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20071118 賢者の言葉・『河合隼雄を読む』 より・養老孟司「「おとな」だからいえる「中年」の問題――中年クライシス」

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『河合隼雄を読む』 (講談社 1998)より、養老孟司 「「おとな」だからいえる「中年」の問題――中年クライシス」 。
「 河合さんにお会いすると、いつでも「おとな」という印象を受ける。私が「子ども」だということもあるだろうが、それだけではない。この場合の「おとな」とは、『広辞苑』を例にとれば、「中・近世、村落の代表者、また、実力者。乙名百姓。年寄。宿老。」といった感じである。大げさにいえば、「日本のおとな」であろう。

 いろいろ違いはあるけれども、河合さんの世代、さらに京都という土地が、こういう乙名百姓を出す培地なのかもしれない。同時期に京都大学におられた森毅さんも、別な乙名百姓である。こちらもお会いするたびにそう思う。

 関東という土地はどうもこういう人たちを出さない。そういう感じがする。その本質が重層的であるような文化というもの、それが関東にはいささか欠けているのである。関東人はいくら金を持とうが、基本的に貧乏人の性癖を残しており、どことなく乱暴で直線的である。前の戦争で大阪が焼け野原になったのを見て、京都の人が「東京ではじめた戦争で、とうとうこんなになって」と嘆いたという話がある。私は年齢を重ねるにつれて日本も広いと思うようになったが、そのなかでも関東と関西の違いは、やはりたしかに大きいらしい。

 関東の小説家というなら、私の頭にたちまち浮かぶのは、三島由紀夫、石原慎太郎、深沢七郎などであり、どう考えたって、これはどこか文化的ではない。河合さんの逆の存在をいうなら、以前テレビ番組にあった「木枯し紋次郎」である。どこが逆かというと、その説明はできない。強いていえば、紋次郎は「あっしにはかかわりのねェことで」といいつつ気持ちも身体も徹底的に関わることになり、河合さんは患者さんにいちおう仕事で関わりながら、腹の底ではむしろ「紋次郎」を演じるということであろう。

 「紋次郎」は関東的で、要するに関東人は屈折したとしても、たかだかああなのである。そこがアメリカ文化と平仄が合うところなのであろう。考えてみれば、江戸という町の歴史は四百年、おおかたのアメリカの町よりは古いかもしれないが、五十歩百歩であろう。京都は千年、それなら関東はまだ「紋次郎」でいいわけである。

 河合さんは本読みの達人である。『書物との対話』(潮出版社)という本もあって、読書がみごとな芸になっているのがわかる。

 『中年クライシス』という本は、私はいつもの習慣で横須賀線の中ではじめて読んだ。感心しながら引きこまれたから、そのときのことをよく記憶している。山田太一氏の『異人たちとの夏』の解説などは、解説にあまりに感激したので、肝心の原作を読む気がなくなってしまった。こういうみごとな解説は、ある意味ではよくない。あらかじめ小説を読んだ人しか、読んではいけない解説なのである。山田氏の小説が、解説ほどでなかったらどうしよう。私はついそう思ってしまったのである。

 「トポスを見いだし、そのトポスとの関連で『私』を定位できるとき、その人の独自性は強固なものとなる。そのようなことができてこそ、人間は一回限りの人生を安心して終えることができるのではなかろうか。老いや死を迎える前の中年の仕事として、このことがあると思われる」

 この文章の内容も、最初に読んだときに頭に入ってしまったのだが、引用しようと思ったら、この本が見つからなくなったことがある。そのままうろ覚えで内容だけ引用してしまった。この文章に出会うまで、こういう内容を意識したことは、私にはない。しかし中年の定義としても、みごとなものだと感じられる。そう思わない人は、たぶんまだ中年ではないのである。

 本間洋平氏の『家族ゲーム』の解説には、「ワイルドネス」という表題が付されている。私はこれを「自然」と呼んでいる。この解説のなかにある「こうすればこうなる」という表現は、私が講演で年中使っている「ああすれば、こうなる」が現代人のもっぱらの生き方だという内容と、ほとんど重なっている。この部分を読みながら、まさに飛びあがった覚えがある。ひょっとすると、私が河合さんから盗んで、それを忘れているのかもしれない。そう思ったのである。仮にそうだとしても、「おとな」はニコニコして許してくださるであろう。

 河合さんのもう一つの印象は、駄洒落である。もう一人、会えば駄洒落ばかりいうのは荻野アンナ氏だが、アンナ氏の駄洒落が文字通りの駄洒落、いうなれば関東風の直線的な駄洒落そのものであるのに対して、河合さんの駄洒落は落語のオチ風である。どの駄洒落も一応の物語を構成しているからである。駄洒落からすれば、河合さんのほうが作家ではないのかと思ってしまう。

 なぜ河合さんはよく冗談をいうのか。あの人はネクラなのかしらと呟いたら、隣にいた知りあいがそれはそうだよ、仕事が大変に違いないもの、といった。」


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