20071111 賢者の言葉・古波蔵保好 『料理沖縄物語』 より・「黒砂糖で起死回生」
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「 その日、わたしの叔母は、三人の息子とともに、留守居していたそうである。沖縄の人たちにとって、終生忘れることのできない昭和十九年の十月十日、アメリカ機動艦隊による大規模な空襲があった日のことだ。
この叔母は、母の妹である。夫は那覇の泊という町でささやかな理髪店を営んでいて、男の子五人と娘一人を産んだのだが、夫と娘は沖縄守備軍に徴用されて作業にいく、長男も徴用されて九州へ、次男は勤めに出ていたという。
叔母の手もとにいるのは、また幼い子ばかりだった。アメリカ軍機の来襲を告げるサイレンは、ついに戦争が沖縄へおよんだことを知らせる合図だったことになるが、叔母は末の子をおんぶし、両手で二人の子をかばいながら、定められた防空壕へ走ったのである。
何に手間どったのか、アメリカ軍機が頭上に現れてから、防空壕に走りこんだ人がいて、空から見られたらしい。いきなり防空壕が爆弾の目標になった。さいわいに叔母たちは手傷を受けなかったが、頭上の爆音が遠ざかったあと、外に出てみたら、すでに那覇全市は猛火に沈んでいたのである。
自分の家がどうなっているか、まだわからなかった。そこへ、守備軍のトラックがきて、民間人を国頭(くにがみ)へ避難させるから、すぐに乗れという命令である。北部の山へつれていかれるなら、家に貯えておいて米など、親子三人分の生命をつなぐ食べものをとってこなければ、と猶予を頼んだのだが、あちらには十分に食糧が確保されているので、何もかも捨てていっていい――と、せきたてられて、叔母たちはトラックに乗った。
三人の子を飢えさせないほどの食べものがホントにもらえるのだろうか、と不安になりつつも、強引な命令なので、しかたなく乗ったものの、国頭の人里に着いてから、果して叔母の苦難がはじまったのである。
おそらく那覇から送られてきたおびただしい避難民を迎える村にも、食糧はあまりなかったにちがいない。戦争は末期で、食糧の欠乏が深刻になっていた。
避難民がくることを予想しての貯蔵があったとは思えないのである。
したがって叔母たちに配給されたのは、一人に対して一日に一個ずつの小さいニギリメシだけだったという。腹がすかないわけはなく、三人の子は、アッという間に食べてしまうと、もっと欲しがる。叔母は自分の一個を三つに分けて、欲しがる子に与えた。
何か、ほかにも食べるものが手に入るのではないか、と一人を背に、二人の子の手をひいた叔母の体力は、アテもなくさまよっているうち、自分はまったく食べていないのだから、みるみる衰えてくる。田の水だけを飲む日が、五日、六日と経つ。
そのことの記憶はハッキリしていないが、木の根元に座りこんでいる叔母は、背中に負っている子の重みも加わって、自分が地面の底へ沈んでいくように感じ、だんだん意識を失いかけていたそうである。
「両手は、二人の子をかかえていたよ。自分のからだがうつむいてきて、地面がかずんで見えなくなっていく。ここで自分は死ぬのかと思い、幼い子たちはどうなるのか、と考えもするが、からだがのめりこんでいくのをどうしようもなかった」
と叔母は語ったのだが、その時、「オバさん」と呼ぶ男の声が耳に入った。
通りかかったのは、やはり那覇から避難してきた人らしい。夫が理髪店を営んでいるので、調髪にくる客たちに、叔母も見覚えられていたようで、声をかけた男も客の一人だったのであろう。シッカリして下さい、オバさん、あなたが倒れたら、コドモたちが可哀そうなことになりますよ。と男はいいながら、手拭いに包んであったものを取りだして、叔母の口に入れたのである。
それは黒砂糖のひとカケラだった。燃える那覇から逃げだす時に、この人は、ありあわせの黒砂糖を手拭いにくるんで持ったのであろう。
沖縄の人たちは、疲労困憊した時、黒砂糖が気つけ薬として何よりも役に立つことを知っている。彼は荷物にならない黒砂糖の一包みを持って走ったわけだ。
口に入れられた黒砂糖を、ほとんど無意識のうちにのみ下した叔母は、自分がよみがえっていくのをアリアリと感じた、と語っている。
こうしてようやく元気づいた叔母は、苦労を重ねて那覇へ戻ったのだが、さらにもう一つの悲惨を体験することになった。
年が明けて三月、アメリカ軍の上陸戦がはじめる。首里を中心とする日本軍の防衛線に対して、アメリカ上陸軍の攻撃が激烈となり、叔母夫婦は娘と男の子たちをつれて、南部へ難を避けた。次男は通信隊に召集されて、あえなく戦死するのだが、叔母たちにも皮肉な運命が待ち伏せていたのである。
砲撃と爆撃から、自分たちを守れそうな自然の壕を、逃げまわったあげくに見つけた叔母たちは、そこに身をひそめていた。
夫婦の生命にかえても、娘たちを助けようと考えた叔母と夫は、娘たちを壕の奥深いところに座らせ、二人が入り口にいたそうである。たとえ間近で砲弾などが爆発し、破片が散り飛んでも、自分たちがタテとなって、コドモたちを守ろうと考えたのだが……。
突然、壕のそばで起こった爆発の衝撃がおさまり、土煙が消えた時に、壕の奥へ目を向けると、娘が倒れていた。抱き起こしたら、もう息がなかったのである。
破片は、入り口でタテとなっている夫婦の僅かなスキ間を飛び抜けて、奥にいる娘を即死させていた。
なんということだろうね、と今でも叔母は、何をうらんでいいかわからない思いとともにつぶやくことがある。
親思いだった娘と次男を失ってからの叔母は、死んだ人のための最後の法事である三十五年忌をすますまで自分は死なない、とそれが生き残った親のつとめとして生きてきたようで、法事を営む日になると、緊張のあまり、倒れそうになったくらいだ。
そして時々、思いだしては、黒砂糖を自分の口に入れた人への恩義を語りつづける。まことに皮肉な運命に悲しんだ叔母にとって、惨苦をきわめた戦争の最中に、ただ一つの救いとなったのは、あのひとカケラの黒砂糖だったことになる。」
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