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20080127 賢者の言葉・近田春夫・考えるヒット&ヒント

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 近田春夫 『考えるヒット』 (文春文庫 2000)より、
 「縁は異なもの――まえがきにかえて」を引用。 

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 『考えるヒット』はいうまでもなく、小林秀雄の『考えるヒント』のもじりである。それにはいきさつがあって、二十代の頃に私は、『週刊文春』で、"歌謡曲評論界の小林秀雄"として取り上げられたことがある。当時、深夜放送や雑誌のコラムで、自分勝手な歌謡曲の感想を語っていた。それが、若者文化が洋楽一辺倒の時代には、きっと珍しく映ったのだろう。面白がって、その記事に大袈裟な見出しをつけてくれた。大体その時、私は小林秀雄の名前も知らなかったのである。

 一九九六年の秋に、『週刊文春』で何か歌謡曲について書かないか、という話があり、取りあえず会ってから決めようということになった。文章に自信はないし、第一、邦楽なぞ何年もちゃんと聴いたことがなかったから、本来なら断るのが筋ではある。しかし、『週刊文春』の媒体としての魅力には、やはり抗えないものがあったのも正直なところで、ほとんど博奕を打ちにゆくような気持ちで、会見の場に臨んだ。丁と出るか半と出るか、それこそ出たとこ勝負で決めようと思ったのである。『週刊文春』からは、二人の編集者がわざわざ訪ねて来られた。そして、こちらの心をくすぐるようなことを、いちいちいってくれる。しかし、そうされればされるほど、私のなかで、これは自分には荷が重過ぎる、という気分が大きく膨らんでいった。とはいえ、その種のミーティングは前向きな方向で話が進むのが常であるから、私も表面上は「引き受けるとしたら」を前提に、色々と質問したりしていた。が、内心は何とか破談のきっかけを探っていた。というのも正確ではないかも知れない。清水の舞台から飛び下りるだめのひとことが欲しかった。なにしろ、どんなことをどんな風に書いたらいいのか、全く掴めていない状態だったのだ。書いてみたいとは思っても、いざ連載が始まれば、待っているのは地獄の日々に決まっている。半面、やれば何とかなる、いう思いもない訳ではない。私はさりげなく、用心深く、タイトルはどうするのかと尋ねた。後から思えば、その時賽は投げられたのである。

 「考えるヒット」ってのはどうですか?

 若い方の編集者の人が、すかさずそう答えた。私は、そのコトバから、たちどころに、自分の書くべきものを具体的に思い浮かべることが出来たのだった。それまでミーティング中漠然としていたのものが、一気にひとつの形となって脳裏に現れたのである。そんな私の内面の変化が表情に出たのだろう。若い編集者は私の目を見て、見てニヤリとした。

 結果的に、私は清水の舞台から飛び下りることもなく、自然に連載を始められることになったのだが、この話にはオチがある。「考えるヒット」といわれて、いいねェ、そりゃいい、と答えた時、私はその由来について、つまり小林秀雄の『考えるヒント』のことを何も知らなかった。若い編集者の造語だと思ったのである。そして私はロダンの彫刻のようなポーズをした自分の姿を、何とはなしに思っていた。ある日、一応参考までに、とその若い編集者から手渡された文庫本のタイトルに目をやった時にショックと恥ずかしさは、だから未だに忘れることが出来ない。

 と、カン違いからスタートした「考えるヒット」なのであるが、"歌謡曲評論界の小林秀雄"という記事から二十年もたって、このような連載を『週刊文春』誌上に書くことになったのだから、不思議といえば不思議である。

 ところで、小林秀雄の『考えるヒント』だが、手渡されたものの、そのまま目を通すことはなかった。どころか生まれてこのかた、小林秀雄のようなムツカシそうな人の本は一冊も読んで来なかった。それが、縁は異なものというか、ひょんなことから急に小林秀雄に興味を覚えるようになったのである。

