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20110831  『島・倉』・ver.20110831・制作 田原ヒロアキ@ブックスボックス

「RICOH CX5 で一枚だけ撮影。父(1931‐1999)の古いアルバム1P目の5.5cm×5.5cmモノクロ写真を台紙の父の手書きコメントとともに。「30年新築の倉庫 塗料をぬるはボク」。1955年の父の姿。撮影者不明。この倉庫が現「ブックスボックス利尻島スタジオ」。つづく。」ツイッター @booxbox ブックスボックス 田原ヒロアキ より---booxboxをフォローしましょう



2011年7月7日




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1905(明治38)年11月、田原家一族は、福井県坂井郡吉崎村(当時、現あわら市)より、北海道利尻郡仙法志村字ヤマナカ番外地(のちノチュウ六百一番地、さらに御崎拾九番地に変更。現:利尻郡利尻町仙法志字御崎19番地)に転籍。それからちょうど五十年の時を経て、倉庫を新築。撮影者不明。




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「30年新築の倉庫 塗料をぬるはボク」の父・陽一(1931‐1999)は、1957年に千恵子(旧姓・紺 1930‐ )と結婚。福井からの転籍時の戸主は初吉(1863年生)。その長男貞一(1904‐1934)の長子が陽一。その長子が洋朗(1958‐ )、「書くはボク」。撮影者不明。




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田原ヒロアキ(洋朗 1958‐ )。1960年代初頭か。その当時田原家では、なにかの記念写真を、倉庫(「クラ」と呼び習わしていた。現・ブックスボックス 利尻島スタジオ)の入口扉の前で撮影するのが、慣わしとなっていた。母・千恵子が手製した外出着のお披露目か。撮影者不明。扉位置注意。




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ヒロアキと従兄弟の君美(きみよし 1958‐ )さん。ヒロアキのセーターには「HT」のイニシャル。親族による手編みだろう。二人とも、髪は見事な「坊ちゃん刈り」。1960年代に入ると、貧乏な漁師の家でも、子供の頭は、親の手になる丸刈りではなく、床屋に行って刈ったものか。撮影者不明。




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妹・恵理子(1960‐ )。やはり撮影者不明だが、クラの扉前写真は父・陽一が撮ったものと思われる。これも、浴衣お披露目で、記念撮影か。裸足。扉が東面側端に移動していることに注意。北面(正面扉側)に窓がなく、中での作業に支障を来たし、窓設置のため、急遽改築で扉移動したもの、と予測。




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ヒロアキ、小学校入学記念写真。1965年の春先か。ランドセル・学帽は既製品。前年1964年には、東京オリンピックが開催され、自宅でTV中継を見た(マラソンの円谷選手が、競技場内で抜かれて3位になった)記憶がある。60年代日本の経済高度成長の波が、極北の離島まで押し寄せ始めていた。




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ヒロアキ撮影。縦撮りしたものを、上下適宜カットしてトリミング。1960年代後半、小学校高学年。父のカメラで、生まれて初めて撮った一枚。「クラ」の写真から始まったことに、因果・因縁を感じる。細い道路を隔てて建つ自宅一階の窓から撮影。根曲り竹を使った柵。仙法志漁業協同組合のトラック。




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前の写真を撮った直後、カメラを手に外に出て撮影したものか。父陽一と弟博英(1962‐ )。ちょっと笑った顔の父は、右手にヤスの一種・左手にタンク状のものを持っている。クラ東面に、窓を確認できる。左側の垂木の木組みは、漁したものを干すためのものか。画面構成上の癖がすでに現れている。




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父陽一撮影か。クラが建ってからちょうど四半世紀。家の前の空き地に、何番干し目かの昆布。昆布は漁獲後何度か日干しして商品化される。クラ右手に、早くに増設された乾燥機小屋。左手に、自家用自動車(写真中央のトヨタ車)購入とともに増設された車庫。扉もトタン張りに。ペンキの色の選択と対照。




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父陽一撮影か。クラが建ってからちょうど四半世紀。利尻の十月は秋深い。家の前の空き地に積まれた、商品パッケージ化済の、利尻昆布。漁協に集荷され、そこから販売されるもので、写真はその集荷のトラックを待っている間に撮影されたものか。天然昆布か養殖昆布かあるいはその両方か、定かではない。




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ヒロアキ撮影。お盆帰郷中の弟・博英(1962- )。当時ヒロアキは在京都で、独身。博英は在札幌で、夫人の智恵子さん同伴で里帰り中。クラの出入り口戸が、十年前とは違い、アルミサッシのガラス引き戸に。父・陽一の研鑽・努力の結果、養殖昆布漁がうまく行き、家内が経済的に安定していた時代。




