20080907 賢者の言葉・梅棹忠夫『民博誕生 館長対談』・黒川紀章「回遊式博物館の原理」
『民博誕生 館長対談』 梅棹忠夫 編
ラティスの発想
――館長がおっしゃったことは無理難題ではなかたんですか。
黒川 いやいや、すべてが無理難題でした(笑)。しかし、建築とはそういうものでしてね。学問というものも、そういうものだとわたしはおもうんです。最初から予定調和されている注文があるとすれば、それはどこかに嘘がある。条件一と条件二が相互に矛盾するから、そこではじめて創造的な解決がかんがえられるわけで、一項目、一項目の館長の注文はしごくもっともでしたが、全部をきいて、はたと悩みましたよ。これははたして建築になるかな、とね。ただ、さいわいだったのは、いまの展示学というか、つまり文化人類学とはなんぞやという話から議論がはじまったことでしたね。わたしには、極端ないい方をすると、梅棹文化人類学を建築にするとどうなるかという、そういった気持ちが最後まであったんです。わたしのドグマチックな解釈ですが、梅棹文化人類学というのは、世界に類例のないユニークなものだとおもっているんです。むかしからそこに目をつけて尊敬していたんですかれども、きわめて日本的な発想で、だからこそ国際的な発想だとおもうんです。
こういういい方がただしいかどうかわかりませんが、学問の体系のひとつはツリー(木)の体系である。幹があって、枝分かれして、ピラミッド型に構築されていく。もうひとつはラティス(格子)という体系ですね。建築でいうと、中世の教会、寺院建築をとれば、ピラミッド構造です。神というものをひとつの頂点にもった、全体がゆるぎなく固定された秩序をえがいたものが、中世のゴシックの意味です。それにたいして日本の建築が伝統的にもっているのは、ラティスの構造だとおもうんですよ。ラティスというのは、どこが頭でどこが尻尾ということがない。どこが枝でどこが幹かということもない。すべての線がおなじ価値で存在しているわけですね。つねに部分が全体になりうるという性格をもっている。
梅棹 しかも全体がちゃんと構造をもっている。
黒川 ヨーロッパでは、建築全体が立体として統一されていないと、矛盾した建築だといわれる。ところが日本の、とくに茶室建築をみると、たとえば襖、なげし、にじり口とかいったすべての寸法関係が、それぞれの平面で、まったく調整されていない。調整されていないということは、それぞれの平面が独自の自律性をもっている。四つの自律性をもった平面が交錯して空間になっている。こういう考え方が、日本の文化の伝統のなかにずっとあるんじゃないかとおもうんです。
わたしは、梅棹文化人類学の特色は、梅棹さんのきわめてユニークな、カルチュアにたいするものの見方にあるとおもうんですが、最初からひとつの体系がかたまってずっとあるんじゃなくて、尻尾とか頭が無限にのびて、いろんな方向で座標軸をもっていて、それが全部、おなじ価値でおかれている学問体系だとおもうんです。
梅棹 それはよくみてくださっている。そのとおりです。
黒川 むかしはそういうのを学問体系とはいわなかった。その体系とはいわなかったものを、ラティスとしてみたとたんに、それは体系なんです。
梅棹 すくなくとも、きっちりした構造をもっている。
黒川 そういう梅棹文化人類学を、建築の空間とか、あるいは展示の構造、展示学のなかに展開してゆけば、どういうことか。まず空間の構造をラティスにしよう。それぞれの展示空間は、それぞれ独立しつつ、なおかつ全体として統一しているともいえる。あるいはどういうふうにも発展させることができる。つねにあらゆる可能性をもった自律性のある文化人類学のそれぞれのセクションが、ある構造をもって全体として存在する。これを建築にするということに、わたしは必死になったんです。
梅棹 それはひじょうにいいところに目をつけてくださって、よかったとおもいますね。
第一に、世界を、地域あるいはカルチュア群の体系としてとらえる。それが全部レラティブ(相対的)なんだ。ひとつのカルチュア、ひとつの価値、べつべつの枝じゃなくて、ラティスとしてとらえる。一方ではさまざまなカルチュアをつうずるクロス・カルチュラル(通文化)の観点がある。カルチュアとクロス・カルチュアという、ふたつの平行軸で切っている。その全体で、世界ができている。全体としては一種の世界観であり、宇宙観であるかもしれない。それがこんどの場合、たいへんうまくいったとおもいます。
それからまた、この博物館はけっして完結はしない。いつでもうごいているんだ、ということがあります。その意味で、成長する博物館というアイディアを、最初からもっていた。建物としてこれで完結、というような設計をしてもらってはこまる。つぎつぎに増殖してゆくのだというふうにおねがいしますというたら、結果はまさにそのとおりになっている。システムとして、いまの敷地のままでも増殖の可能性をもっている。おなじ規格のものが子をうんでふえていくようなかたちにつくってある。こんなものははじめてだとおもうな。
