20071223 賢者の言葉・フェリーニ『私は映画だ』・「雑感3 「私は想像と現実との間に境界線を引かない」」
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フェデリコ・フェリーニ著・岩本憲児訳 『私は映画だ 夢と回想』(フィルムアート社)より、「雑感3 「私は想像と現実との間に境界線を引かない」」の一部を引用。
「10 私は自分の作品のなかで、自分を抽象的にぼかして描くほど控えめな人間ではない。私が映画のなかで明らかにしようと試みているのは、自分のなかにある不可解な部分だ。だが私は人間だから、確かに他の人々もまた私と同じ鏡で自分たちを見ることができる。私の映画の何が自伝的であるかと言えば、昏睡した魂を突き通して私を目覚めさせる、ある種の呼び声を物語化したことである。私はあの状態、呼び声が私に届くあの瞬間にとどまっていたいと強く願う。そのとき私には、誰かがドアを叩いているのに私がドアのところへ行って開けようとしないという気がする。もちろん、私はいつの日かドアを開ける決心をしなければならないだろう。基本的に、私は精神的な"のらくろもの"に違いない。」
「16 退廃というものは、再生するために必要不可欠なものだと思う。私は難破船がひどく好きだ。だから、すべてが転覆している時代に生きていることは楽しい。いまがすばらしい時代だ、という理由はまさに、さまざまなイデオロギーや、概念や、因襲の全系列が転覆しているからである。人間は月へ行ったではないか。それなのに、鉄のカーテンだとか、国境だとか、異なる通貨だとかについて語りつづけるのはまったくばかげたことだ。そんなことは、みんなひっくり返してしまわなければならない。
この分解の過程はきわめて当然なことだ。私はそれが文明の死のしるしだとは思わないで、逆に、文明の生命のしるしだと思う。いまは人類のある段階の終りなのだ。だが、分解の過程はあまりにのろいので、もっと急ぐ必要がある。私たちはまったくの最初から始めなければならない。すべてをきりに洗い流そう。
私たちの社会はこれから起ころうとしている何かを待っているのだろうか? いや、とんでもない。環境の力が社会自体にできごとを生じさせるのだ。そこには解決もないし、連続性もない……。若い人たちは新しい世界が始めっていることに気づいている。修辞的あ言いまわしをすることなく、このことについて語るのはたいへんむずかしい。来たるべき夜明けのことを思うと、私の心は興奮する。」
「18 私は自分がいちばん関心を持っているのは、人間の自由についてだと思う――注意してほしいのは、ただ私がそう思っているにすぎないということだ。つまり、事物を信じている、いや信じていると思いこんでいる個人を道徳的・社会的因襲の網の目から解放することである。因襲の網の目は個人を囲いこみ、限定し、実際の彼よりも狭く、小さく、ときには悪く見せることさえする。私が教師になることをあなたが本当にお望みなら、こういうことばで要約しよう――あなたのままでいなさい……つまり、人生を愛するために自分自身を発見しなさい、と。私にとって、人生はすばらしいものである。そこに悲劇や苦痛があるにしても、私は人生が好きだし、人生を楽しんでいるし、人生に感動している。そして、こんなふうな感じ方を他人とわかち合うために、私は自分の最善をつくす。」
「20 私は自分に十分確信があると言うにしても、花から花へひらひらと無頓着に飛びまわる蝶のように見られたくはない。蝶ではなく、生き生きとしたものを感じている人間、まだ人間的な冒険をしつくしていない人間のように見られたい。実際、私は人生のすべたが好きであり、ときには、まだ完全に生まれていなかったかのように、好奇心でわくわくする。そう、私はまだ旅への信頼を捨ててはいない――旅がしばしば暗く絶望的に見えはしてもだ。
今日、人間にとって大事なことは頑張りつづけることだ――頭をうなだれさせるのではなく、苦しみのトンネルに沿って頭を上げていくことだ。たぶん、空想や精神力、そしてとりわけ信念を通して、一つの救済手段を思いだずことができるだろう。こうした理由から、芸術家の仕事といったものは今日、本当に必要とされているものだと思う。」
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