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20080203 賢者の言葉・山田詠美・荒木経惟論「敬意の記録」

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  『荒木経惟写真全集 9 私日記・世紀末』 (平凡社 1996)より、
 山田詠美 「荒木経惟論 敬意の記録」を引用。 
 胸が詰まるような幸福が訪れた瞬間に、時が止まってしまえばいいと願ったことのある人は、少なからずいるだろう。しかし、時なんか止まらない。止めることなど出来ない。その当り前の事実を確認することで、私たちは、その至福が過去になってしまったのを知るのである。けれど、そのくり返しは、いつのまにか背後に道を作る。おやまあ、もうこんなにも長い道を歩いてしまってと、振り返ると、過去の至福は、ぽつりぽつりと、まるで道標のように灯りをともしている。それらは、もう消えかかりそうに暗くて、私たちの胸を詰まらせる力を、すっかり失っている。まあ、それも仕方がない。そんなふうに思い諦める。過ぎ去った至福は、とてつもなく錯覚に似ているし、時には錯覚の方が甘いこともある。しかし、もしも、ある人物が現われて、あなたの時を止めてあげようか、と、まるで、魔法使いのように提案したら、私たちは、どうするだろうか。しかも、至福の瞬間は、こちらに選ばせてもらおうと言われたとしたら。一度は、他者に選ばれる至福など有り得ない、と肩をすくめることだろう。しかし、二度目には、他者にゆだねた至福の有様を見届けたいと誘惑に心がふらつくことだろう。そして、三度目。実は、至福の共有こそが、時を止める唯一の方法かもしれないという思いに囚われて身悶える。あるいは、共有することによりて捨て去るものの行方を追いかけてみたいという、かつて知らなかった欲望を意識することだろう。追いかける。その言葉に行き着く時、私たちは、初めて過去を未来につなげることが出来る。

 荒木経惟写真全集第2巻『裸景』が刊行されたばかりのことだ。顔のない裸の写真が、その瞬間、瞬間のドラマを作り出している作品集を何気なくながめていて、最後に、荒木さん本人のコメントを読んだ。その時、驚きのあまりに思わず声を上げてしまったのだが、なんと表紙の写真の女は、私だという。慌てて、もう一度、表紙を見た。その時の不思議な気分をどう説明して良いのか解らない。今現在生きていて写真集を手に取っている私が、14、5年前、新宿のホテルで、まさに服を脱ぎ捨てようとしていた私を見ている。過去が現在進行形に見事にはまった。まるで、長い年月をかけたジグソーパズルの見つからなかった最後の一片が、ようやく捜し当てられたという感じ。今が今でないような、過去が過去でないような。けれども、明らかに、過去と今がつながって、しかも、それは、私の意志によるものではなく、他人の所作の結果なのだ。

   *

 私が、そんなふうに呆然としていた時、これも、なんというタイミングだと腹立たしくもなるのだが、昔、寝たことのある男から電話がかかって来た。

 「今さあ、何を見ていたと思う? 実は荒木経惟の全集の2巻目なんだけどさ」

 「こういう偶然に意味を与えたくないんだけどさ、実は私もなのよ。ショック!」

 「何が? 格好いいじゃん、表紙なんてさ」

 「私がショックなのは、これが、自分だってことに気付かなかったってことなのよ」

 「嘘だろ? おれ、すぐに解ったぜえ。だって、本屋で、通り過ぎようとした瞬間に、おおっと思って、すぐにレジに持ってったもん」

 「どうして? 顔も写ってないのに」

 「ばーか、だからだろ?」

 そう言って、彼は、さも愉快そうに笑うのだった。仕様がないので、私もつられて笑い、不本意にも、二人で過ごした時間に関する思い出話をした。昔の男と共犯者めいた会話を交わすのなど、まったく私の趣味に合わない。それなのに、どうしたころだろう。白状すれば、楽しかった。一枚の写真が、私と彼の間にはさまれていたせいだ。元気でな、もう会うこともないと思うけど。そう言って、彼は受話器を置いた。私は、もう一度、まじまじと表紙に写った自分を見詰めた。いずれにせよ。私は思った。この一枚の写真が、彼の記憶のインデックスになったのだ。しかも、第三者の手によって引かされた索引。私と彼の間に至福の瞬間なんてあっただろうか。思い出せない。しかし、もしも、私と彼が一緒にいる瞬間に、荒木経惟が時を止めていたらどうだったろう。明らかに、至福と呼ばれるものが一枚の写真に写し出されていたのではないか。そんな気がする。

