20080525 賢者の言葉・小島寛之・「ほとんど至るところ」がすべてでない世界
『あたらしい教科書 0 学び』 あたらしい教科書編集部 編 (プチグラパブリッシング 2006) 「第2章 考える手引き」より、
「数学×小島寛之」から「「ほとんど至るところ」がすべてでない世界」を引用。
確率論には「ほとんど至るところ(almost everywhere)」という用語があります。これは「広い平原の中に髪の毛ほどの細い筋がある、その筋をのぞいたすべて」というような意味です。この用語を使うなら、僕の人生は「ほとんど至るところ負け」だったと思います(笑)。僕だけじゃなくて、大多数の人はそうなんじゃないかな。でも、人生では確率論と違って、細い一本の筋を無視しちゃいけない。その筋を確かにたぐり寄せることで、新しい展開が開けてくることがあるからです。何十人、何百人もの人に「平均的に」認めてもらう必要なんてないんです。たった一人の重要な人物の目に留まればいい。そのためには腐らないで、全力で仕事をし、全身全霊で勉強すること。見返りを求めたり、効率化したらダメです。手を抜かない誠実さは、きっと自分の観測できないところで誰かの目に留まります。僕の場合には、何度もそういう「ほとんど至るところゼロであったはずの奇跡」が起きました。
自分を変えたい、違う自分になりたいと思った時には、そこで安易なショートカットをするのはやめた方がいいんじゃないかと思います。わかったような気になったり、取り繕えばいいというのではなく、じっくり対象に向き合う。その時に必要なのは、やっぱりあきらめないで努力すること。そして、恥をかいたり、失敗したりすることを、恐れない覚悟。自分はどうありたいか。そこに向かって、何をすればいいのか。その途中で、失敗や負けは、当然出てくる。けれども、誠実に持続することから、昨日とは違う自分が生まれてくる。数学とも、そういうふうに向き合うようにしたら、一皮むけるんじゃないかな。
小島寛之@Wikipedia
| 固定リンク
「04 賢者の言葉」カテゴリの記事
- 20110105 賢者の言葉・田村隆一 『青いライオンと金色のウイスキー』・「詩人と都市」より(2011.01.05)
- 20101229 賢者の言葉・谷崎潤一郎 『蓼喰う虫』・大阪文楽と淡路人形浄瑠璃(2010.12.29)
- 20101116 賢者の言葉・山口昌男 『「挫折」の昭和史』・「おわりに―甘粕にはじまり石原に終る」より(2010.11.16)
- 20100929 賢者の言葉・日高敏隆 『帰ってきたファーブル』・「動物学から見た世界 八、生物学独自の方法をさぐる」(2010.09.29)
- 20100906 賢者の言葉・赤松啓介 『夜這いの民俗学』・「夜這いの民俗学」より(2010.09.06)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント