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20071113 田原書店ノマド・「相田みつを」は好きですか・ブラームス1番・4番 第三楽章

 毎週火曜日・午前十時半は、ブックスボックス 田原ヒロアキの、FMアップル「田原書店ノマド」の始まる時間。

 2007年11月13日の放送では、都築響一さんの 『夜露死苦現代詩』(2006 新潮社) を通して、「相田みつを」について語りました。曲は、ブラームスの交響曲第一番と第四番のそれぞれ第三楽章を、カラヤンとクラウディオ・アッバードがそれぞれ指揮するベルリンフィルの演奏で、お送りしました。

『夜露死苦現代詩』 カバー見返しによれば、都築響一さんは:

「1956年、東京生まれ。「POPEYE」「BRUTUS」両誌の編集を経て、全102巻の現代美術全集「ArT RANDOM」(京都書院)、大竹伸朗作品集「SO」(UCA)など、美術、デザイン等の分野で編集・執筆活動を続ける。1993年、東京の居住空間を集めた「TOKYO STYLE」を発表。「珍日本紀行」で第23回木村伊兵衛賞を受賞。町角に隠れていたリアルな言葉で現在の日本を映し出す本書は、「新潮」連載時からすでに大きな話題を呼んでいる。」

都築響一 『夜露死苦現代詩』   *

「あとがきにかえて 相田みつを美術館訪問記」の一部を引用:

「2004年のクリスマスの朝、新聞の社会面に小さな記事が載っていた。


国語教師:相田みつをの詩知らず、女子生徒けなす
 書き初めの宿題に書家、詩人として著名な相田みつをの詩を書いたところ、中学の男性国語教諭(53)に「やくざの書くような言葉だ」などどばかにされ、これが原因で卒業文集にもほおに傷のある似顔絵を描かれたとして、横浜市立中学の元女子生徒が市に慰謝料など350万円の支払いを求めた訴訟で、横浜地裁の河辺義典裁判長は24日、教諭らの責任を認め、市に計25万円の支払いを命じた。元生徒は別の男性教諭(46)から部活活動中に腰をけられており、支払額はこの賠償5万円を含む。
 判決によると、元生徒は3年生だった01年1月、「花はたださく ただひたすらに」と書いた書き初めを、国語の授業に提出した、書家で詩人だった相田みつをの詩だが、国語教師はこの詩を知らず、ほおに指を当てて(傷跡を)なぞる仕草をして「こういう人たちが書くような言葉だね」と発言した。同級生は笑い、元生徒は「やくざ」などとからかわれるようになった。
 その後、生徒たちが卒業論文で互いの10年後を想像した似顔絵を描き合った際、元生徒は、ほおに傷がある絵を描かれた。担任の女性教諭(38)は、絵を見ていながら修正せずに文集を配った。
 学校はその後、元生徒の母親の抗議で文集を回収し、印刷し直した文集を配り直した。
 判決は教諭の発言を「(発言で)嫌がらせを受けるのは当然予想され、不適切で軽率」と批判。似顔絵についても「(担任が)訂正の必要性を認識すべきだった」とした。
(毎日新聞 2004年12月25日)」


 こういうオヤジに「国語」の授業を受けなくちゃならない生徒たちは不幸としか言いようがない。この世の中で相田みつをを知らない人はあんまりいないだろうに。
 1984年に初版が出た『にんげんだもの』はすでに250万部を超え、作品集やその他関連書籍だけで総合実売数750万部以上、91年に刊行された日めくりカレンダーが500万部、携帯電話に毎朝みつをの作品がひとつずつ配信されるサービスの利用者が、すでに20万人以上! 携帯電話で毎朝作品が配信される詩人なんて、ほかにいますか。読者数から見れば、現代日本でもっともポピュラーな詩人であり、書家であることは疑うべくもない。
 それでいて91年に亡くなってから現在まで、文学の分野からも書の分野からも、まともな評論がひとつとして出ていない。不思議だ、ほんとに。
 美術では似たような存在にヒロ・ヤマガタがいるが、みつをの知名度と、一般人からの愛され方はヒロどころではないだろう。東京銀座の相田みつを美術館は、1996(平成8)年に数寄屋橋角の東芝ビル内に開館し、3年前に有楽町の東京国際フォーラムに移って2006年9月には開館10周年を迎える。年間40万人以上の来館者数を誇るというのに、業界人だけはまったく足を運ばない。有名公立美術館でさえ年間来館者が20万人を超える
ことは滅多にない中で、はとバスのツアーにも組み込まれるほどの人気でありながら、業界にこれだけ無視されている"メジャー・ミュージアム"もほかにないだろう。


