帰ってきてから、宇都宮のスピード・トライアルAクラスに優勝、第二回クラブマン・スズカレースでGT-1とT-2で二種目優勝、その年のグランプリレースともいうべき第一回全日本自動車クラブ選手権船橋レースで、GT-1、GT-2の二種目に優勝、彼の目標である世界一のレーサーへの道をばく進した。
「作家、画家、映画俳優、テレビスター、評論家、カメラマン、ジャズ音楽家、そんなものの混合されたような職業」につくはずであった彼が、どうしてレーサーになったか。
彼は誰の世話にもならずに多額の金を、実力で入手できる方法として世界一のレーサーになろうとしたのだろう。彼は多額の金を必要とした。誰でも勉強したい人間なら入学できる大学をたてることが彼の念願であった。
実力でこの望みを達するためには、彼は自己の資質に忠実であるしかなかった。七歳から自動車の運転ができた能力、中学三年の夏休みに、いちばん cc の少ないオートバイで市川大阪間往復一五〇〇キロをふっとばした能力、他人のようにカーブでスピードをおとさずに曲りきる能力、その能力を生かすしかなかった。
彼をレーサーとして大成した人間とみて、彼のそれまでの生涯を日本一のレーサーへの道とする見方に私は組しない。彼の一生を通じてしめしたものは、才能とは何かという問いである。それは自動車関係者だけに、つきつけられたものでないと信じる。
才能とは危険なものである。レーサーとしての彼の大胆さとテクニックは非のうちどころがなかったが、思わぬ偶然が彼の人間をテストすることになった。
鈴鹿サーキットで練習中、彼の先行車がタイヤをとばした。非常識にも、そのドライバーは、コースのなかにタイヤをさがしにのこのことでてきた。それを制止しにコースマーシャルもコースにはいった。コースのなかに二人の人間。後続車にとってはそれはよけられるものでなかった。
そのとき、
「人を殺すか自分が死ぬかのトッサの時は自分の死を選べ」
と彼の母がいっていたことばが、彼に浮かんだにちがいない。
彼は奇蹟をおこなった。二人の生命を救ったのだ。だが奇蹟は二度おこらなかった。ガードレールなしに列んだ照明灯の柱を二本目まではよけたが、三本目はよけられなかった。救急車のなかで彼はいった。
「コースに人がいちゃあ走れないよ」
彼は人間としてのテストに耐えた。その代償としてみずからの生命を絶った。
彼の最期を姉の朝江さんはこうかいた。
「弟が呼吸困難になり、病院の酸素吸入の機械がこわれて、当番のインターンの先生の指示で、私が両手でゴム袋をふくらませて酸素を送り、父は苦しみのあまり病院の庭かどこかへ行き、母と秀子さんは家を出たはずですが、まだ来ず、白みゆく空と手の平から水がもれてゆくように死に面している弟の姿をみながら、どれ程心で祈ったかもしれませんが……そのうち母が来て酸素も新しいのがきて、そしてお昼頃、美しい日の光の中で弟が死んでしまうまで。ラザロの話を思いながら祈ったのですが。」
一九六五年の八月二十一日であった。」
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