20081105 賢者の言葉・伊藤俊治 『<写真と絵画>のアルケオロジー』・第2章「リアリズムとモデルニテ」より
「写真と絵画」のアルケオロジー―遠近法リアリズム記憶の変容 (白水社アートコレクション)
『<写真と絵画>のアルケオロジー 遠近法 リアリズム 記憶の変容』 伊藤俊治 (白水社 1987)」 、第2章「リアリズムとモデルニテ」より一部引用
マネは現実世界を正確に再現する確固とした「本物らしさ」の追求より、色彩で覆われた平坦な面である絵画世界の自律性を直観的に感じとっていたのかもしれない。たびたび指摘されることだが <<草上の昼食>> も <<オランピア>> も、それ以前の絵画がもっていた十分な肉づけが肉体になされてはいず、アングルやクールベの描く肉体にくらべて平面的で立体感を失っているように見える。アカデミーの絵画に見られる、絵具を盛りあげ、光らせる物質的手法は影をひそめ、鮮明で均質で平板な色調が用いられているのだ。けれどもよく観察すると、マネの絵では、陰影による肉づけ法が採用されていて、色調の微妙な変化によって肉体の丸みや質感が巧みに捉えられ、最明部と最暗部のコントラストが明確で画面全体に強い印象をあたえているのがわかる。
ルネサンス以来の西洋絵画の基本をなす三次元的な量感や空間の表現ではない、二次元上での画面構成への意志をそこに見ることもできるだろう。影の部分と光の部分の強烈なコントラスト、中間トーンがなくなり、細部が失われてゆく。それをアーロン・シャーフがいうように、ダゲレオタイプに代わってこの時代にあらわれるコロタイプやスタジオ内での肖像写真の画像の特質になぞらえることもできるだろうが、大切なのはこうしたマネの絵の特性は同時代の風景画にもしばしば見られる、色調と輪郭からの逸脱であり(それがやがて印象派へも波及してゆくが)、前にも述べたようにそれが十八世紀から十九世紀にかけての絵画の構造の変容を告げる表象となっているということなのだ。
ガラシの言葉を借りれば「構成から断片へ、総合から分析へ」という絵画を成立させる中心の転換がそこにしるされている。しかもマネの位相が興味深いのは、そうした移行の中間的な領域がその絵にあらわれているということなのだ。またマネの絵は絵画の二次元的自律性と現実の三次元的自律性の中間を行ったり来たりしていたともいえるだろう。
かのエドガー・ドガがマネを競馬場へつれてゆき、そこで二人の画家は強いインスピレーションを受け、刺激的な現代生活の題材を競って描くようになったという逸話はその意味で興味深い。パリのロンシャン競馬場は一八五七年に完成したが、人びとがめまぐるしくゆきかい、人馬が一体となって草原の上を矢のように駆けぬけてゆくこの競馬場はいわば当時の社会状況の縮図ともいえるものであり。彼らはその雰囲気にのまれ、そのゾクゾクするような感覚に圧倒され、二人とも競馬場をモチーフに絵を描くことになる。
マネの <<競馬場>> は遠景で、柵に集まる人びとを小さな点の寄せ集めのように描いてその後の点描主義を示唆するかのようであり、馬や草原はハーフ・トーンやクォーター・トーンを使わず、素早いタッチを並置してゆき、筆跡や筆遣いを消すことなくそのまま残し、瞬間性や現在性を獲得しようとしている。ドガの <<競馬場にて>> においては、そのことはもっと顕著であり、馬のよく向きの変わるシルエットを線描で生きいきと捉え、人馬をだしぬけに切断したり、人と人を重ねあわせたり、前景を極端に傾斜させたり、動いている人馬の進行中のブレやとぎれさえも定着しようとしている。その新しい空間の生気を画面に取りこむため、ドガは油彩をやめ、瞬間瞬間に素早く対応し、線描と彩色っが同時にでき、確固とした物質性を否定するパステル画へと移行していったのである。
絵の縁はもはや伝統的な意味でのフレームではなくなっていた。その瞬間ごとに移り変わり、特定の現実の断片の印象を追い求めるカメラのファインダーのようなものと化していた。見る者は、ドガの絵では参加者となって、身体感覚をひきずりだされていた。
それは印象派がめざしていたものと同質のものといえる。整った構図の拒否、物の形の曖昧さ、人や物のばらばらな配置、光あふれる感じ、ふと垣間見たようなさりげない雰囲気……といったモネの <<バスブローの道>> や <<庭に立つ女>> などに代表される印象派の特質はスナップ・ショット、というより当時あらわれはじめていたアマチュア写真家たちがカメラを手に外界へおもむき撮りおさえてきた光景のトーンと酷似している。ドガ自身、熱心なアマチュア写真家であり、風景や人物を撮影した多くの写真を残しているが、そのドガに写真を撮られたことのあるポール・ヴァレリーはこう語る。
「ドガは、絵描きたちが写真を軽蔑し、それを利用していることを認めようとしなかったときも写真を愛し、その価値を充分に評価していた。写真に基づいて、パステルやモノクロームで描きあげられた絵を私は見たことがある。ドガが望んだのは、どんな写真が画家を教育できるかを見ることだった。」(『ヴァレリー全集10』吉田健一訳 筑摩書房)
アングルやクールベの場合、事物の現実的な外観を正確に捉えるための資料として写真が利用されているが、ドガやマネにおいては写真という画像がもつ視覚性(平面性、レンズの性質や収差による遠近感など)が独自の解釈によって現在性をあらわすために取り入れられているといえるだろう。
伊藤俊治@Wikipedia
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