 「シロウトの私たちが美術館を開いたのは、誤解を解きたかったからなんです」と、相田みつをの長男であり館長の相田一人さんは語ってくれた。「本屋さんに行っても書のコーナーにあったり、詩集のコーナーにあったり、中には宗教書のコーナーに置かれていることもあったりして。非常にジャンル分けしづらいユニークな仕事をしたんですけれども、書籍で見た方は、色紙みたいなものに書いているという誤解がひとつと、独特な書体ということもありますので、書は我流なんじゃないかと。書家としての技巧はないんじゃないかとか、そんなような誤解から否定的なこともずいぶん書かれたんです。それでオリジナルを見てからけなしてくれと(笑)」、やむにやまれぬ思いから美術館づくりがスタートした。
 相田みつをが生涯を過ごした栃木県足利市ではなく、いきなり銀座の超一等地。それも300坪という広さの展示スペースを、それまで経験のなかった一人さんたちが借りて運営するのである。「田舎で30坪のミニギャラリーをやるのも、銀座で300坪でやるのも苦労は同じだとバカなことを言っていたんですが、全然違いましたね(笑)」と言うが、「なにも知らないシロウトの強み」で苦労を苦労とも思わないでがんばっているうちに来館者数がどんどん伸び、ついに300坪でも手狭になって国際フォーラムの新空間に移転したのだった。
 美術館のエントランスをくぐると、だれもがいままでの美術館とまったく異なった空気感に気がつくだろう。「公共の美術館にあった冷たいイメージ、見せてあげる、みたいな態度」が、みつをの作品と対極にあると考えた一人さんたちが目指したのは、「一人になれる、二人になれる、三人になれる、あなたの人生の2時間を過ごす場所」。つまり「一人で静かに作品と対話して、静かな時間を味わいたい方にも満足していただける空間でありたいということ、二人はカップル、いま非常に多いんですけれども、二人で来ていろんなお話をしながら楽しんでいただける空間でありたい、三人というのは集団ですね、毎日バスで団体さんがいらっしゃるんですが、嵐のように来て嵐のように去って行く団体の方にも、おもしろかったねと言っていただけるような、そういう空間でありたいということなんです」。2時間過ごす場所というのは、美術館にありがちな威圧感や、作品を鑑賞したあとに「感動を消化できる場所も時間もない」ことからくる"美術館疲れ"のようなもの。それをなんとかしたくて、「作品を見るのに1時間、くつろいでもらうのに1時間」、ゆっくり滞在してもらえるように、普通の美術館には考えられないほどのスペースの割合で、休憩場所が確保されている。
 美術館の建築を担当したのは橋本夕紀夫。美術館ではなく、ファッショナブルな飲食店のデザインで有名な建築家である。「それまで(東芝ビルで)7年間美術館をやってきて、わかったのは美術館んとは接客業なんだということでした」と一人さん。だから見せてあげるんじゃなくて、「よりたくさんのお客さんに来てもらうこと、そして来てくれたお客さんにいかに満足してもらうかということ」、このふたつだけを目標に、それまで美術館経験のない建築家をあえて選び、運営もサービスも磨いてきた。
 照明による作品の日焼けを防ぐために月曜日は休館だが、相田みつを美術館は大晦日も元旦も開いているし、お盆も休まない。たっぷりいるスタッフが、いつでも質問に答えられるよう展示室を巡回しているが、部屋の隅に座って毛布を膝にかけてる監視の女性は置かない(「あれは見るからにおかしいですよねえ。美術館を開くときから、あれだけはやめようとみんなで決めてたんです」)。展示室内は撮影禁止だた、作品といっしょに写真を撮って帰りたい人のために、ちゃんと記念撮影ココーナーも設けてある。
 いま日本の個人美術館で、集客数のトップ3といえばいわさきちひろ美術館、星野富広美術館、それに相田みつを美術館なのだという。どれも現代美術関係者が足を運ぶ場所ではないと思うが、その陰にはこれだけの「あたりまえのようでいて、美術館業界ではあたりまえではなかった努力」が、裏打ちとしてあるわけだ。
 毎年カレンダーを買いにくる人とか、常連の方も多いでしょうねえと聞いたら、毎年どころか毎日(!)来るお客さんもいるのだという。そういう人は作品よりも、お客さんたちが残した感想ノートを読みに来るらしいのだが、それにしても毎日来る常連さんがついてる美術館なんて、ほかのどこにあるのだろうか。
