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20080817 賢者の言葉・長谷川尭 『生きものの建築学』・「威嚇のための家」より

   * [建築の出自―長谷川尭建築家論考集]




  『生きものの建築学』 長谷川尭 (講談社額学術文庫 1992)  「第九章 威嚇のための家」より
 ある語録

 日本の建築界の最長老として、長いあいだ大阪を設計活動の本拠として活躍しておられた建築家の故村野藤吾氏は若いこと、大阪の実業家で、建築について高い趣味をもっていた泉岡宗助氏という人物に、日本建築のつくりかたに関して、次のような重要な助言をうけたと語り伝えられている。
一、玄関を大きくするな。門戸を張るな。
一、外からは小さく低く、内に這入る程広く、高くすること。
一、天井の高さは七尺五寸を限度と思え、それ以上は料理屋か功成り名をとげた人の表現になるので普通ではない。
  (中略)
一、人の目につかぬところ、人に気づかれぬところ程仕事を大切にして金をかけること。
一、腕の良さを見せつけようとするな、技を殺せ。
 この「泉岡語録」として村野氏が書きとめているものは、和風建築のデザインの場合に建築家が心得るべきこととしていわれたものだが、しかしその内容は原則的に、関西の資産家たちが建築一般にもっている独特の"美学"を素直にあらわしたものであった。
 「玄関を大きくするな」、つまり出入口を格式張らずにさりげなくすること。これは大坂の町人たちの日常生活の行動から自然ににじみ出てきた考えである。「門戸を張るな」という忠告は、もしそうすれば武士の誇示のむこうを張るかたちになって穏当を欠くという、商人らしい判断(卑屈とも感じられる判断であるかもしれないが)であった。それと同時に、つまらないところで無用の見えを張ることの無駄をやめなさい、というきわめて実質的な、実理的精神のあらわれでもあったということができよう。
 大坂の町人たちが一番軽蔑したのは「武士は喰わねど高楊枝」という実質のともなわないままに「門戸」を構えようとするような姿勢、江戸の武士道的精神であり、その心根を「大坂の喰い倒れ」といういささかえげつない行動力によって打ち倒そうとした、とものの本に書いてあるが、まさにそうした考えが「玄関は小さく」さりげなく、という発想にあらわれ、同時にそれに続く、「外からは小さく低く、内に這入る程広く、高く」という内部空間の処理方法へと展開していったのである。
 この建築的特色をいいかえれば、たとえ身なりは質素であっても、腹の内には美味しいものをたらふく喰って満足だ、という「喰い倒れ」精神が建物に投影した結果ともいえないことはないであろう。最近では、そういった建物も町中では少なくなってしまったが、ひところまでの大阪には、外観は地味な色調の格子の見える普通の町屋にすぎないけれども、一度格子戸をあけて中に入ると、思ったよりはるかに奥が深くひろがっていて、建物も驚くほど良い材料を、しかも、いかにもあたりまえのように使ってつくってあり、部屋のしつらえも風格のある家があって、感服させられたものであると年輩の関西人は回想している。
 事実、村野氏も若い時代の回想のなかで、早稲田の建築科を卒業してはじめて大阪の建築事務所へ就職し、友人の実家があった船場の商家を訪ねたときに、それと同じような感銘をうけたことを話している。表面はごくさりげなく、格別媚を売るわけでもなしに、ある意味で無愛想にしていながら、いつのまにか訪れた客を自分のペースの中に引き込んで、最後にはその客に思わず商品をつかませてしまう、といった商人に特有の言動と身のこなし、動物たちの性愛誇示に比較できるような行動のパターンがそこにある。それが建築にそのまま移しかえられたときに、町家の独特の空間が生まれてきたのである。
 これもまた一つの誇示の意匠にほかならないのだが、しかし威嚇にすべてをかけるような前述の<柱>を軸に置いたデザインなどとは、いかにも対照的なところが面白い。


