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20080120 賢者の言葉・呉智英・@ 『マンガ狂につける薬 下学上達篇』

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 呉智英 『マンガ狂につける薬 下学上達篇』 (メディアファクトリー 2007)より、
 「愚かなる青春と論理  『青春くん』 とがしやすたか 小学館ヤングサンデーコミックス/『現代倫理学入門』 加藤尚武 講談社学術文庫」を引用。 

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 「ヤングサンデー」連載とがしやすたか『青春くん』が、二〇〇六年春、連載六百五十回に達した。連載開始から十七年だという。よくもこんなバカバカしい話を長期に亘って描き続けられたものだと思う。これは偉業とさえ言ってよい。
 バカバカしいマンガには二種類のものがある。
 一つは、ツマランという意味でバカバカしいマンガ。産経新聞連載の西村宗『サラリ君』がその典型である。新聞連載の四コマは、朝日新聞、毎日新聞が古い殻を打ち破る意欲を見せているのに反し、多くは半世紀前のマンガの水準にとどまっている。中でもあきれるほどツマランのが『サラリ君』である。恐妻家の社長、色っぽいバーの姉ちゃん、茶碗の割れる夫婦げんか……。これじゃ、昭和三十年代の話だ。どこをどう笑えばいいのか。こんなマンガが実に八千八百回も続いていることに背筋が寒くなる。
 もう一つは、人間そのものの愚かしさを描いたバカバカしいマンガだ。といっても、エラスムスの『痴愚神礼讃』やスウィフトの『ガリバー旅行記』のような高尚なものを思い浮かべなくてもよい。あまりにも当り前すぎて気づかないバカバカしさがあらためて四コママンガに描かれると、意外にも面白い。問われるのは、気づく眼力、描く伎倆だ。とがしやすたかには、その眼力と伎倆がある。
 青春くんというくくり方が、まずよかった。青春は、美しく、哀しく、滑稽で、しかし、その中にいる当の若者はそれに気づきにくい。エロビデオで毎日五回オナニーし、性器の大小で心の底から悩み、キャバクラ嬢に軽くあしらわれ、アイドルタレントに妄想をふくらませ、先輩の一知半解な助言にとまどい……これで六百五十回、十七年。連載当初これを読んでいた青年が四十代目前である。青春も二周目に入っているはずだ。それなのに、延々と続く愚かで楽しい話が笑える。

愚行権を丸呑する愚行
 それにしても、青春は、人間は、愚かである。むろん、誰でも愚かであることをやめて賢くなるべきである。しかし、人が賢くなることを、誰が何の根拠で強制することができよう。人が愚かであることを、誰が何の根拠で禁止できよう。国家で愚かな人を集めて賢くなるように強制的に教育したら、それは理想的な国家と言えるだろうか。国家で愚かな人を愚かであるというだけで刑務所に入れたり死刑にしたりしたら、よい時代になったと言えるだろうか。そんな国家は息がつまるような抑圧的国家であり、史上最悪の時代が到来したことになる。国家にできることは、賢くなりたい人の手助けをすることぐらいだろう。学校を作り、図書館を作り、文化ホールを作り、奨学金を充実させ、学術団体に援助金を出す、といった環境整備しかできない。
 もちろん、他人に危害・迷惑を及ぼす愚かな行為は、国家が禁止し、取り締まるべきである。殺人、窃盗、強姦、傷害などは、どんな時代、民族でも禁止されてきた。希少動物の狩猟は、それがきわめて貴重なものであり、絶滅したら回復不能であることが認識されてからは、たいてい禁止されている。麻薬や覚醒剤も、それが他の重大な犯罪につながりやすいことがはっきりすると、これも原則的に禁止されるに至った。
 しかし、判断がむつかしいものもある。酒は、麻薬ほど重大な犯罪にはつながらないけれど、少なくとも我が身を滅ぼすことはよくある。タバコも、ほぼ同じ。ギャンブルは、巨万の富を持つ大金持ちなら、愚行ではあるが身を滅ぼすことはない。ポルノは、少なくとも見ることに関しては、単なる愚行であって、他人に危害も迷惑もかけない。
 こういうものは、どういう権利だというので許されているのだろうか。
 最近、応用倫理学という学問が注目されている。社会的な諸問題に倫理学研究の成果を活用していこうとする立場だ。こういう立場の人たちが「愚行権」という概念を提案している。酒、タバコ、ギャンブル、危険なスポーツ、おかしな宗教、こうしたものを好んでも、他人に被害が出ない限り愚行権として認めるのが自由社会の原則だ、というのだ。

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 とりわけ、平易な言葉で哲学・倫理学について論じてきた加藤尚武が、愚行権について新聞や雑誌によく発言している。売春や性的非行、危険地への渡航など、「自己責任論」とも関係してくる。
 しかし、愚行権を断片的に理解する愚行を犯してはならない。加藤尚武は『現代倫理学入門』でJ・S・ミルの『自由論』を縦糸に、現代社会の倫理問題を余すところなく論じ、その俯瞰図の中に愚行権を置いているのだ。ミルは、自由は文化の質を向上させると信じた。自由主義は理想主義の別名だと思った。
 しかし、今や「自由の空しさは、文化を退廃と混迷へと導いている」(マッキンタイヤー)。愚行権を認めることが、人生を愚行に終わらせる危険がある。このような重大な欠点を持つ自由主義を、それでもなんとか使いこなしてゆく賢さが、今問われているのである。『現代倫理学入門』が一九九七年の刊行以降、二十七刷というロングセラーになっていることが、その証左だろう。

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