「父は書を書くときにも一晩で100枚や200枚は当たり前で、天井まで積み重なるほど書くんですよ。その中から作品をセレクトするのにものすごい時間がかかるんですけれども、セレクトしたあとに、トリミングにまた、ものすごく時間がかかるんです。このくらいのサイズのものを書くからこのくらいというのではなく、倍以上の大きさの紙を使って書いて、それから余白をトリミングするんです。フレームがあるとその中に入れようということで萎縮してしまうから、フレームがない状態で書きたいと、大きさは関係なく大きな紙に書いたあとにトリミングしたんです。その余白の取り方にものすごい時間がかかって……それに額装に出す場合のマットですとか、マットの材質や幅、色など、作品の内容に合わせて全部指定していたんですね。そこまで含めての作品なものですから、書籍ではほんとうのところがわかってもらえない」。そのもどかしさが原動力となって、いまや日本最大規模の集客力を誇る美術館/文学館を運営しつづけている一人さんだが、開館から10年近くたって、いまだに理解できないのが「本格的な『相田みつを論』」が、文学界からも書の業界からも、ひとつも出てこないこと。
「言葉の面からの評価と、書家としての評価そいうことで、その両方にまたがって書ける方がいないということでしょうか」といういっぽうで、「売れているものは悪いもの、みたいな見方もありますよね。父の生前から、特に文学関係の方からはシニカルな眼で見られることが多くて、そういう意味では永遠の宿命なのかもしれません。本格的な相田みつを論が出てくるには20年30年後か、時間がかかるんじゃないかなという気がしています」。
 喫茶店のトイレに自分の作品が掛かっているのを発見し、恐縮するオーナーに「ここに置いてもらうのがいちばんうれしいのです」といった意味のことを語るエピソードが、半生記に紹介されている。この稿のために撮影させてもらった東中野の小料理屋のご主人も、「うちのトイレには昔から相田みつをのカレンダーが掛けてあるんだけど、気に入ったのがあると、お客さんが破ってっちゃうんだよね。そうなるとカレンダーとして使えないから、もう何枚買ってるかわからない」と苦笑いしていた。
 便所と病室にいちばん似合うのがみつをの書だと、多くの人が知っている。立派な掛け軸になって病室に収まるのではなく、糞尿や芳香剤や消毒薬の匂いがしみついた場所に。そしてだれもがひとりになって自分と向きあわざるをえない場所に。そういう場所で輝く言葉を、もしくだらないとけなすのだったら、居酒屋の頑固オヤジやホスピスで闘病生活を送る末期患者を、なるほどと納得させられるだけのけなしかたをしなくてはならないだろう。それができないから、プロは相田みつをを誉めもしなければ、けなしもしない。ただ眼をつぶって、耳をそむけて、きょうも美術館の前を足早で通り過ぎるだけだ。」

都築響一(つづき・きょういち 1956年- ) wiki


オンエア曲:

1. ブラームス:交響曲第1番 第3楽章  (ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団:演奏 ヘルベルト・フォン・カラヤン:指揮)

     *

2. ブラームス:交響曲第4番 第3楽章 (ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団:演奏 クラウディオ・アバド :指揮)



 FMアップル:http://www.765fm.com/ *

 「田原書店ノマド」は、ブックスボックス/田原書店の田原ヒロアキ * が担当する、音と言葉の情報番組。
 毎週火曜日午前十時半から。

 インターネットで聞けます(見られます):
  http://www.channel-apple2.com/streaming_apple.html *

 出演:田原ヒロアキ@ブックスボックス
  福津京子さん:http://www.fukutsu.net/ *

 どうぞお楽しみください!

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