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20080831 賢者の言葉・岸野雄一「世界の重力、伊福部の重力」・映画音楽の"効用原則"

   * [伊福部昭の芸術9 伊福部昭音楽祭]




 「レコード・コレクターズ」 1997年11月号 (ミュージックマガジン)  「特集 伊福部昭」より、岸野雄一「世界の重力、伊福部の重力」から引用
 映画音楽の"効用原則"

 伊福部昭は映画音楽において「四つの効用原則」を定義している。これは映画音楽の構造を分析する上での理論の的確さにおいても、後継者に与えた影響は計り知れず、映画音楽を作る上でのひとつの指針となっている。その四つの原則をひとつひとつ説明していこう。

 まず最初に、音楽によっていつの時代のどこを舞台としているかという「設定」を示すという効用。その場所を限定するような民族性や地域の特色を示す音楽によって、空間・時間的な説明ができるわけである。

 そして、登場人物や物語の展開上における雰囲気、情念、感情的背景といったものを「強調」する役割。それにはさらに二つの方法がある。例えば主人公が悲しみに暮れているときに、その感情に沿った悲しい感じの音楽を付けることをインタープンクトという。それに対して登場人物の悲しい気持ちに対比させるかのように正反対の楽しい音楽を付けることで劇的な効果を強調することをカウンタープンクトと呼ぶ。これは劇作術におけるいわゆる異化作用のような方法論との相乗効果によって、さらに複雑な心理の描写が可能になる。例えばひとつのシーンがインタープンクトで始まりカウンタープンクトで終わるといった氏が多用する手法がそうである。

 三つの定義として「ドラマ・シークエンスの確立」が挙げられる。これは一見するとなんの脈絡もないと思われるショットやシーンの連結において、ひとつながりの音楽を流すことによって関係性を強調するという手法である。むろんなんの脈絡もないというのは極端な言い方であるが、それほど人は音楽のムードに囚われやすいということであり、普通はシークエンスの連続性を補完するような使い方をされる。

 最後のひとつは「フォトジェニーへの呼応」と呼ばれる。これは「音楽的特性効果」つまり映像作品にのみ実現可能な感情の喚起への対応とも言い換えられるが、伊福部がことあるごとに口にしていた「本来、音楽は音楽以外のなにものも表現し得ない」という自己への戒の言葉をも象徴していると感じられる。むろん、ここでは音楽の効用について限定し定義付けられているわけであるが、純粋音楽だけでは「食べていけない」日本の作曲家は「本来」の意図を外れて注文に応じなければならないという悲しい宿命をも匂わせていると思う。氏ほどの巨匠であっても、「トーキー地獄」と自嘲気味に呼ぶほど映画音楽の仕事をこなさなければ生活できなかったのだ。筆者自身も音楽プロデュースという形で現場に携わることが多いが、仕事量に対するその報酬に少なさはフリーのライターの比ではないと思う。おっと脱線してしまった。 


スタディスト、岸野雄一のオフィシャルサイト

伊福部昭 @ Wikipedia


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