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20080409 三年目のリンゴ・不器用さについて・働きながら休む

 札幌豊平区のコミュニティFM「FMアップル」で、毎週火曜日午前十時半から担当している番組「田原書店ノマド」の放送が、4月1日で、なんとはや三年目に入った。
 毎回三十分間、選曲自由で話すテーマもこちらの勝手、好きにやらせてもらって約百回。改めて振り返ってみれば、自分のところの音楽作品をかける頻度が少なかったことに気づく。その気になれば、かけ放題だったのに。

  
  20080401 番組のお相手、福津京子さんとスタジオ内で

 年初にあたって、コンテンツメーカーで(も)あることを、リスナーの方に今一度お知らせするため、あるいは自分自身が再確認するために、ブックスボックス プロデュースCD作品から各アーティストのこの一曲を流してみる。
 新田昌弘さん、長根あきさん、谷本光さん、柳瀬美保さん、タルバガン(等々力政彦+嵯峨治彦)のお二人。
 自分でいうのもヘンな話だけど、やっぱり悪くない。

 各作品一つ一つは、間違いなく各アーティストのもの、アーティストたちの優れた力によるもの、なのだけれど、各アーティストのデビュー作を作ったレーベルとその運営者として、作品の総体は、やはり田原の仕事だったと言ってもいいんじゃないか、と考えてもいいのか、と。
 しかもそれが総数で、三千枚ではなく、三万枚近い売れ行きとなれば。出したこと自体に満足してそれで喜んで終わりました、という数では決してないし。まあ、十年かかってだけどね。

 その一方で、自分自身の限界と、世の中の変化も、感じていて、タルバガンの『野遠見』を最後に、CD作品を作らないことを決めてもいる。

  

 本当は、三十万枚、この十年のうちに、売ってなきゃいけなかった。実は。
 そして、それが、自分という人間にはできなかった。そして、これから先の十年で、CDを三十万枚売ることは、もう時代が許さない。



  
  星野桂子さん撮影の写真絵葉書集「木造校舎の声」。
  その絵葉書の展示会が、琴似のカルチャーカフェ+バー 60’sで開催中。期間は4月9日~30日まで。

 深川のプチレストラン「にれの木」のケイコさんから、
>だから 田原さんの布カバーとか見るとほんと尊敬します。
>自分の不器用さを痛感しましたね。

という、お言葉をいただく。
 沼田町の久保さんや、香聡庵店主のミカちゃんらと交わしている、自然発生的メーリングリストの中での発言。

 布カバーとは、昨年、田原が製本し、ケイコさんに進呈した、折帖型写真帳のこと。
 ケイコさんはその写真帳を有効活用、彼女自身が撮影した、90年代初頭廃校になった母校の写真絵葉書を収め、いろいろな人に見てもらうことで、縁が縁を呼び、周囲の人間たちを巻き込みつつ、彼女自身の運命を変えていくことになる。

 さて、不器用さについて。
 自分が、人様より器用なのか否かは、やはり、よくわからない。
 自分が、かつての自分(二十代までの)より器用なことは、これは間違いがない。

 1985年、関西に渡って、会社勤めを始めた。
 大学の文学部を卒業しておきながら、なぜかサービスエンジニアになっていて、仕事のある日は毎日、それから十二年間、アマチュア無線機やらオーディオ機器やらの故障品の修理を続けた。大きさも形も壊れている箇所も様々、電気的に壊れている場合物理的に壊れている場合等色々。
 多分、通り過ぎていった故障品は、総数で一万機近くに及ぶだろう。何本ビスをはずし、何度半田付けをし、ビスをつけなおし、したことだろう。物の考え方が変わるくらい、手が動いたことだろう。
 目的を達成するために動く手は、いつか無意識のうちに働くようになる。
 そしてそのとき、その人は器用になったと呼べるのではないか。
 その手は、新たな目的を達成しようというときに、大きな武器になる。その手自体が、新たな目的を生む、ということも考えられる。

 田原が製本した、その折帖本は、田原のオリジナルではない。山崎曜さんの『手で作る本』という本をアンチョコにしたもの。
 それでも確かに、田原の製本したその「布カバー」は、初心者にしては、教えてくれる人も教室に通うこともなく、本からしか情報を得られない中で作ったにしては、精度の高いものだった。
 一台の修理品を目前にして、それを直すための行程が、その勘所と難所が目に見えるように、その『手で作る本』を一読して、素人が(製本作業に関しては自分もその一人なんだけど)おそらくしくじってしまうであろう難所が、見えたような気がする。
 そこで意識を集中させることで、作業を順調に、つまりは美しい仕上がりを保障する勘所で、無意識に動く手を意識的に使うことで、そこを乗り越えればいい、という話が自分の中で作れればいい、という話。 

 とはいうものの、作り始めは自信がまったくなかった。
 大阪での十二年間は、それなりに動く手を獲得できた一方で、それなり精神的に消耗するものであって、北海道に帰ってきて、自分が作りたいと思ったものは「器用な手」をもう必要としないものだった(でなければならなかった、というべきか)。だから、実際に自分の手を、物理的に動かして、何か一点ものの形あるものを作るという経験は、帰道後の十余年を含めて、ほどんどしてこなかったと言っていい。
 手は動いた。それなり堅実に。そして、かつて関西では見えていた勘所と難所が、北海道でも見つけられることに驚いた。