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ヒロアキ撮影。クラの二階、南側屋根裏。子供たちが使ったスキーと父陽一が誰かからもらったクロスカントリースキーが、魚網に並んで、保管されていた。クラは、漁師の作業小屋・漁獲物の保管庫であると同時に、家族の物置でもあった。要らないものを処分するうち、これらスキーもどこかへ捨てられた。




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ヒロアキ撮影。クラの二階。ガラス玉。直径二十センチくらいか。魚網がまとめて置かれた場所の梁に、紐でゆわえて下っている。クラの漁具全般、いつの時代のものかどんな漁に使われたものか、もはや判明できない。置く場所があるがゆえ、処分する・捨てるのも手間・費用が掛かるゆえ、このまま放置か。




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父・陽一撮影か。仙法志小学校の鼓笛隊の皆さん?まさに演奏中。もしかして、全校生徒か?現在も活動できているのか?田原家の敷地は利尻町の端にあり、隣の利尻富士町に接している。生徒さん達にとっては、一種の「地の果て」だったかもしれない。左端に、浜仕事用に使っていたジムニーが写っている。




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父・陽一撮影か。山本家御一行様が、四国から利尻島に。自宅前で。前列右から、妻純子・母方祖母紺リツ・義母山本知子・祖父正二・祖母元江。後列右から、ヒロアキ・母千恵子・義妹智恵子(博英妻)・義姉山本由美(純子姉)・義父山本義男。春、四国で結納を交わし、この後、秋、関西で結婚式をする。




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ヒロアキ撮影か。クラ東側横のバラス敷きの昆布干場で、昆布を手にする祖母元江。背後に、浜から昆布を積んできたらしきジムニーと、その横に祖父の後姿、おそらく父の頭。何人かのスカートのご婦人達は誰か不明。クラ(車庫)の壁面には「5.10.3 塗装」のペンキ書き。平成5年=1993年か。




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ヒロアキ撮影。自宅居間。ヒロアキと妻純子(1969‐ )の長子緑(1995‐ )を抱く、祖父正二(1913‐1998)とその隣に座る祖母元江(1909‐1998)。ひ孫を見せに、親子3人里帰りしたものか。緑は、阪神淡路大震災の揺れを、大阪府吹田市で、母のおなかの中で体験している。




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ヒロアキ撮影か。祖父正二。クラ横の干場で、何番干し目かの昆布をいじっている。正二の長兄貞一は、1934(昭和9)年海難事故で死亡。正二は、兄の妻であった元江と、レビレート婚=兄弟逆縁婚。以後、戸主として、黙々と漁仕事を続けてきた。1998年秋に死去。几帳面で大工仕事に長けていた。




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ヒロアキ撮影。クラの前で、地べたに座って作業する父陽一とそれを見守るその孫緑(二歳ちょっと)。父はすでに癌に侵されており、術後の経過をみながら、漁撈を続けている状況。ヒロアキ一家三人は、この年の春、大阪を引き払い、札幌近郊の江別市にJターン。12月には「ブックスボックス」立上げ。




1997XXXX

ヒロアキ撮影。クラの前で、軽トラに寄り掛かる笑顔の母千恵子と路上の指を銜える孫緑。さっきまで父陽一が座っていたと思しき地面には、日干しされる根昆布らしきものが袋の上に。祖母元江が翌年6月に亡くなるので、祖父母・父母、四人が存命していた最後の夏。クラの新築がなされてから、42年後。




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父陽一撮影か。クラの前で、娘緑を運ぶヒロアキ。乗せているのは、土方仕事でよく使われる一輪車=通称「ネコ」。冬に日本海低気圧による荒波に洗われ、でこぼこになる浜の船着場・干場の整地のため、石を運んだりするのに使われたもの。軽トラックの荷台には、縛った昆布の束が、何個か積まれている。




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ヒロアキ撮影。路上の娘緑。影の角度から見て、午前中に撮った写真。左の建物は、実家新築前の旧居を移動して物置にしたもの。その前の軽自動車=ワゴンRは、まだ大阪ナンバーがついたまま。右側車庫には、父陽一所有のトヨタの乗用車。その横のジムニーは浜仕事用。遠い背景の緑地はもう利尻富士町。




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ヒロアキ撮影。路上の娘緑。クラ東側干し場。昆布と洗濯物の二種兼用。昆布は水揚げ直後一度干したものを、時を置いて再度日に晒し乾燥度を高める。娘はまだ、写真を撮られることはもちろん、写真が何かもわからない年頃。結果的に、祖父の代まで続いた昆布漁が実は身近であった証左の一枚、になった。




