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20110105 賢者の言葉・田村隆一 『青いライオンと金色のウイスキー』・「詩人と都市」より

     * 田村隆一 『詩集 1999』 集英社



 青いライオンと金色のウイスキー 』 (1975 筑摩書房)より、「詩人と都市」後半部引用

 「オーデンは、最後に云う――
 詩人が無教養な百姓に出会ったとする。彼らはお互いに多くを語れないかもしれないが、ふたりが役人に出会ったとすると、疑惑の感をともにするだろう。ふたりとも、役人がグランド・ピアノを投げ飛ばせるといっても信じない以上に、彼を信用しないだろう。ふたりが政府の建物にはいったら、おなじ懸念を感じるだろう。おそらく、彼らは二度と外には出られないだろう。ふたりの間の教養の相違がどのようなものであろうと、人間が統計として扱われている役人の世界では、ともにある非現実的な匂いをかぐ。夕方、この百姓はトランプをやり、詩人は詩を書くかもしれない。しかしそこには、彼らふたりが賛成しているひとつの政治的原則がある、すなわち、名誉を重んじる人間が、必要とあらば、そのために死ぬ心構えをしていなければならない半ダースあまりのもののうちで、遊ぶ権利、とるに足らないことをする権利は、決して小さな権利ではないということである。



 もう一度、ここで繰りかえそう――「すなわち、名誉を重んじる人間が、必要とあらば、そのために死ぬ心構えをしていなければならない半ダースあまりのもののうちで、遊ぶ権利、とるに足らないことをする権利は、決して小さな権利ではないということである。」夕方、百姓がするトランプも、詩人が書く詩も、共同体をはなれては不可能なゲームである。そして、ゲームであれば、ルールがあるだろう。そのルールやロゴスの自由を保証するものが共同体であり、そういう共同体こそ、百姓や詩人にとって、真の意味の「都市」なのである。したがって、経済効率と情報だけが支配する「都市」は名誉を重んじる人間、つまり「個人」が生きることはできない。彼は、ホモ・ラボランス(労働人)であると同時に、ホモ・ルーデンス(遊戯人)でもある「個人」から「数」へ、無名の一員に、消費者か生産者に類別されて、「公衆」に還元されてしまうだけである。オーデンは、社会の巨大化と、マスメディアの異常な発達によって、シェイクスピアが描いた古代的世界には絶対に見られなかった現代特有の社会現象、キルケゴールが「公衆」と名付けた、奇妙な集合体を定義して、つぎのように書く――
 暴徒は能動的である。それは粉砕し、殺し、自己を犠牲にする。公衆は受動的である。あるいはせいぜい好奇心がある程度だ。それは殺しもしなければ、自己を犠牲にもしない。公衆は、暴徒が黒人をなぐりつけている間、あるいは警察がガス室に入れるためにユダヤ人を逮捕している間、傍観しているか、目をそらすかである。

 詩人と都市の関係は、不可分というよりも文明としての有機的な関係である。詩人と都市とが有機的に結びつかない以上、ぼくらの文明は、詩人も都市も持たないことになる。江戸や大阪は、天明の俳人や漢詩人たちと深く結びつけられている。また、これらの都市が詩人を造ったのである。一九一八年に、つまり、二三年の関東大震災前の東京について、若年の谷崎潤一郎は、すでにこう書いた――
「東京は以前に比べるとたしかに不愉快な都会になった。其処にある生活機関は何一つとして満足に役立っては居ないじゃないか。却って在る為めに不愉快を増させるものばかりだ。何処に首府の面目がある! 何処に日本の文明がある!」(「鮫人」)
 ぼくが生れる五年まえの東京が、すでにしてこれなのである。そして現在は、世界最悪の「都市化現象」という名の「都市」である。オーデンは、現代の都市を創りあげた現代的世界観の四つの特徴、かつて古代的世界観の重要なファクターであり、「物をつくる人」にとって母体となっていた三つの信念の喪失と一つの「公的王国」の消滅を、左のごとく列挙する――
 (1)物質的宇宙の永遠性に対する信念の喪失
(2)感覚的現象の意義とリアリティに対する信念の喪失
(3)人間性はくつろいでいるためには、常に、人間が作った同種の世界を必要とするが、この人間性の規範に対する信念の喪失
(4)人物をあらわす個人的行為の領域としての「公的王国」の消滅。

 ボードレールの「パリ」、エリオットの「ロンドン」、ジョイスの「ダブリン」は、この三つの信念の喪失と公的王国の消滅を歌った近代的な作品である。そして、いちじるしく近代的であるがゆえに、これらの都市に内在する「死」を具象化することができたのだ。オーデンは、「ニューヨーク」を歌った。題して、「城壁なき都市」(一九六九年)。訳者の中桐雅夫は、この一三〇行ばかりの詩について、つぎのようにスケッチしている――
「マンハッタンの建物の異様な形状と、人でいっぱいのこの断崖の住人についての叙述から始まるこの詩集のタイトル・ポエム(「城壁なき都市」)では、午前三時にミッド・マンハッタンで、ある声によって詩人の瞑想が妨げられるとき――その声は、彼のシャーデンフロイデ(他人の不幸を喜ぶ気持)を非難するのだが――戦後世界に関するシニカルな図を作りあげられることになった。これに続いてちいさな精神の戦いがおこり、詩人は家へ帰って寝ろと勧告される。」(季刊「都市」四号)
 シャーデンフロイデを非難される終末部だけを引用しておく。
………
「彼らは選択権をもたず、変化も知らない、
その運命は先祖によって定められている、
仮面をかぶった魔法使いの口を通して
祝福を与えるか血を要求する
もっとも昔の人々、賢い人々によって定めされているのだ。」

「メガロポリスはなお金持ちで攻撃から免れている、
いっそうよい状態を期待しているものは幸福だ、
いっそう悪い状態が"彼女"を待っているのももっともだろう……」

午前三時に、ぼくがミッド・マンハッタンで
こんなことを考えていたら、邪魔がはいって、
鋭い声にさえぎられた、

「ジューヴェナル兼エレミヤの役を演じて
いったい、なにがおもしろい、
恥を知れ、他人の不幸を喜ぶなんて」

「なんだと!」とぼくはどなった、「われわれは、どれほど
道徳的になってるんだ。冷淡だって? そうだとして、
それがどうした、ぼくの話が本当ならさ」

そこへさっそく、うんざりした第三の声、
「頼むから、もう帰って寝てくれ!
朝飯時分にはふたりとも、気分がよくなっているだろう」

 オーデンはおとなしくニューヨークからイギリスへ引きあげて、去年の秋、ウィーンのホテルで死んだが、訳者の中桐さんは、まだ酒場に残っている。      (1974.5 展望)」(174-179ページ)



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