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大丈夫日記 札幌・日本の神と西洋の神の主観と客観~田上義也岩内町ツアー・20100912-0906

20100912 日本の神と西洋の神の主観と客観
  
   * 日高敏隆 『帰ってきたファーブル 日高敏隆選集 7』 武田ランダムハウスジャパン


午前 NHK「日曜美術館」「田中一村 奄美の陰影」 二週連続「島」モノ 「日本の領海と排他的経済水域(EEZ)は計約447万平方キロと世界6位の広さ」(asahi.com 記事) 領土を加えても9位の大国 物理的に狭いというのは思い込みだったのか その海・島の多様性 瀬戸の島々・奄美・利尻、それぞれ全くの別天地 恵まれた国だ 外から祭囃子 藻岩神社祭礼の子供神輿 すぐ見飽きる 有難みが薄いのはなぜか、それは楽音が録音音源だからだ、と気付く 数年前、利尻島長浜の麒麟獅子舞復活現場に立ち会ったが、あの成功は囃子まで地元民が行ったところにあったろう 祭りの場では、生音に神が宿る 便利で楽ちんで合理的な神秘性なんてあり得ない 「祭り」なら不便さ面倒くささ不合理を覚悟しなきゃ それが無理なら、さっさとやめればいい 神憑りになって、利便性も合理性もない、没我の境地に至って初めて、何か生れるのでは リーチ 『日本絵日記』 中には、日本各地で出しゃばりな録音音源の洪水に、心底ガッカリする場面が何度も出てくる 当時からやや五十年近く、状況はあまり変わっていないかも そんな訳で、人工的なノイズに敏感に、一日過ごす事になる 真駒内公園内徒歩で地下鉄真駒内駅まで、大通駅下車「大丸藤井セントラル」B1階で手製本用部材/午後 西18丁目駅下車でM19書庫 パン食 手製本 P・T氏依頼「相田みつを」補修、買ったばかりの和紙部材で見返し 次いで岩波文庫 『木下順二戯曲選Ⅰ』、こちらも和紙部材で見返し/夜 「流逸荘と仲省吾」横須賀雪枝氏よりメール 論文送っていただけるとのこと、温かいメールで心和む こちらはいまだ「聲」の謎、解決できず ひとまず横須賀氏論文到着を待つことに 日高敏隆 『帰ってきたファーブル』 (人文書院 1993)読書
「 進化論は、神―人間―獣という聖書的系列のなかの、人間と獣のあいだの壁を取り払った。それによって、人間の不安は増しこそすれ、減ることななかった。あのけだものたちとはやはり違うと思わなければ、近代の人間は安心できなかった。

 人間のユニークさを優越性とみなし、人間のアイデンティティーを確立するには、どうしたらよいか? 人間がユニークならネコだってユニークな存在だ、などと平然としていい放つ動物学者を、どうしたら退けられるか?

 そこで「客観性」というものが救いの神となる。人間だけが、客観的に世界を見ることができる。とくに科学的客観性というものは、動物にはもちえないものだ……。

 こうして近代の人間は、進化論をも超えてしまった。つまり、進化論が手をつけようとしなかった、神と人間の壁を取り払ってしまったのである。

 もっとも、進化論は創造説を否定することによって、神を放逐してしまったのだから、それとの壁を取り除く必要はなかったわけである。しかし進化論は「人間が神にとって替われ」といったわけでもなかった。

 いうまでもないことだが、この世の中に「客観的」なものなどありえないし、事実とか真実などというものも存在しない。離婚の客観的理由などというものは、おそらく求めても無駄だろう。かつてユクスキュルが展開したウムヴェルト(環境世界)論によるまでもなく、世界は動物の数だけある。客観的世界などというものはなく、すべて主観的世界である。

 もし真に客観的なものがあるとしたら、それは神にしかわからないものだろうし、神だけがもてるものであろう。ところが、近代の人間はそれをもとうとした。つまり、神になろうとしたのである。

 今日、いまなお科学がもてはやされる理由も、おそらくはそこにあるのだろう。科学はもっとも「客観的」なものであると信じられており、人間が神になるのにもっとも大きな力となってくれる。そのうえ困ったことに、科学は技術化されたときに、大きな実用性を発揮した。人間はいまや、神にもできなかったことを成し遂げているといわれるが、それはほんとうのようにみえる。臓器移植や遺伝子工学なとは、しばしば「神をも怖れぬ不逞な行為」と非難されるが、人間はもはや自分自身が神になったつもりでいるのだから、神を怖れる必要はないのである。