 「ブックスボックス 香聡庵」は、今、お休みしている。 

  
  20080229 15:20 香聡庵の作業小屋の屋根に高く積もっていた雪が落ちた

 香聡庵店主ミカちゃんによる「ブックスボックス 香聡庵」の公式ブログから引用すれば、「ちょっと事情があって カフェの通常営業をしばらくお休みします。」ということ。
 ブックカフェの当事者の一人として、今回の休業に関して、なんの発言もしてこなかったのだけど、やはり一言言って(書いて)おくべきだろうと思い、これを書いています。

 まずは、お礼を。
 第一次(?)「ブックスボックス 香聡庵」を訪れて下さった皆様、ありがとうございました。

 そして、「ブックスボックス 香聡庵」が今開店していないことを残念に思ってくださっている方には、お願いを。
 どうか、今しばらくお待ちください。そして、再開するときには、どうぞまたよろしくお願いします。

  
  20080229 15:24 「お菓子のよう」にも見える?その雪たち

 さて。
 
 開店中、香聡庵店主が、厨房のなかで勘所をはずさず難所を乗り越えして、作業している気配を感じ、そこから供される品々が、それを口にする人を柔らかなものにしていく気配を感じ、その柔らかくなった人々が、自分の選んだ本の背表紙を眺め、ときに手にとって開き、さらにときにそれを買ってくれた(感じじゃなくて)りするのは、やはり、幸せなことだった。

 田原にはそんな幸せに浸れた一年余だったけど、香聡庵店主にとっては、いつまで・どれほど目の前を通り過ぎていくか果ての知れない修理品の行列に気を滅入らせていた時期の田原の心境に近い心境で過ごす、消耗の日々だったのかもしれない。一台一台の修理品が、正しく動くようになって、元の持主へ戻っていくことは、実はそのたび小さな幸せを感じられることではあるのだけれど。
 「歪んだ外圧」にさらされる状況になった今、その消耗が露わになって、それに抗する体力を回復するまで、休むのはしょうがない、ということなんだろうな。
 田原も、店主の手助けになるよりは、足手まといになることのほうが、数・量ともに多かった気もする。やはり、田原は、ここでも、非力でした。

 そして休業状態の今、冷静に考えてみれば、皮肉なことに、結果的には、香聡庵で店主と時と所を共にして働くことは、田原にとって良い休みになった。
 でも、申し訳ない、なんて思っちゃいけないんだろうな。
 自分は、自分の仕事をきちんとすること。それを続けていくこと。
 そして、待つこと。

 その上で、第二次(?)ブックスボックス香聡庵に、新しい可能性を見つけられたら、また始めるしかない。

  
  20080229 15:24



 そんなこんなで、今、久しぶりに、自分の前に、自分の仕事が、自分が作り始めるのを待っている、という感じがしている。
 はからずも、手がまだ動くことを知ることができたし、素敵な休暇もいただいた。

 秋には、満五十歳になる。
 この五十年間、第一次「ブックスボックス 香聡庵」時代を幸せに過ごしたように、関西の修理人時代も、帰道後の初期制作者時代も、利尻島での子供時代も、すべて幸せなものだった。(傍はおおいに迷惑だったでしょうが・・・。ごめんなさい)
 五十年後、自分は生きていないと思うけど、自分の作品がまだ生きていて、それに接する人関わる人をわずかでも幸せにできればいいと、強く願う。自分がそこに生きているとすれば、精神、だけだろうから、誰にも迷惑はかからないだろうしね。

 手を動かすことで始まる仕事からネットワーク上に広がる仕事まで、その振幅の中で作り続けていくことにしよう。極々個人的な場所に根付いた仕事からネットワークで世界に繋がる仕事まで、その広がりの中で作り続けていくことにしよう。

 自分に報いてくれた人たちに恩返しするために。
 自分を蔑ろにした人たちに復讐するために。
 そして、その両方に含まれる、自分自身のためにも。

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コメント

へぇ~ キレイなカバーのルーツと
田原さんのお若い頃の人生をここで見ましたね。
(いや 今もお若いけど・ハハハ)

私は 子供の頃から 物を作るのは大好きだけれど
「のり」を使っているうちに
のりが 指に付き、その指にゴミが付き、
出来た作品に指紋やゴミが付いていると言う子供
でした。それは今でも変わらず
どうやって上手くごまかそうかと考えて暮らして
そうして だんだん要領よく暮らせる術を
編み出していくようになったと(?)思われます(笑

こんな私が 田原さんに出会って お付き合いさせて
もらえるなんて出会いって素敵☆
ちゃんと向き合っていただいて 本当にありがとう
ございます。
その手先の器用さを少々見習いたいと思うんであります。

投稿: keiko | 2008.04.10 23:31

> keiko さん
 コメントありがとう!
 おだてに乗って、今年もなんか作ってみたいと思ってます。出来上がったら、是非また見てみてくださいね。ではでは!
 

投稿: 田原@BB | 2008.04.11 21:00

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