 人の記憶とは曖昧なものだ。それを確実なものにするために、日記という手段がある。しかし、たいていの日記は、人に見せる価値を持たない。ところが、どうしても、その価値を持たざるを得ない日記もある。不特定多数の人間によりページをめくられることを運命づけられた日記。時には、それは、文学の形を取り、時には絵画の姿を借り、そして、写真として印画紙に綴られる。それらは、まるで、人身御供のように、他者の前に差し出される。けれども、決して、秘密を奪われようとしているのではない。むしろ、秘密を奪わせてやろうとしているのだ。素直に、その思惑にのり、ページをめくりながら時の流れに身をまかせてみる。すると、私たちは気付くのだ。時を止めるという芸当をやってのける人間がいるということに。しかも、その時には、過去も現在も未来も関係ない。

 『私日記・世紀末』の日付は、1999年。それは、未来であって未来ではない。荒木経惟によって止められた一年間なのだ。選ばれた時は、過去からつながれ、現在を通り越して世紀末に続く。私たちは、彼の写真につまづきながら時を共有することが出来る。あるいは、自らの心象風景の中の世紀末を追いかけることが出来る。その時、心の内には、自分だけのセンチメントが、はからずも滲んでしまう。普通、人は、湧き上がるセンチメントを少しばかり恥じるものだが、私たちは自分に言い聞かせることが許されている。これは、荒木経惟の日記なのだ。彼の写真が、勝手に私たちの時を止めているのだと。1999年のエイプリルフールから始まる偽の日記。けれど、それは偽であるが故に、私たちに本物の西暦1999年までの猶予を与える。そして、上質のセンチメントとは、常に、その余白の中に潜むものだ。

 話は突然変わるが、私は、荒木さんと知り合って15年程になる。彼の写真とは、あまり関係がないかもしれないが、『私日記』というテーマなら、私の側からも書かせてもらっても良いと思う。何度か、私自身の時を止めてもらってもいることだし。

 私の知る限り、彼は、どんな時でも、カメラを離したことがない。道を歩いていても、お酒を飲んでいても、シャッターを切る。その無造作な様子は、まさに、日記を書き続けているという感じだ。作家が、いつもペンを持っているなどということは有り得ないので、私は驚いてばかりいる。羨しいとは思わない。これ程、写真のとりこになるなんて、大変だろうなと思う。時を止めるスピードが速過ぎて、もう世紀末か、などと今回の日記を見て感じたりもする。

 私が一度、荒木さんを対談にお呼びした時のことだ。対談の写真を撮るカメラマンは、当然のように、緊張していた。けれど、プロなのだし、手際の悪さを緊張することの言い訳には出来ない。私は、少し苛々していた。すると、荒木さんが彼に言った。

 「きみね、いい写真を撮りたいんだろ。だったら、そんな格好で来ちゃ駄目だよ」

 私は、思わず吹き出した。確かに彼の格好は野暮ったかった。そこで、私は、気が付いた。自分が、その若いカメラマンの手際の悪さに苛々していたのではなく、服装に代表される雰囲気をつまらなく感じていたのだということに。

 「被写体には、敬意を払わなくちゃ」

 荒木さんが、若いカメラマンに言ったのはそれだけだった。それだけのことが、何故か、私の心に残っている。以来、荒木さんのサスペンダーやボウタイを見るたびに、その時のことを思い出す。
 
 で、ここで思うのが、日記を書き綴るように、気軽な様子でシャッターを切る荒木さんが、実は、被写体に対して払っているであろう目に見えない敬意のことだ。『私日記』の写真を撮る瞬間、彼は、もしかしたら、パジャマのままのこともあるかもしれない。裸のまま、裸の女を撮ったかもしれない。しかし、彼は、常に、早業で、精神にボウタイを結んでいるような気がするのだ。彼に時を止めさせるのは、彼以外の誰も払うことの出来ない被写体に対する敬意なのではないか。そう思うと、1999年の輪郭が意味を持って立ち上がって来る。

 事実は、小説より奇なりという言葉がある。小説を本気で知ろうとしな人間の言う台詞だと、私は少し馬鹿にしている。けれども、事実を写真という言葉に置き替えてみたらどうだろう。しかも、その写真を荒木経惟の写真と限定してみたら。荒木経惟の写真は小説より奇なり。私に、これを否定する筆力が、まだないことが口惜しい。だって、1999年の6月11日、彼の敬意を受けながら、こうもりが本当に空を飛んでいるのだと思えて来るじゃないか。開かれた日記の敬意と至福。確かに、私たちは、止められた時をいつくしんでいる。

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