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20091025 賢者の言葉・山本夏彦・『日常茶飯事』より

   * [日常茶飯事] 山本夏彦



  「北海道紀行」 『日常茶飯事』(工作社 1962年)より引用
 七月×日から一週間、北海道へ旅行した。某新聞社の招待で、道内見物をさせる催しに、出来心から参加したのである。
 函館、室蘭、札幌、旭川――いずれも市内には泊らず付近の温泉地に案内された。函館なら湯の川、旭川なら層雲峡、札幌なら定山渓。
 この定山渓には、登別温泉から洞爺湖を経て、自動車でまる一日がかりで達した。すなわち遊山で、見せられたのは温泉場ばかりである。
 見あげれば羊蹄山、見おろせば洞爺湖――ガイド嬢は、絶景だから忘れぬように見よ、としきりに忠告する。
 層雲峡は、両岸とも、百なん十メートルを越えてそびえたつ断崖で、その底を流れる渓流に沿ってバスは進んだ。ここでむかし大町桂月は、両岸の奇岩怪石を仰いで、天下の奇勝だと感服したという。層雲峡の名も彼の命名だそうで、そのせいであろう、岸には彼の碑が建っていた。
 案ずるに桂月は、歩いてこの地にいたったのである。わが一行は、飛行機と自動車でここにいたったのである。うんざりするほどの景勝を見せられて、私はようやく景色は歩いて見るものだということをさとった。
 歩いて、五尺の身長で、両の肉眼で見て、はじめて風景である。長途の山径を行きなやんで渇きにたえず、ようやく発見した泉だから、天の美禄に似るのである。ついに峠に達して、視界たちまち開けて、洞爺湖が丸見えになって、はじめて絶景なのである。
 自動車では駄目である。道にまよって今晩は野宿かと、覚悟する恐れはない。スケジュールに狂いがなく、万一あれば、客はバス会社を相手どって、訴訟でもおこすくらいが関の山だろう。車内でビールやコカコラをのみながら、何とかの泉も、天下の嶮もないものだ。あるのは次のような心配と誤解ばかりである。
 いま眼前にある風景は、古人が驚いた絶景だから、今人も当然驚かなければならない。ところがさしたる感動がない。ひょっとしたら、これは自分たちが鈍感だからかもしれないぞ。
 客たちはそれが不安だから、口に出してその景観の美をたたえ、隣人と顔見あわせ、隣人の言葉と表情に、同一の危惧を発見して安堵し、ともに感動したと、互いに認めあうのである。ついでに、妻子に教えてやろうと、カメラに写しとるのである。
 由来、観光客というものは、トマスクックの口車にのせられ、八十日間世界一周とは、古人の企て及ばぬ新企画だと、大金を投じてこれに参加し、世界中を駆けずり回り、脳裡にイタリヤもスペインも一緒くたに記憶し、満悦し且つ吹聴してやまないものだ。それでも何やら心もとなく、帰ればみんな忘れてやしまいかと、我と我が脳ミソを疑い、パチパチ写真ばかりとっているものだ。カメラというものは、その不安を慰撫し、解消するためにおもちゃだと、私はかねがね信じている。
 これら今人の夥しい愚行は、歩かなければ風光は存在せずと、いずれ気がつかぬかぎりは止まないだろう。
 それはさておき、近代の文学に自然描写がすくなくなったのは、右と関係があるようだ。汽車、自動車、飛行機――交通機関の異常な発達は、文学のなかから自然を放逐した。独歩や花袋は、わらじを踏みしめ、武蔵野を歩いた最後の人だ。今後も自然は、文学のなかにあらわれること稀れであろう。
 現代生活に於ける自然は、どこに去ったか。
 山のぼりに去ったようである。アルピニストは、死ぬまで脚で登攀してやめないであろう。ケーブルカーが普及して、それで山々を征服したと称する大群が、もし生じたとしたら、彼らは驚き、やがて白眼視するにちがいない。そしてケーブルのない無名の山をさがしだし、一人でのぼるようになるだろう。風景を知るものは、ついに私のきらいな登山者だけになるのではないか。
 汽車が開通して、なん十年にもなるというのに、東海道人種とでも呼ぶべき人が、まだいるそうである。開通以来、多く廃駅となった旧街道五十三次を、いまだに徒歩で歩き続ける人たちだそうで、彼らは互いに顔見知りで、すれちがえば挨拶をかわす位の仲だそうだ。東海道の風物にとり憑かれて、歩き続けてやめない人だという。
 登山とちがって、これには花々しい成功というものがない。遭難して、新聞紙上をにぎわすということがない。だかれ誰も知るものがないが、たぶん今も歩き続けているはずだと、むかし岡本かの子女史が書いていた。
 温泉宿の悉くは、いまデパートみたいなビルになっている。ドアを押してはいれば、なかはお定まりの数奇屋まがいの座敷である。これは熱海も箱根も、九州のはてまで行っても同じことだろう。そんなら何も、北海道くんだりまで出張するがものはないと、とつぜん私は東海道人種を思いだしたのである。



   山本夏彦@Wikipedia

   大町桂月@Wikipedia

   岡本かの子@Wikipedia

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