黒川 そこがスタートだったんです。われわれはいろいろなクライアントとめぐりあうけれども、こういうケースは、じつはあまりないんです。梅棹館長のように、ひとつのユニークなあたらしい学問体系をすでにもっておられるかたがクライアントというケースはそうないから、こんどの場合は、そこがさいわいでした。
「利休ねずみ」という色
梅棹 こんどの博物館は日本建築ですね。鉄筋コンクリートという素材はインターナショナルなものですけれど、建築としては、まさに現代日本建築の代表的なものだとおもう。伝統のうえにちゃんとのっています。
黒川 さっき梅棹さんがおっしゃった、できるだけひくい建築にしようということ、これは自然との調和、公園との調和という構想でした。その結果として、もうひとつの美学がうまれた。それは水平線の強調です。これも日本の伝統的建築の特徴です。ヨーロッパの伝統は塔でしょう。垂直を強調する。塔の歴史はヨーロッパの歴史のなかで重要だとおもう。日本建築にも五重の塔とか、いろいろありますけれども、それですら廂の水平線がかさなっているのだとおもうんです。軒先とか縁側とか、日本の建築の構成要素は水平線の強調でできている。こんどの建築のひとつの美学的な側面としてこれがあります。軒はでていないけれど、それにかわるものとしてアルミニウムのダイキャストのまわりぶちが建物全体をふちどっている。横線の強調です。
梅棹 あれはほんとうにきれいでよかったね。
――水はどうなんですか。
黒川 各展示ブロックの中央につくってある空間は、全部池にできるように設計してある。象徴的にかんがえたいときは、水をはってそのなかに一点だけぽつんと展示するということもできます。たぶん太陽の光がきらきらして、パティオというヨーロッパの空間概念を消して独特なものになるでしょう。パティオというより、茶室の露地といったほうがよい発想ですから。
――天井についてはどうですか。
黒川 建築はいろいろなものをかくそうとする。被覆という考え方はヨーロッパ的です。日本建築は素材や構造体をみせてゆく美しさがあるでしょう。わたしは展示空間をスタジオ・システムといったけれど、照明、空調、いろんなものを吊りさげるメカニズム、あらゆるものが天井にセットされ、露出されていていい。投げやりな露出でなく、ソフィスティケーテッドな露出、それがまたグリッド(格子)になっていて、いろいろな吊りものができたり展示ができるようになっている。天井をすかしでゆこうというのは、ある意味で日本の美学をつかおう、天井ははってしまうよりも天井の高さに奥行がでる、それを意識したわけです。
梅棹 全部真黒に塗ってね。ごちゃごちゃした感じはひとつもないとおもう。
黒川 それから「利休ねずみ」の話をしなければいけませんね。利休ねずみというのは、『長闇堂の記』という著書があって、長闇堂は利休の弟子の茶人ですが、利休の一種の口伝書ですね。そのなかで利休の好んだ色のことをかいている。そして墨染布子色という色を、利休ねずみとよんで世のなかがもてはやすようになったという記述がある。その利休ねずみと言う色は、たがいにあい矛盾する要素、たとえば赤と緑といった、はげしく対立する色を相殺して、ダイナミックな平衡状態にした色です。ですから利休ねずみにはグリーンがかったもの、紫がかったもの、いろいろな種類の利休ねずみがある。その原型を「素ねずみ」といいますが。わたしはこの利休の考え方に感動したわけです。ヨーロッパでは対立といっているもの、対立する色を共存させる。どちらかを否定しているわけではない。どちらもそのままの状態で存在させて、それをひとつの色として見よう、つまりふたつを透過させて、そこからでてくるなんともいえない、ふしぎな色を利休ねずみとよんだ。そこにわたしはひとつの哲学を読んだわけです。
いまわれわれは、アルミニウム、コンクリートというインダストリィからでたものにかこまれている。一方では精神的伝統的なものにかこまれている。このふたつが矛盾するわけはない。日本、あるいは日本人からみれば、回遊式でみればいい。あるときは技術の世界、あるときは精神の世界で回遊して統一されればいいということで、利休ねずみは、ただ色をいうだけでなく、じつはさまざまな、矛盾するかにみえる要素の平衡的共存状態をいうのです。ラティスとおなじことなんです。アルミニウム、ステンレス、ガラスといった現代的な素材と、御影石とか大理石とか古典的な素材を、何十種類とわざわざまぜてつかっています。だからおなじグレイでも、御影石のグレイ、大理石のグレイ、タイルのグレイ、アルミニウムのグレイがあって、その全体が一種のきわめてあいまいな境界領域をつくりだして、建物にいままでなかった、ふしぎな存在をつくりだすというふうにかんがえたわけです。
梅棹 この博物館はおもしろい建物で、よく見るとじつに千変万化の色彩をはらんでいるのに、すっととおってみたら、なにも色彩がなかったという感じになる。無彩色の美学ですね。

梅棹忠夫@Wikipedia
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