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父陽一撮影か。四月初旬夕刻、クラの軒下に、魚が干されている。スケソウダラかホッケか。子供の頃は、スケソウダラの寒干しが、周囲の家々同様、一家の貴重な食糧だった。この年の6月、祖母元江死去。秋には祖父正二が亡くなる。父陽一の体は、すでに各所に癌細胞は転移し始めていたのではかったか。




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ヒロアキ撮影。クラ横車庫に大きな蜘蛛とその巣。父陽一は1999年12月死去。父の最後の車は弟博英がもらいうけ、小樽に。主も車も無くなった車庫に、蜘蛛の巣がかかった。弟から借りる形で、自分が利尻まで運転してきたのだっけ。田原はこの頃利尻島をテーマにDVD作品を作ろうと苦闘していた。




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ヒロアキ撮影。クラ車庫横、まだそれほど積もっていない雪の中、何年も前から、放置されている漁具。中に縄を通す、陶製の錘の一種か。なぜこの場所に誰の手によって打ち捨てられているのか、定かではない。2001年11月末から、カメラはキャノンのデジカメ「IXY DIGITAL 200」に。




20031230

ヒロアキ撮影。クラ二階、西側の網・漁具置き場。午前十時半。父陽一の死後、近所の漁師さんが使える網を物色し持参。子供の頃、うず高く積まれた網の隙間に潜り込んで、兄弟たちとかくれんぼして遊んだものだが。天井近くの大きなガラス玉たちは、もう何十年もそこの位置に置かれたままかもしれない。




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ヒロアキ撮影。自宅二階窓から、午前九時のクラと海・空。2003年大晦日。この時点では、雪の多くない冬だ。この月半ば、サダム・フセインがアメリカ軍によって拘束されている。この年5月初旬、小惑星探査機「はやぶさ」打ち上げられ、2010年6月の地球に帰還まで、宇宙空間を放浪することに。




20031231

ヒロアキ撮影。クラ東面。車庫の上の雪。田原が小学生の頃、このクラ周辺には三家族が住み、世帯数3・人口14人(うち未成年者6名)。2003年末時点で、2世帯・2人(高齢者2名)。建物数は6棟で、むしろ増えている。1999年夏を最後に、その年の末の父陽一の死を最後に、漁もなくなった。





20031231

ヒロアキ撮影。クラ一階東側の物置き場。祖父正二は手先の器用な人で、このクラで根曲り竹を使って籠を編んだ。主に、海が荒れて沖に出られない、出稼ぎのない、冬に。右側に写る根曲り竹の束は、もはや祖父が手にしたものとは思われない(母千恵子が、畑で植える豆の蔓をからませるのに例年使用)が。




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ヒロアキ撮影。年が明けて正月2日目午後三時半。 浜=田原家の澗(ま=入江)に続く道の上で、海を眺めるように座る姉妹。姉緑8歳、妹ひかり5歳。凪。二人の目には何が映っているのか。この後、浜に下りたのか、引き返したのか。この月半ば、鳥インフルエンザ発生。年末に、スマトラ島沖地震発生。




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ヒロアキ撮影。クラ裏面南側物置場、東面扉押さえ棒(簡易じょっぴん)。打ちつけてある釘を支点に回せば、扉が開けられる。扉本体の建付けもイイカゲンなら、止め棒三本の取付けもイイカゲン(一本は完全に用を成していない)。クラ全体に用が足せるならそれで良しという基本理念(?)が垣間見える。





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ヒロアキ撮影。クラ裏面南側物置場、中に保管されている漁撈用木製鉾の持ち手(アタマ)部分。こちらはさすがに、実際に手にして長時間作業する道具だけに、イイカゲンなところなく整形・加工されていて、ある種の美しささえ感じる。それもこれも、このまま放置され朽ちていくものと思って間違いない。




20040104

ヒロアキ撮影。午後一時。自宅裏の利尻島を循環する道道から、田原家住居・クラ全景。手前の木立ちは天然自然のものではなく、晩年園芸趣味が高じた父陽一が島外から取り寄せては植え根付かせ作庭したもの。住居とクラの間を道道から枝分かれした生活道が東西に走る。自宅は正面南向き、山を背に建つ。




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ヒロアキ撮影。午後一時。クラ二階網置き場にあった、名札代わりの木片。「仙法志」村落の「田原」家のもの。前浜ではなく、ちょっと出張って何かの漁をするとき・したとき使ったもか。これも、わかればいい・使えればいいの類なので、整形・加工はイイカゲン。これらももう二度と使われることはない。




20040105

ヒロアキ撮影。午前七時半。クラ東側車庫の扉にじょっぴんをかる母千恵子。正月里帰りの長男家族(わが家)が都会に戻る。一時的に本来の車庫になっていた車庫の扉を、冬の強風にいたずらされないよう封鎖する。こちらの扉の建付けもイイカゲン、錠前替わりの閂もイイカゲン。手の施し様も必要もない。




