20071025 「民藝」 50号・1957年02月・河井寛次郎の木彫
表紙:木彫 手 河井寛次郎作
目次
[生活に即した美術教育を]/[美の信頼]棟方志功/[アイヌの彫刻]太田太平/[庶民の木彫]吉田璋也/[菓子の木型ずくり]/[こけしの発生]米浪庄弌/[笹野彫]横田整三/[庄内の獅子頭]佐藤七郎/対談[河井寛次郎の木彫]河井寛次郎・式場隆三郎//グラフ[河井寛次郎の木彫]/[浜田庄司新作陶展]/[萌木会染色展]//[九州の雉子車]野間吉夫//[ユーゴスラヴィアの農家の家具について]A・デロコ/[東京へ移築される白川村の合掌造り]伊東安兵衛/[島田謹介撮影「武蔵野」について]中村精/[正倉院御物を見て]篠岡博//...
[四つの日本の文様] (10-11頁)
発刊時の時代背景を知るには : 1957年
[木型のいろいろ] (14-15頁)
[河井寛次郎の木彫](28-29頁)
テキスト引用:
33-36頁 [ユーゴースラヴィアの農家の家具について]A・デロコ より
「 ユーゴースラヴィアの古い農家について語ってみたい。これは家長制度の時代にながく続いていたもので、新しい時代とともにその生活様式は変ってしまった。
ある人がどんな生活をしているか、その全貌はその人が毎日暮らしている部屋や家具を見れば、最もよくその特徴がわかる。特にこのことは、単純で貧しい庶民について言える。ところが金持の家を訪ねると、流行や俗物根性から買入れたものが目につく。ものの真実性、独創性及び純粋性などというものは、簡素な環境においてこそ見られるものである。そこではあらゆるものが実際的かつ実用的であり、またあらゆるものがながいあいだ毎日しようされることによってそのあるべき所と形をえている。しかしこの簡素ということは、おそらく極めて本質的なものであるが、これは単に農民の実用的な要求ばかりではなく、美的な要求をも反映している。霜や雪で田畑がおおわれて耕作のできないながい冬のあいだ農民達は、家のなかで、簡単な道具をつかって、木を彫り、いろいろの家具を作る。着物やリネンを仕舞う箪笥、テーブル代りになる板、羊毛を紡ぐ糸車、スプーンとフォーク、手軽に広く用いられている楽器、それから扉に使用する木製の錠前や鍵穴や鍵までも作っている。
大部分の古い農家では、町からものを買うことはほとんどなかった。家具は農民が手近にある材料で自分で建て、家具や着物やリネンはもちろんうちでつくった。家屋そのものは極めて簡単なもので、最も単純な場合には、たった一部屋しかなく、その部屋のなかで焚火が燃えていた。この火で料理をし、また家族の者は、この家中で最も大切な場所である炉のまわりに坐っていた。ひどく貧しい者はこの炉端に寝台を用いず、地面にむしろを敷いてねた。このような部屋には天井は張ってない。上の梁から料理用の薬鑵が、鉄の鎖でぶらさげてあった。煙は自由にのぼり屋根のすきまや木製の煙出しから外へ流れでた。また床はたたきであった。
この炉端(昔は四方あけ放しになっていたが、後に壁際につくられたストーヴのように半分覆われるようになった)のまわりに、家族の者は低い三脚の木製の腰掛けに坐る。ただ家長だけが特別に大きい木製の肘掛椅子を持っている。この椅子はお客に対してだけすすめられた。すべてこれらの家具は、一般に、極めて簡素な木製であるが、矢張り彫刻できれいに装飾されている。これらにはいっさい釘を用いず、またはぎ合せをしない。すべての部品は組合せとさし込みからなっている。このように昔ものが伝統的に幾百年にわたって伝ってきている。(後略)」
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