 『週刊文春』の連載を読んで、もし文章を書く気があるのなら、少しスペースがあるのでやらないか、と昔からの知り合いである編集者の三宅菊子さんから連絡をいただいた。九七年の秋のことである。音楽以外のことなら書いてみたい、と答えた。丁度、書くこと自体が面白くなりかけてきたのと、子供の頃から何かと優しくしていただいている三宅さんからの「本物」の仕事の依頼なのがうれしくて、ちょっと偉そうに、そんな答えをしたのであるが、三宅さんは、あっさりと「じゃ読書感想文でも書いてよ」とおっしゃられた。そして『家庭画報』で連載が始まった。毎月、三宅さんの選ぶ本はどれも面白い。連載の三回目に三宅さんは白洲正子著『おとこ友達との会話』を選んだ。これもまた恥かしながらであるが、私は白洲正子を全然知らなかった。読み終わって、今年(九八年)八十八歳の白洲正子に、私は本気で恋してしまったのである。本の内容の素晴らしさもさることながら、その女性としてのあまりの魅力に私はまいってしまった。私は、買える限りの白洲正子の本を買い漁り、時間も忘れてそれらの書物を読み耽った。そうこうしているうちに、白洲正子に関連するすべてのことが気になりだしてきた。

   *

 そして、白洲正子に最も影響を与えた何人かのうちの一人が、小林秀雄だったことが見えてきたのである。私の読む限りにおいては、白洲正子は「男」としての小林秀雄を好きだったと思う。あるいは、そんなことを越えた次元かも知れぬが、とにかく、これだけのいい女が夢中になったのだから、小林秀雄はすごいに違いない、と私は直覚した。

 と同時に、低次元の嫉妬を小林秀雄に覚えた。なにせ、こちとらは"歌謡曲評論界の"小林秀雄といわれたこともある身だ。最初っから二流です、三流ですといっているようなものである。

 オッといけねェ、急に文章が軽くなっちまった。戻す。

 小林秀雄を遠ざけてきたのは、やはり"歌謡曲評論界の"と、一時にせよ扱われたことと無関係ではない。まず、誰が何といおうと、自分を評論家、批評家と考えたことが、私にはない。そしてもうひとつ、小林秀雄から何らかの影響を受けることを恐れた。読めば必ずその発想が「ヒント」になってしまいそうな気がしたからである。何にせよ知らぬままでいた方が良い、という結論に、二十年前に達していたからだと思う。

 縁は異なもの、と書いたが、"歌謡曲評論界の小林秀雄"から巡り巡って、ついに私は、小林秀雄と向き合わざるを得なくなってしまったようなのである。意を決して、というとオーバーだが『考えるヒント』を読んでみることにした。ところが、そんな時に限って、件の若い編集者にもらった『考えるヒント』が見つからぬ。仕方なく本屋へ行き小林秀雄のコーナーを探した。すると、そこにも『考えるヒント』はないのである。

 『近代絵画』を買った。有名な『モーツァルト』に手が出なかったのは、くどくど述べた"こだわり"のせいかも知れない。家へ戻り、頁をめくってゆくうちに、そんなことはどうでもよくなった。これがシャクなことに、矢鱈と面白い。絵のことなど、とんと知らぬ私が、グイグイと文章に引き込まれてゆくのである。昔、学校で美術の時間に習ったことのある有名な(そしてつまらぬと思った)数々の作品やその作者達が、実はこんなにも魅力的だったのかと、この歳になって思い知らされてゆく時、私は久々に脳ミソの快感を味わうのであった。小さな活字の文庫本を、結局徹也して一日で読み切ってしまった。

 なるほど、小林秀雄とオレは似てるワ。無論レベルの問題はさておきだが、何かについていわずにはいられない時の気持ち、それを理屈にせねば収まらぬ体質。そして、ここからは自惚れになるが、文章も似ている。"歌謡曲評論界の小林秀雄"と書かれたのも、まんざら間違いではなかったのだ。まさか、それをシンクロニシティとまではいわないけれども、今となっては小林秀雄に、何か運命的な近しささえ覚えてしまっている。こりゃもしかして白洲正子に会えるかも知れない。もう一度いうが、縁は異なもの、なのだ。

 縁といえば『考えるヒント』であるが、私の探していた小林秀雄のコーナーにないハズであった。『考えるヒント』は「新潮」でなく「文春」文庫だったのである。この本も、いずれ文庫になるとすれば「文春」である。『考えるヒント』の横に『考えるヒット』を並べるためにも、ゼヒ、本書をお買上いただきたい。ヨロシクオネガイシマース。

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