20040806

ヒロアキ撮影。長男家族(わが家)の夏の帰郷。手前次女ひかり6歳、後緑9歳。クラの前の「半ケツ」の若者は、彼女たちの従兄弟の一人(田原の妹恵理子の息子)。男の子たちは三人兄弟で、路上でキャッチボールをするか、屋内でゲームをするか。たまには浜に下りて、水辺で遊ぶ。そのときは付き合う。




20050608

西暦2005年。この年11月には、戸籍謄本の記述に従えば、田原家入植100周年となる。こちらも、移動の多い年だった。年始は利尻、3月アメリカ(ニューヨークとテキサス州オースティン)、4月関西、5月札幌展覧会@中森花器店、6月利尻(クラで初めての展覧会、黒田晃弘さんの実演個展)。→




20050608

→8月利尻に家族で帰郷、9~11月タルバガンツアーで東京・関西・四国(ツアー便乗一人旅)・札幌、12月東京・横浜トリエンナーレ・利尻。/写真は、クラ二階に展示された、杉吉貢画伯の水墨画(モデルは、ダンスの岩下徹氏)。DVD「自由・交感 岩下徹・杉吉貢・畑中正人」の一年でもあった。




20050608

クラ二階。西面窓からの光の中、杉吉貢画伯の水墨画。その場にあること・いることに、なんの違和感もない。西面窓は安全管理上の理由で、数年後には外から板を打ちつけられ、密閉されることになる。この年のこの展示が、最後の光だったのか。(画面下の緑色の網を、2011年展覧会で使うことになる)




20050615

クラ一階。似顔絵アーティスト黒田晃弘さん、前日利尻島入り。早速、クラで創作活動開始。ジャージ姿の子供たちは、仙法志小学校の諸君(田原の後輩たち)。ソファーの女性二人は、先生。茶色の後姿が、黒田晃弘氏。島の人を描いて、島の人と交流し、島で飾り、何枚かを横浜トリエンナーレへ持参。→




20050615

→黒田さん描く「島の人」が次々「島・倉」に飾られていく。左上の、顎が用紙下まで突き抜けて行ってしまっているのが、田原。今描かれているのは、女性教師お二方。陽気に話を続け、ときになぜかイタリア民謡を歌いする。クラが建ってちょうど五十年でもあった。祖父正二が冬にはここで竹籠を編んだ。




20050615

→子供達の過半は、島の生まれではなく、海浜留学で島外からやって来た。島の子はもちろん、そんな子供たちに、そして黒田氏に、「島・倉」はどんな風に映ったのか。/田原は、デジカメで写真を撮りつつ、ヴィデオカメラで映像も撮影する。やがて、その写真・映像は、この「島・倉」で展示公開される。




20050807

8月、この年の三度目の帰省。クラ二階、南面の窓と、東南角に飾られた、杉吉貢画伯の水墨画。即興音楽に合わせ踊る、岩下徹氏の即興ダンス演技を、杉吉氏がこれまた即興水墨画で描くシリーズ中の、代表作。DVD「自由・交感 岩下徹・杉吉貢・畑中正人」のジャケットスリーブに使用された絵の原画。




20050807

クラ二階、階段を上りすぐの物置兼作業場と、奥の網置場を仕切る、金網使用の間仕切りに掛けられた、杉吉貢画伯水墨画。モデルは岩下徹氏。この絵は、母千恵子が購入、展示終了(つまり田原が札幌に戻った)後、自宅に持参。いずれ、クラ=ブックスボックス 利尻島スタジオ で展示される日もあろう。





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明けて2006年。正月三日午後一時。クラの東横から、運良く山頂まで見通せた、冬の、雪の、利尻山を撮影。利尻島・仙法志字御崎の田原家の、利尻島での101年目=第二世紀が始まった。百年間、人・物・世間、有為転変は多々あったろうが、この山の遠景だけは、昔とそう変わらないのかもしれない。




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2011年東日本大震災の年。1995年阪神淡路大震災の年に生れた長女も高校入学、歳月の経つ速さ。「ブックスボックス 田原書店 「手製本と古書」展」北海道ツアー2011@クラ=利尻島スタジオ。一階、64葉のクラ写真を展示。小さな土地の小さな歴史を、内包しつつ開放する試み、の始まり。




20110815

「ブックスボックス 田原書店 「手製本と古書」展」@クラ=利尻島スタジオ、無事終了。田原は家族と車で札幌へ戻る。56年目のクラ、東北側屋根は傷み、会期中に雨漏りがして中の階段を濡らした。このクラそのものが、利尻島・田原家の56年(あるいは106年)かけて作られた「作品」。つづく。


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