 繰り返していうが、現実には客観というものはない。あるのは主観だけである。しかし、一つの共同体のなかで一つの主観が大勢を占めると、それは「客観的」なものと受けとられる。そしてこの「客観」と異なる主観をもつ人物は、なんらかのかたちで排除される。むかしは進化を信じた人が排除されたが、いまは進化を信じない人が排除される。

 人間以外の動物では、一つの種のもつ主観は同一であり、全員がそれに同じ価値を認めている。もちろんオスとメスとでは主観がまったく異なるが、どちらもそのまま認められており、どちらがすぐれているとかいわれることはない。したがって、あえて客観というべきものなど存在しない。

 人間ではどういうわけか、同じ種でありながら、文化により、集団により、さらに個人によって、異なった主観をもっており、しかもそれを客観だと思っている。エリック・エリクソンが「文化は擬種である」といったのは、まさにそのとおりなのだ。

 主観が客観になったときに、それは神聖な価値をもつようになる。それ以外のものはすべて無価値な主観とみなされる。それはあたかも一つの神であり、信仰の対象であるので、他のなにものによっても犯されてはならないのだ。

 こうして、客観化されて神聖な価値をもつにいたった複数の主観のあいだの確執が始まる。それはある意味での信仰の対象、ある意味での神であるから、この確執はつねに宗教戦争である。

 じつはこれも近代にかぎったことではない。人間は宗教戦争のできるほとんど唯一の動物であるらしい。すくなくともこのユニークさは、人間の優越性の証左ではない、ということは認め、真剣にこの問題と取り組むことができるようになったら、すこしは光がさしてくるであろう。」 日高敏隆 『帰ってきたファーブル』 80-83ページ




20100911 別な「聲」がある?
  
   * 谷啓 『ガチョーン伝説』


午前 データ作業 外伝 自転車でM19書庫/午後 昼食は中庭うどん店 植物の緑と小さな虫たち、「目の発生」黙考 昨日からのバーナード・リーチ関連探索継続 特に、1964年ニコル氏の導きでリーチ氏と劇的再会を果たした、仲省吾氏について知りたい 「バーナード・リーチの日時計」「民芸手帖」「民藝」 「日時計」77pに、「聲」昭和34年7月号に仲氏文との記述 別頁に、大森廣吉氏著 『かきあつめ』中に登場とのこと 「民芸手帖」「民藝」には発見できず 五時近く、T氏来訪 『Architect Nakai Yoshimi 1947-2002』 (中井和子・中井仁実建築研究所編 2003 建築家中井仁実回顧展実行委員会) ご覧いただく 野幌森林公園自然ふれあい交流館/夜 帰宅後、丸善発刊の季刊誌「聲」点検 1959年春夏秋冬各号あれど7月号なく、全10号の目次にも関連文見当たらず 別な「聲」がある? ウェブ検索して、横須賀雪枝氏論文「流逸荘と仲省吾」ネットオーダー/谷啓さん死去



20100910 バーナード・リーチ日本ツアー
  
   * 柳宗悦 『民藝四十年』 岩波文庫


午前 データ作業 外伝 『日本絵日記』読了 筋トレ/午後 南郵便局、金策 登録作業/夜 車でヨドバシカメラ札幌店でプリンタインク購入 M19書庫/『日本絵日記』 リーチ氏は、この1953-54年の旅行の後四半世紀近く生き、1979年92歳で没した こちらがその名前を初めて知ったのは、C.W.ニコル 『バーナード・リーチの日時計』 読書で 深い感銘 大学生で、まだ民藝運動についても知らなかったが、リーチの名は好印象とともに頭に刻み込まれた ニコル氏とリーチの邂逅は1964年か リーチ77歳、ニコル氏24歳 『バーナード・リーチの日時計』『民藝』『民芸手帖』それぞれ再読再覧して、リーチ来日を検証しよう 一人の稀有な人間がいかほどの影響を他者に与えるものか/10月23日分日記には、当時アラフォーの鈴木繁男(1914-2003年)氏登場 漆芸家 その鈴木氏と柳宗悦の逸話が面白い 下に引用 「民藝運動」とはこういう人達が力を尽した結実であったわけだ
「 十月二十八日