 門戸を張る

 村野藤吾氏が、泉岡宗助氏の「語録」として伝えている日本建築をつくるときの一種の"極意"の内容は、単にディスプレイ(誇示)にかかわる問題としてでなく、動物界における造巣活動の基本的な傾向にも一致している。どんな動物でも、育雛をはじめとして、その他いろいろな目的のために造巣活動をするときに、自分のつくる巣の「門戸を張る」ことを試みる動物はまずいない。この場合「門戸を張る」とは、自分のつくった巣の出入口(エントランス)を必要以上に強調して、しかもそれが他の動物の目やその感覚にとらえやすいようにつくることになるが、そんな馬鹿げたことを試みる生物は考えられない。なぜなら、そうしたことは生物の造巣活動の基本的な原則に反している。
 むしろこれとは逆に、彼らは常に自分たちの巣のエントランスができるだけ目立たないように心がけてつくるし、また出入口そのものの大きさも、自分たちの体ひとつがやっと通り抜けられる程度のところにまで狭めてデザインするのが普通である。「玄関を大きくする」ことなどはもってのほかであり、逆に小さければ小さいほど巣の出入口としての本業の性能は高められる。
 改めて説明するまでもないが、動物たちがエントランスをひかえめに、小さくつくろうとするのは、彼らの"建築"の機能上の問題――雨仕舞とか風や外気温の影響を少なくすること――からだけでなく、彼らの巣が常に"外敵"の脅威にさらされている事実があるからにほかならない。彼らの巣をねらっている捕食者の目をくらますためには、巣の存在そのものが目立たないことが原則的なことであり、仮に発見されたとしても、そうした捕食者を自分たちの巣の内部空間にまで侵入させないで、小さなエントランスによって出入口で撃退することが必要である。
 捕食者が巣の入口から頭や手を突っ込んで、餌となる動物や卵をつかまえようともがいても、その巣の住人や仔は外敵の手や口のとどかないところに引っこむか、あるいは別の逃走用の出口から逃げ出して、生命の危険を脱するのである。これらの巣の特色は、特に地中に穴を掘って巣をつくる動物たちの空間構成において顕著にみることができる点についてはすでにふれた。
 このような動物の建築学的視点からすれば、先の「泉岡語録」における二番目の項目、つまり「外からは小さく、内に這入るほど広く、高くする」という原則は、動物たちの家づくりの原則に完全に符号する。動物たちは、人間の建築の一部のものが、列柱や屋根やその他の部分の強調によって外部形態を、できるだけ目立たなく、さりげないものにすることに精力を注いでいる。
 いいかえれば、彼らの"家"は自然の風景のなかに埋れているようにデザインされるのである。風景のなかに消えているように見せるためのデザインは、どことなくネガティブな努力のように思われるかもしれないが、しかし彼らは、それにきわめて真剣である。実際問題として、そのことがうまくできるかどうかによって、それが彼らの命にかかわる。捕食者の目をくらますように消えていることがもし実現したら、それは彼らにとって考え得る最高のエクステリア・デザインが達成されたことを意味する。
 反対に彼らの"家"は、インテリア・デザインにおいては、外側とうってかわって、工作もきめ細かく、内部空間もどちらかといえばぜいたくにつくられるのが普通である。内部はまさに彼らの身体をつつみ込む第二の皮膚であり、彼らの体の動きに都合のいいように十分なやわらかさとなめらかさ、それに広さをそなえていて、いかにも快適に観察者の目には見える。「内に這入るほど、広く高く」という原則が、さまざまなヴァリエーションのうちに実現されているだけでなく、内部は造作に心をこめながら「腕のよさを見せようとは」決してしないのだ。
 動物たちは常に一定の捕食者を背負って生きている。この捕食の関係は自然界において一連の連鎖をなして展開しており、そのことが自然界そのものの全体的なバランスを維持することに役立っている。こうしたあらゆる生物の<生>の約束事ともいえる捕食の連鎖から脱出したと不遜にも考えたのが一部の人間たち、いわゆる権力を握った人間たちであり、彼らは、彼らの襲うことはあっても襲われることはないと信じる立場を、先にみたような「列柱」に象徴される威嚇的な意匠によって誇示をしてみせたのだ。しかしそのことによって、内部を切り捨てても、外部に「門戸を張る」といった逆転された人間特有の"巣"の意匠が生まれ、それが長い間のうちに人間の建築の基本的なデザインであるかのような誤解を生み出してしまっている。


