« 20080927 ブックスボックス 田原書店・棚出し&お買上・「津軽三味線ひとり旅」~「全国アホ・バカ分布考」 | トップページ | 20080930 田原書店ノマド・最終回 二年半ありがとう・生きることの肯定 »

20080928 賢者の言葉・北村暁夫 『ナポリのマラドーナ』・「現代のトリックスター、マラドーナ」

   * [ナポリのマラドーナ―イタリアにおける「南」とは何か] 北村暁夫



 『ナポリのマラドーナ―イタリアにおける「南」とは何か』 北村暁夫 (山川出版社 2005)

「5 再び、イタリア対アルゼンチン」 より、「現代のトリックスター、マラドーナ」引用

 マラドーナは試合後、号泣していた。自分やアルゼンチン代表チームに対するスタジアムの観衆の罵声、アルゼンチンに対して明らかに不利な審判の判定、疲労と負傷でままならない自分のパフォーマンス。そして、何よりも、最後の最後で「北」を代表する西ドイツに苦杯をなめさせられたこと。彼をして号泣せしめる要因は、たしかに存在していた。

 ただ、このワールドカップの開催期間を通じて、マラドーナのメディアに対する発言は一貫して冷静であった。たとえば、準決勝前日のインタビューで、彼は次のように語っている。

「みんなで寄ってたかって、僕とナポリの人たちとを敵対させようとしているんだ。イタリアがワールドカップで勝つためにね。でも、そんなこと、できるかな?」

「たかだがサッカーの一試合で、友情や町への愛情が消えてなくなるなんてことはないさ。僕がナポリを選んだのは、ナポリのファンが今まで一度も手にしたことのないリーグ戦の優勝盾を手に入れさせてあげたかったからだからね。」[Paoletti 1990]

 別のインタビュー記事では、次のようにも述べている。

「ナポリの人たちがイタリアを応援するのは間違いないさ。僕たちのアルゼンチン代表チームにも、敬意を払ってくれるだろうけどね。ただ一つ残念なのは、ナポリの人たちがイタリア人として振舞うように周りの人たちから強要されていることだね。この一年間、ナポリが地震の被災者(terremontati)の町だとか、「テッローネ(terroni)」の町だとかいわれて、ずっと疎外され、侮辱を受けてきたことなんか、みんなすっかり忘れちゃってさ」

「ナポリ人(partenopei)に対するひどい人種差別(razzismo)があるって、いまさら言わなきゃいけないのは情けないよね。ナポリはイタリアに決まっているのにね」

「リーグ戦で優勝したことで、マラドーナに対する反感が一気に高まっちゃったね。そのツケを払うのが、アルゼンチンというわけさ。排外的愛国主義(ショーヴィニズム)は嫌いだね。僕はだれに対しても敬意を払っているよ」[Bernardi 1990]

 マラドーナといえば、サッカーの世界を離れてから、薬物中毒や契約をめぐるトラブル、太りすぎによる心臓疾患など、何かとお騒がせな人物として知られている。そのため、いささか知的能力を欠いた人物というイメージが広まっているかもしれない。しかし、彼の言説を彼がそのときどきにおかれた状況に照らして再読するならば、それがきわめて論理的であり、核心をついたものであることに驚かされるであろう。このときの彼の発言もまさにそうである。

 マラドーナには、北・中部イタリアのなかに南イタリアに対して激しい差別意識をもつ人々がいることがよくわかっていた。ナポリのなかに、イタリアという国家に対して強いアイデンティティを抱いている人々がそれなりに存在していることもわかっていた。そして、アルゼンチンが、北イタリア―南イタリアという序列(ヒエラルキー)のさらに下部に位置する状況におかれていることもわかっていた。彼はサッカー選手として日常的にプレーをしていく過程で、そうした事柄の本質を直感的に理解していったのであろう。

 さらに、マラドーナは、サッカー選手として日常的にプレーすることによって、そうしたイタリアやアルゼンチンの抱えるさまざまな問題を、人々の目にあますところなく伝えていった。もちろん、彼が社会問題を暴露するためにサッカーをしていたはずがない。彼はたんにサッカーが好きだから、勝負に勝ち、ファンを喜ばせ、良い暮らしをし、名声を得たいから、サッカーをしていたにすぎないであろう。だが、彼がプレーをするだけで、彼の意志とはまったく別に、社会の矛盾や問題点があらわになってしまうのである。

 トリックスターという、神話学や文化人類学で用いられる言葉がある。神話や民話にしばしば登場する、策略を用いて狡猾に立ち回るかと思えば、いたずら好きが高じて失敗を繰り返す道化的な英雄のことである。マラドーナの振舞いを見ていると、この言葉を思い起こす。

 マラドーナはきわめて理知的であり、自分の周囲の状況がよく見えている。サッカー選手としての栄達も、理性や見識がなければ得られなかったであろう。その一方で、麻薬や賭博におぼれて、サッカー選手として得た栄誉や富を簡単に失っていく。こうした矛盾に満ち、一貫性を欠いた振舞いは、トリックスターとしての要素の重要な一部をなしている。

 けれども、マラドーナがトリックスターと呼ぶにふさわしいのは、彼がサッカーという「いたずら」をしているにすぎないときに、その「いたずら」が既存の秩序の抱える矛盾を暴露し、秩序を転倒させるかのような状況を生み出してしまうからである。



北村暁夫@Wikipedia

ディエゴ・マラドーナ@Wikipedia

|

« 20080927 ブックスボックス 田原書店・棚出し&お買上・「津軽三味線ひとり旅」~「全国アホ・バカ分布考」 | トップページ | 20080930 田原書店ノマド・最終回 二年半ありがとう・生きることの肯定 »

04 賢者の言葉」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/6458/42674421

この記事へのトラックバック一覧です: 20080928 賢者の言葉・北村暁夫 『ナポリのマラドーナ』・「現代のトリックスター、マラドーナ」:

« 20080927 ブックスボックス 田原書店・棚出し&お買上・「津軽三味線ひとり旅」~「全国アホ・バカ分布考」 | トップページ | 20080930 田原書店ノマド・最終回 二年半ありがとう・生きることの肯定 »