 鈴木君は柳についておもしろい話を聞かせてくれた。彼は柳を説得して、藤原時代の木像二体を見るため静岡のさる寺院へ詣でることになった。ところが鈴木君にとっては意外にも、柳ははいるなり、しかも番僧に口一つきかない前から、はるか頭上幽暗の中にかかっている一片の文字額を穴のあくほど見つめていた。とうとう彼は下りて来て、番僧に挨拶し、どうしてこの寺があんなりっぱな、古い筆跡を手に入れたのかとたずねた。

 僧の答えでは、それを書いたのは若い男で、この男の死んだのはそれほど昔のことではない、とのことだった。柳はますます感じ入って、終日この書の値打ちを話し続けた。数日後、彼は東京から鈴木君に手紙を書いて、この書を民芸館のコレクションの中につけ加えられるような何かいい手をさがしてくれと頼んだ。鈴木君はこの問題についていろいろ思案し、そこの県知事のところに出かけて行って、柳の説得のほかに知事にも説得に当ってもらうようにするか、それとも県からお寺の方へ寄金をしてもらうようにするか、とも思った。とどのつまり彼は、そのどちらの方法もこの場合にはふさわしくないと決めて、直接自分で出かけて行って僧に会った。そして数時間にわたって柳のこと、柳の仕事のこと、民芸館のことについて話をした。しかし僧は、この若い作者には深甚の敬意を抱いていると語り、申し込みを承諾すべきではないといった。だがそういってから彼は黙り込んでしまった。そしてお祈りをはじめ、じっと考え込んだ。しばらくしてから彼は鈴木君にこう説明した――いまこの死者の霊の訪れをうけたが、霊は柳の申し込みを喜び、わたしにその申し込みに同意してくれといった。で、わたしは、この死者の冥福こそ自分の唯一の望みなのだから、ここに喜んでお申し入れに同意しますというのだった。この僧は真言宗の僧だったが、同宗ではこうした霊との交流は珍しいことではない。柳は「摩訶大真言即身成仏」と自筆した一片の書をこのお寺におくった。

 鈴木君がいうところでは、彼は陶器をこころみたいのだが、柳がそれをやめろといい、ぜひ漆器にしろとなんどもすすめた。なにしろ柳と浜田とあなた(訳注=リーチ)はわたしの「先生」だと思っているのだから、と彼はいっている。彼はずっと戦争に行っていた。母親は爆撃で殺された。したがって彼はアメリカに対しては全然愛情をもっていない。十代の終りごろ、われわれの仕事とつながりを持ちはじめて、機械図案の世界と大量生産の背景とを捨てた。そういうものは、自分に暖かみと喜びを与えてくれるような日常生活品を提供するものではないからというのだった。戦争がおしまいとなり、無条件降伏が発表されると、彼の大隊の将校は半気違いになって、手当り次第のものを軍刀でぶちこわしはじめた。軍曹だった鈴木君は、僚友の中に立って「兵隊の前に模範を示し、秩序を維持するのは、なおわれわれの責任だ」といって訴えた。みんなはそれをきいていた。動員解除の後、彼はある百姓のところに行って働いた。それによって肉体と精神の融和を保った。しかし、いくらよく働いても、その百姓は彼のきゃしゃな体つきをじろっと見て「お前さんにゃ百姓はやれまいよ」とぶつぶついうのが常だった、と彼はいっていた。そのころ彼は柳の奥さんから手紙をうけとった。柳が長い間病気で、命が危いのではないかとみんなが心配しているというのだった。その後に、おいでを乞うという電報が三通続いて来た。彼はよれよれの軍服姿で到着した。それが誰なのか女中は知らなかった。彼は女中を押しのけて二階に上がると、そこに柳がひどくやせこけ、弱々しげに寝床に臥せていた。「君か、生きていたのか、帰って来たのだね」と柳はいった。そしてその顔には涙が流れた。鈴木君は逗留して、庭中に埋められていた焼物を掘り出した。東京から疎開されていた他の珍宝も集めて、民芸館を整頓しはじめた。その間、柳は徐々に回復した。」 『日本絵日記』 185-188ページ




