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20080511 賢者の言葉・「危険と賢人」と「決断の心理」・『フィレンツェ名門貴族の処世術 リコルディ』より

   * [フィレンツェ名門貴族の処世術―リコルディ] フランチェスコ・グィッチャルディーニ 永井三明訳




  『フィレンツェ名門貴族の処世術―リコルディ 』 フランチェスコ・グィッチャルディーニ 永井三明訳 (講談社学術文庫 1998) より、

 「九六 危険と賢人」を引用。 

 賢者とはそろいもそろって臆病なものだという言葉は、昔から口にされてきたことわざである。なぜかといえば、賢者はどんな危険にも気がつくために、きわめて臆病になるのだ、というのである。私はこのことわざはでたらめだと信じている。というのは、一つの危険を必要以上に誇張して感じとる人間を賢者と呼ぶのは適切ではないからである。むしろ私は、その危険がどの程度のものであるかを理解して、その程度に応じて警戒を示すような人間を賢者と呼ぼう。したがって臆病な人間よりも、むしろ勇敢な人間をまず賢者であると呼ぶべきである。臆病な者も、勇敢な者も、どちらもすばやく事態をよみとるものであると仮定すれば、両者の相違点は以下のようなところにある。すなわち、臆病者は起こりうると考えられるすべての危険を計算にいれて、しかも常に最悪の事態を仮定する。いっぽう勇敢な人も、すべての危険を意識するものの、そのうちどれだけの危険が人間の努力によって回避できるか、またどの程度までその危険がひとりでに消滅していくかを考える。そしてどんな危険にも、いちいちびくびくさせられるようなことはなく、おこる可能性があるからといって、全部の危険が実際には起こるはずはないという信念や期待をいだいて、事にあたるのである。

 「一五六 決断の心理」を引用。 
 私は生れもった性格としては、きわめて決断に富み、自信をもって行動をおこすほうである。けれども、ある重大な決心をしてしまうと、私はしばしば自分のとった方策について、ほとんど一種の後悔ともいえるような気持に見舞われたものである。このことは、私がもういちど決心をしなおすとしたら、ちがった決心をしていたかもしれないとくよくよ考えるからではない。その理由は次のようなことによるのである。つまり私が決心をかためる以前に、右をとろうと左をとろうと困難はつきものなのだということを心に言ってきかせてある。ところが、どちらかに決心してしまうと、私があえてとろうとしなかった方策がもたらす困難はもう何もおそろしくなくなってくるのにたいして、私がこれから組み打ちをしなければならぬ困難だけが意識されるようになる。そしてその困難の度合は、前に別の方策のもたらす困難性とくらべて見たときに感じたよりも、はるかに大きなもののように思われてくるからなのである。したがって、以上のような苦しみから逃れるためには、君がとらなかった側の方策がもたらす困難を、克明に思い出さなければならないのである。


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