20080323 賢者の言葉・カフカ Franz Kafka・「喩えについて」
『カフカ短篇集』 池内紀編訳 (岩波文庫 1987) より、
「喩えについて」を引用。
賢者の言うことは喩えばかりだ、日常の役に立ちやしない、自分たちの生活は変哲もない日常ずくめだというのに、と多くの人が不平を鳴らす。たとえば賢者が言うとしよう。
「かなたへ赴け」
道を渡った向こうという意味ではないのである。道を渡るだけならば、いつでもできる。渡りがいのあるものならば渡りもしよう。だが、賢者の言う「かなた」はそうではない。それがどこなのやら誰にもわからず、詳しくは話してもらえず、だからして何の役にも立たない「かなた」である。本来、この種の喩えは、伝えようのないものは理解できないことを伝えているだけかもしれない。だが、そんなことなら私たちはよく知っている。自分たちが毎日のように苦労しているのは、もっと別のことである。
これに対して、ある人が言った。
「何故さからうの? 喩えどおりにすればいい。そうすれば自分もまた喩えになる。日常の苦労から解放される」
すると、もう一人が言った。
「それだって喩えだね。賭けてもいい」
先の一人が言った。
「賭けは君の勝ちだ」
あとの一人が言った。
「残念ながら、喩えのなかで勝っただけだ」
先の一人が言った。
「いや、ちがう。君はほんとうに賭けに勝った。喩えのなかでは負けている」

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