 町 家

 そのような誤解にすっかりなれてしまった私たちお意識には、「門戸を張るな」という忠告は、いかにも新鮮なものに響いて聞こえてくる。ところで、このような動物の造巣哲学に共鳴するような建築美学が、大阪のような商業都市の市民の間で維持されてきたのは、その美学を支えてきた社会階層の人間たちが、彼らにとっての社会的な"天敵"あるいは"捕食者"をどこかで意識していた結果であったにちがいない。
 この場合、彼らのその種の意識の原点は、「士農工商」という言葉に示される社会的なヒエラルキーにあったことはいうまでもない。彼らは社会的な階層の最下位に置かれながら、上位の"捕食者"たちの襲撃をおそれつつ、「門戸」を張ろうとする気持を捨てて、建物の外部形態の意匠をできるだけひかえめにし、そのかわり内側において、彼らの心理的および物質的なぜいたくを空間的に実現して生きてきたのである。
 かつて、日本のどの町にもみられた町家の地面にへばりついたような家並のひろがりを思い出してみればいい。街路に面して軒をつらねて立った町家の、それぞれ一軒ずつの間口は狭く、そのかわり奥行きが異常に深い。いわゆる「うなぎの寝床」とよばれるようなプランが基本になっている。この細長い家の前面(ファサード)は、一階はどの家も同じような格子でおおわれており、低くおさえられた軒先は、各家がほぼ同じ高さで連続している。それぞれの家の格式や財力の差によって間口は多少違うけれども、しかしファサードだけをとりあげてみれば、どの家をとっても特別に個性をうち出したものでない。ここでもまた、建物の外形は、都市風景のなかに埋没し、消えているのだ。
 さらに、日本の伝統的な町家の家並を少し高いところからながめたときに印象的なのは、ほとんど同じような色調で統一された瓦屋根が、平面的なつながりのなかでひろがっている光景である。この景観も、ある意味で建物の外形を風景のなかに消し去るための工夫の一つではなかったかといいたくなるほど、自然なたたずまいをみせている。それらの屋根のつらなりのひかえめさは、その中にぽつんと一つのビルが建ったりしたときによけいに強く感じられる。
 そうした埋没的な建物群を背景にしたなかでは、新しいビルの目立ちようはほとんど異様なものに映ってくる。これではねらわれる!と心配になるが、ただこのように目立つビルを狙う"捕食者"は、現代社会においては、固定資産の額を評価しようとする税吏以外には、いないのかもしれない。
 ともかく建物の持主が、世の中に恐いものを知らなくなったとき、「門戸を張るな」といった知恵と美学は、その本来の意味と輝きを失ってしまったのである。
 だが実際に私たちが生きているこの世の中から"恐いもの"がほんとうに姿を消してしまったか、といえばもちろん答えは明白である。単純に、かつてはっきりみえた"恐いもの"が、今はよく見えなくなっただけではないか。"恐いもの"は依然として"恐いもの"として私たちのまわりをとりまいているのではないか。
 たしかに昔は、社会を支配する一定の力(権力といった呼び方をされるもの)を、ちょうど私たちが建築の列柱を見ると同じくらいにはっきりと、目撃することができた。そして姿をかえながらも、同じような力が現在の社会においても働いているにちがいないと私は意識しているが、しかし、私にとっての社会的な"捕食者"の姿を明確にとらえることができない。だからこそ、わけもわからずにいらだっているのだ。
 建築や都市を通してながめた状況もまた同じなのだ。かつては権力をもつ者たちが所有する都市は建築は、だれの目の中にもはっきりと像を結ぶように構築されたし、逆にその下で生きる者たちは、そうした権力者たちの視界のなかで目立つことのないように、外部形態を都市や田園風景のなかに巧みに建物を消し去りながら生活していた。
 現代は事態が全く逆転している。社会的な力を所有する側の構築物が、次第に風景のなかに溶解していくように思えるのに対して、逆に力をもたない者の側の建物が、「マイホーム」といったかたちで顕在化し目立ってきている。経済的な実力があるなしにかかわらず、また敷地の大小にも関係なく、かつての貴顕豪族の邸館の外形を模したような安手の建売り住宅が売れ、彫刻風の陰影のあるドアが玄関につけられ、富豪の家のホールにあったかと思わせるけれども、実はレディ・メードのシャンデリアが天井の低い居間に飾ってあったりする。
 この目立ちよう、この露出ぶりは異様である。現代の"捕食者"が何かの拍子に飢えたときに、これ以上に格好の餌食の居場所を教えるものはないかもしれない、と心配のひとつもしたくなる。かつての経済的な実力を秘めた町人ほどではなくとも、私たちはもう少し用心深くてもいいのではないだろうか。


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