20100909 1953
  
   * 鈴木禎宏 『バーナード・リーチの生涯と芸術―「東と西の結婚」のヴィジョン』 ミネルヴァ書房


午前 データ作業 外伝 『日本絵日記』読書 筋トレ/午後 登録作業 M19書庫/夜 発送作業 南郵便局/バーナード・リーチ 『日本絵日記』は氏の1953‐54年にかけての旅行・滞在記 「1953」は、渡辺格 『なぜ、死ぬか』 にも紹介あり、ワトソンとクリックのDNA二重螺旋構造発見発表年 当時リーチ氏66歳、地球上の生命体が共通記号を持つと知ったら、世界観は変わったろうか 宮本常一は45歳、どこを旅していたか 年初岡山県円城村 五月肺結核再発、七月「離島振興法」成立、十二月全国離島振興協議会機関紙『しま』創刊 ちなみに、柳田國男77歳・渋沢敬三56歳・ワトソン25歳・クリック37歳、20代から70代まできれいに一世代一人ずつ並ぶ リーチ氏のセレブ旅、「無名」宮本の貧乏旅 日本は色々、世界も色々、基本DNAは一緒/利尻島も現行法たる離島振興法の実施地域に含まれると初めて知る 不明 実施実態状況等勉強する必要あり 旅もまだまだ続く



20100908 消えないステージ達
  
  

  

  「札幌ロフト 古書の街」 2009年2月当時の ブックスボックス 田原書店の書棚


涼しくなった 日暮れが早くなった/午前 データ作業 外伝 M19書庫/午後 山鼻某店経由で帰宅 登録作業 夕食準備、「かぼちゃの南蛮酢漬け」 発送作業/夜 南郵便局 登録作業/先月は、利尻行で不在閉店期間あり、売上減 今月は、学校始業もあってか、順調に注文あり 一年前は「札幌ロフト古書の街」最終月を迎えていた 今現在のネット登録古書点数は、当時に比較して、ほぼ倍増 「古書の街」開催期間の売上高を補填して余りある 丸々一年かかったけど 催事参加は、派手で臨時売上も出るが、堅調健全なものではない 閉幕後の保障・補償・保証も当然ない 業務全般を自分自身で把握・展開できて初めて、作業の段取りが出来、売上の目途も立ち、新しい発想も浮ぶ 長い目で見れば、確かな土台とその上の消えないステージ達を、地味に気長に作っていくしかない まあ当り前の話なんだが、それが一番難しい、とも思う まだまだ終らない、始ったばかり



20100907 谷口父子建築世界ツアー
  
   * Terence Riley 『Yoshio Taniguchi: Nine Museums』 Museum of Modern Art


午前 データ作業 外伝 バーナード・リーチ 柳宗悦訳 『日本絵日記』(毎日新聞社 1955)読書 39p、1953年「四月九日/志賀(直哉)氏を訪ねるため、浜田、柳夫妻とともに熱海に出かけた。」、「白樺派」出身の面々と対面する中に「建築家の谷口君」が 谷口吉郎(1904‐1979)か 「ふたたびわたしは谷口君と午後、二十年間の日本の生活や建築について話し合った。」 谷口氏なら金沢の九谷焼窯元が実家、話題に事欠かなかったろう 谷口父子とリーチ氏の関わりについて詳しく書かれたものはないか(金沢市議会議員山野ゆきよし氏のHP>議会質問>平成17年12月議会質問>2.金沢の偉人に学ぶ、を拝見) 田上-有島武郎-木田繋がりといい、文芸運動に限定しないで、芸術運動としての白樺派の影響を探ってみるのも面白いかも/午後 登録作業 夕食準備「キャベツのもみ漬け」/夜 サッカー、キリンチャレンジカップ、日本対グアテマラ戦TV観戦 シュート数多し



20100906 田上義也岩内町ツアー
  
   * 井内佳津恵 『田上義也と札幌モダン 若き建築家の交友の軌跡』 ミュージアム新書 北海道新聞社


午前 データ作業 外伝 北海道新聞に田上義也関連記事 「ほっかいどうアート探訪」欄、木田金次郎美術館学芸員岡部卓氏文 田上の代表的建築作品「旧小熊邸」の写真 もとは現在の中央区南1西20に建てられたもので、今は伏見に移転され「ろいず珈琲館」の名物店舗に 二日前、西20について書いたばかりでちょっとびっくり 岩内町・木田金次郎美術館で「田上義也―北方建築の種」展開催中とのこと 井内佳津恵 『田上義也と札幌モダン 若き建築家の交友の軌跡』 (ミュージアム新書)に、木田・田上の交流は書いてあったっけ 「2人を仲立ちしたのは日本画家でのちの民俗学者・橋浦泰雄。」だそうだ 岩内町に行かねばなるまい 2006年の12月以来 『北海道夏山ガイド 1 道央の山々』チェック、手頃な岩内岳(標高1085m)が間近にあるではありませんか 十月に入っての千メートル越えはちょっと剣呑なので、行くとしたら今月中か/午後 登録作業 晩食用意/夜 発送作業 南郵便局


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