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20080413 賢者の言葉・福井貞子・「草木染め」@『木綿口伝』

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  『木綿口伝』 福井貞子 (法政大学出版局 1984) より、

 「草木染め」を引用。 

 人間が草木の汁で布を染めるという発見は、いつ頃から始まりどんな色を使ったのか、確かな資料はない。しかし、日本古来の植物染料として藍が使われ、藍については第一章の「藍染めの発達」のところで述べた通りである。

 藍以外にも自然界の植物の多くは染色に可能であったが、色の身分制度などに制約されてか、草木染めはあまり進展しなかった。

 草木染料としてよく使われるものに、紫草、紅花、蘇枋、茜草、梔子、黄櫨、刈安、桜木、梅木、茶、柘榴、山桃、栗、玉葱、よもぎ、げんのしょうこ等がある。

 これらの草木染めは『万葉集』などに詠まれているものもあり、古くから草木の汁が衣服を染めたことが実証されている。また、中世末期の辻が花染めなども前記の草木の汁によって染められたもので、貴族や武士の染料であった。
 茜草さす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る(『万葉集』巻一)
 紫草は根をかも竟ふる人の児のうらがなしけを寝を竟へなくに(『万葉集』巻一四)
 茜草も紫草も、いずれも根を染料にし、灰汁媒染によって発色させる。木灰の媒染については、『延喜式』の中に椿灰の媒染剤について記載されていることは有名である。その他の紅花、蘇枋、梔子、黄櫨、刈安、梅、桜、茶、柘榴、山桃、栗、よもぎ、げんのしょうこ等は、皮や幹、葉や実などに含まれている色素を煮出して染料にしていた。一番煎汁、二番煎汁というように手間をかけて煮出し、回数を重ねて染め上がると、色相の堅牢度を増して安定する。発色を兼ねていろいろな媒染剤を使用したり、蘇枋に山桃を併用して染色し、また、梔子と栗を重ねて混色を楽しむことも出来た。古く染料として知られているものは、薬用や食用になるものが多く、特に紫草やげんのしょうこ等の薬剤利用は有名であり、茶やよもぎは飲食用に使用された。染料の中には藍と同じく栽培染料として、商業的農産物として早くから問屋へ送られているものもある。

 『染織と生活』 二 (朝日奈勝、一九七五)によると、南部地方からは、南部紫として山紫根が江戸の紫問屋へ寛政八年(一八九六)に搬出されている。紅花といえば最上地方が江戸時代に盛んであり、紅餅、花餅にして京都の問屋に送り出している。山陰地方でも、天明二年(一七八二)ごろに大坂の三井本店に紅花染料を売った記録が残されている(『島根県の歴史』山中寿夫、一九六九)。

 上掲の山陰地方の紅花産額一覧表によると、明治十年代に比較的多くの産出高を示し、中でも伯耆地方の明治一二年の産出は、一千斤以上の産額で、他地区に比べて群を抜いている。当地方の人たちは、藍作と同様に紅花の栽培に力を入れていたことがこの表によってわかる。

 色の身分制度については周知の通り、庶民は紺に規定されていたが、色の中でも紫は品位が高く、華麗な美しさを象徴する代表色であった。こうした高位の色に憧れるのは当然であり、庶民の中には着物や下着の隠所に紫色や紅色を使用した。梔子で黄色に染め、蘇枋で紫やぶどう色を染め出した。また、柘榴で茶色を、よもぎで鼠色を、刈安と藍で緑色を染め出した。これらの染色は、各々の農家で簡単に親から子へと伝えられた秘法である。
 このように、綿や染料を栽培した農民が色の束縛を受けながらも、紫色の秘法をわきまえていたので、商品にならない屑糸を染色し、秘蔵していた。

 今日、草木染めの色相が愛されるようになったのは、化学染料に見られぬ落着きのある色の深さゆえであろう。これからの織物の世界で一番重要なことは、織りの技術もさることながら、自ら染色し配色することが大切であり、色の色感が問われる時代であると思う。その意味からも、安定感のある草木染めの味は一段と深い。染色の堅牢度を上げるために糸の撚り加減や精練に注意を払う。濃淡色に限らず数回染色して色素を落着かせる。その日の天候によっても左右され、空気の酸化によっても想像もしない色相に変化したりする。染色の容器や媒染等によっても失敗することがあり、また、染色者のその日の気分によっても影響があるようにも思う。

 このように、自然発色の染色は困難な点が多く、その成功は熟練と失敗を重ねながら勘に頼るより他にない。しかし、昔の縞帳の中には、草木染めと藍のミックスが豊富な色相を作り、織物の深みを増しているものがある。中でも萌黄色は上層農民が着用したっが、色感のある女性は紺色の中に赤や紫、茶や鼠色等を併染して一見して判別出来ない万葉の色を生み、隠れた美をつくり出すことに成功している。四季折々を通じて花や実を眺め、一年に一度しか求められぬ染料を収穫し、染色の夢をふくらませる生活の姿勢を、再び取り戻して行きたい。これが日本の伝統文化であり、すばらしい着物文化に密着したものである。

 井原西鶴(寛永一九-元禄六年、一六四二-九三)の『浮世草子』の文中に「膚に単襦袢、大布子、綿三百匁入れて、一つよりほかに着ることなし。(中略)一生のうちに、絹物とては、紬の花色。一つは海松茶染にせしこと、云々」とある。これは元禄元年(一六八八)頃の町人の衣生活を記録しているが、花色(薄藍色)と海松茶染が登場する。海松茶は暗緑色をおびた茶色で、染めかえがきかぬ染法だったようだ。藍に黄櫨や刈安を併用して緑色にし、さらに栗や山桃を併用したのだろう。染色の季節も、枝木の青木と枯木では染め色が違う。桜や梅の木は、三月の花の咲く前に染料にするのが適していると言われている。そして、前記引用文につづいて、「海松茶染めにせしこと、若いときの無分別と、二十年もこれをくやしく思ひぬ。云々」とあり、当時は、一枚の小袖を何回も草木で染めかえて着用したようで、染めかえられぬ衣料を残念がっているのである。

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